虫が蠢いている。暗く穢れ、爛れた私の中で、なめくじのような、蛭のような虫が蠢いている
 私にとって“魔術師”であることは、苦しみ以外の何物でもなかった。
 他は知らず、私が培った間桐の魔術は淫虫と呼ばれる蟲の扱いのみ。
 その修練は惨く、厳しく、呼吸をすることさえ祖父の許しを得なければならぬほど過酷だった。
 そしてそれこそが、桜が“魔術師”として身体に叩き込まれた業だった。

 聖杯戦争と呼ばれる戦いが始まり、兄がお爺さまから刻印とサーヴァントを賜ったあの日。兄は高らかに言った。
 お前はもう後継者じゃない。僕が間桐の後継者だと。
 その意味さえも知らず、お前なんか必要ないと哂う兄の笑顔を、わたしは痛々しく見ているしかなかった。

 ――だって、お爺さまはまだ居るのだから。

 お爺さまが居る限り、例え兄が魔術師になっても、本当の意味で“間桐の後継者”はわたしでしかありえない。
 サーヴァントを召喚したことで、昔のように蔑みながらもわたしに優しくしてくれる兄。
 だが、それもこの戦争が終わるまで。そうなれば、兄はまた狂気に犯されたように、わたしに辛く当たるだろう。
 けれど、それを自分の手で壊すことは出来なかった。唯一つの夢だった先輩は、遠坂先輩のものになってしまったからだ。
 もう、わたしは兄さんに縋るしかなかった。


 夕食が終わって、時刻は午後九時になった。
 学校は欠席した。
 事がここまで深刻になった以上、聖杯戦争が終わるまで学校に行く気はない。
 それがなくなった今、昼間から外に出る意味はないし、なにより――――
 桜を外に出す事は危険すぎる。
「………………」
 桜は元気に振舞っているが、いつ昨日のように倒れるか判らない。
 遠坂の治療で持ち直しはしたが、桜は危ういバランスの上に立っている。
 ……臓硯がどんなつもりでいるかは知らないが、不安定な桜と臓硯を会わせる訳にはいかない。
 桜の中の刻印虫を活性化させられたら、こっちに打つ手はないんだ。
 ……遠坂は言った。
 桜は長くは保たないかもしれない、と。
 それを知っているのは俺たちだけだ。
 ……そんなこと、桜にはとても言えない。
 俺がするべき事は、桜にその事実を知られないうちに、この戦いを終わらせる事。
 悔しいが俺には……桜を助ける力はない。

凛   「明日、遠坂の家まで行って来る。こっちじゃちょっと道具が足りないし」

 暗いムードを変えようとしたのか、唐突に遠坂はよく通る声でそう言った。
 昔からちっとも変わらない、まるで、言葉にした事は必ず実現すると宣言するような、断固とした口調。

桜   「……先輩、あの。わたし」
士郎  「ばか、そんな不安そうな顔するな。俺とキャスター、それに遠坂の三人で突っ切る。
     まさか遠坂の家までは追って来れないだろうってね」
セイバー「その為にも、この家の守りを強化していたのだ。サクラ、貴女は私が必ず守ります」

 それをも見越したように、セイバーさんが朗らかにわたしに向かって微笑みかける。
 ああ、そうか。わたしが下がっている間に四人で決めていたんですね。
 月光の下きらきらと煌めく四人を前に、わたしは闇の中で納得した。やっぱり違うんだ。こことあそこは、別の世界なんだ。

 それに、なにより――――
 これ以上戦いに参加されては困る。
 それは自分にも彼にも、良くない未来を持ってくるだろう。
 だからこそ戦いを止めさせ、彼には日常に戻ってほしかった。
 どうせ自分は長くない。
 それならせめて、彼にだけは生きていてほしい。
 ……だが。
 そう願う反面で、希望に縋る自分がいるのだ。
 彼が戦う事で、もっと一緒に居られるのなら。
 いや、愛する者が自分のために傷ついてまで戦ってくれる事が、どれほど悦ばしい事か。
 戦ってほしくはない。
 けれど、戦ってくれる事が嬉しすぎる。
 二つの願望は対立し、互いを受け入れないまま拮抗する。
 彼女は自らの暗部を思い知る。
 そう。
 本当は戦ってほしい。自分を助けてほしい。今まで振り向いてもらえなかった分、何倍も応えてほしい。
 その為なら――――彼が傷ついてもいい、と。
 彼女は、思ってはならない事さえ、思ってしまった。
 体内の虫が、彼女の暗い情念に応えるように神経を這う。
 ……たった一瞬。
 たった一度、傷ついた彼の姿を想像しただけで、虫たちは彼女の体を侵していく。

 そんな事を思っていると、私が不安そうにしていると思ったのか、先輩は私の手をぎゅっと握ってくれた。
 ……繋いだ手は、本当に温かい。

士郎「……む?桜。もしかして、熱がぶり返したか?」
桜 「え……? あ、あの、どうでしょう。わたし、熱いですか?」

 自分では判らないのか、桜はおかしな事を言う。

士郎「いや、そんなに熱いわけじゃないけど、俺よりあったかいかな。なんか、触ってるとぽかぽかしてくる」
桜 「あ――――そ、その、きっと風邪です……! ずっと雨に打たれてたから、それで風邪を引いたんだと思います」

 ?
 どうしてか、桜は恥ずかしそうに顔を伏せた。

士郎「そっか。そうだよな。じゃあ早く着替えて体を温めないと。夕飯は俺が作るから、桜は熱を計って、
   風邪だったらあったかい格好で居間に来ること。夕飯は食べやすいものにしとくから」
桜 「ぁ……い、いえ、晩ごはんは、要らないですっ。その、もう寝ますから先輩もお休みください……!」

 たっ、と小走りに駆けていく桜。
「??」
 ……まあ、いいけど。
 俺もこのままじゃ風邪を引くし、風呂にでも入って温まらないと。

 そう、いま私は前回の生き残りであるキャスターを取り込んだ私は、成り行きでそのまま
 先輩の家に保護されることになっているのだ。

 部屋に戻ってくる。
 少女は重い足取りでベッドまで歩き、とすん、と力なく腰を下ろした。
「………………」
 寒気を覚えて額に手をあてる。
 ……熱い。
 体は熱を帯びて、気をしっかり持っていないと倒れてしまいそうだ。
 熱源は自分にはなく、自分以外の何かだと思う。
 血管と血管の間、入り込む隙間なんてない筈の筋肉の重なり。
 その中に自分以外のモノが入り込んでいて、自動車のエンジンみたいに回っている。
 ―――そんな想像をしてしまうほど彼女の熱は高く、際限がなく、前例がないほど異常だった。
 その感覚は奇怪といえば奇怪だったし、不快といえば不快だった。
 苦しそうなのは自分だけではない。
 体のなか、血管とか神経とかの間を這っていくモノたちもタイヘンそうだ。
 たとえるなら、みっちりと肉の詰まった缶詰の中で、出口を探している子犬みたい。
 熱の元凶……体の中で蠢く子犬《それら》は一生懸命で、与えられた役割を全力でこなしている。
 それを思うとなんとなく愛らしい気がして、彼女はその感覚を憎む事ができなかった。
 だるい体にムチをうって電気を消す。
 着替えるだけの余力はなく、少女はぼすん、とベッドに倒れこんだ。

 瞬間。
 何か、嫌な違和感に襲われた。
 その直後、邸内の結界が警鐘を鳴らしたと同時にとても美しく巨大な御座船が轟音とともに衛宮邸を直撃した。