【元ネタ】史実
【CLASS】ランサー
【マスター】ランルーくん
【真名】ヴラド三世
【性別】男性
【身長・体重】191cm 90kg
【属性】秩序・善
【ステータス】筋力B 耐久A 敏捷E 魔力A 幸運D 宝具C
【クラス別スキル】
 対魔力:C
  第二節以下の詠唱による魔術を無効化する。
  大魔術、儀礼呪法など大掛かりな魔術は防げない。

【固有スキル】
 信仰の加護:A+++
  一つの宗教観に殉じた者のみが持つスキル。
  加護とはいうが、最高存在からの恩恵はない。
  あるのは信心から生まれる、自己の精神・肉体の絶対性のみである。
  ……高すぎると、人格に異変をきたす。

 戦闘続行:A
  戦闘から離脱する能力。
  また、敗戦において自軍領地まで生きて辿り着く能力。

 無辜の怪物:A
  ドラキュラ。
  生前の行いから生まれたイメージによって、過去や在り方をねじ曲げられた怪物の名。
  能力・姿が変貌してしまう。
  ちなみに、この装備(スキル)は外せない。


【宝具】
『串刺城塞(カズィクル・ベイ)』
 ランク:C 種別:対軍宝具 レンジ:0~50 最大捕捉:300人
 「串刺し公」とも呼ばれるこのサーヴァントの、いわば代名詞と言える宝具。
 魔槍から放つ、呪いと鉄槌の拷問魔城(ドラクリヤ)。
 相手が持つ不義・堕落の罪に応じて痛みを増す、まさに正義の一撃である。

 当時、一般庶民への串刺し刑はバルカン半島を含む北地中海圏ではさして珍しい刑罰ではなかった。
 しかし彼は2度目のワラキア公への即位の際、あまりにも腐敗し、堕落しきった
 自国の貴族たちの姿を見て憤慨。
 国を荒廃させた原因はその貴族らにあると見て、未曾有の大粛正を敢行する。
 その粛正の要となったのが、貴族に対する串刺し刑だった。

 貴族と庶民が厳しく分割されていたワラキアにおいて、
 これは相当にショッキングな事実だったと推測される。
 領民たちの中で彼の苛烈さ、恐ろしさを感じなかった者はいなかっただろう。
 以降、串刺しは彼の十八番となり、1459年、トルコの使者を生きたまま
 串刺しにするなどの所業にも出ている。
 また、法王庁に届け出られている記録によれば、彼が生涯に串刺しにした人間の数は10万人に達するという。
 ……恐ろしい事に、この数に敵国人は含まれていない。



【キーワード】
【吸血鬼……?】
 血を吸う鬼。
 主が創りたもうた生き物ではないとされ、
 ある宗教観においては分かりやすい敵対者として描かれる。
 人間の血を飲み、年を取らず、不死であり、多くの魔物を従えるという。

【ドラキュラ】
「竜(ドラクル)の息子」という意味。
 彼の父親が神聖ローマ帝国竜騎士団の騎士であり、
 ドラクルと名乗った事に由来する。


【詳細】
【人物背景】
 ルーマニア史に名高い英雄。
 ワラキア独立を堅持した、キリスト教世界の盾とまで言われた高潔な武人。

 もともとドラキュラというのはワラキア公ヴラド三世が最も愛用した通称にすぎない。
 厳密にはヴラディスラウス・ドラクリヤ。
 立場的には東ローマから任ぜられた公爵だったため、ローマ式で署名していた。
 これは彼の父、ヴラド二世が神聖ローマ皇帝ジギスムントの創設したドラゴン騎士団(メンバーは24人)の一員であり、
 自らをドラクル(竜公)と名乗っていたことに由来する。
 つまり、ドラクルの子であるため、
 子を意味するaの発音を末尾につけた事からドラキュラになったのである。

 ちなみにドラゴン騎士団の目的は、イスラム勢力からキリスト教世界を防衛する事であった。
 ヴラド三世がドラキュラを名乗ったのは、
 キリスト教世界を守護する父の意志を継ぐ意思表示だった可能性もある。


 トルコ軍からワラキアを守り抜くため、
 国土を荒廃させた貴族たちを粛正し、
 敵対するトルコ軍の兵士2万を串刺し刑にしたが、
 厳罰主義を貫いた為、貴族たちに背かれた。
 その最期は、配下であるワラキア貴族たちによる暗殺である。
 享年46歳。


【『ドラキュラ』】
 今や世界でもっとも有名な怪物の一人になってしまった人物。
 創作が現実をねじまげた、最大のサンプルケースと言えるだろう。
 ……が、その全てを創作者の傲慢である、
 と断言できないのも事実である。
 ヴラド三世はワラキア独立を守るために手段を選ばず、
 トルコ側から悪魔の如く嫌われたからだ。

 1462年。
 彼の最大の串刺しとして知られるのが、トルコ侵略に対する防衛戦争である。
 彼は怒濤のごとき15万のトルコ軍に1万の軍隊で立ち向かう為、焦土戦術とゲリラ戦を指示。
 民衆をカルパチア山脈に逃がし、首都までも空にした上でトルコ軍を迎え撃った。
 その時に首都ブカレストの周囲にあったのが、
 のべ2万人を超えるトルコ兵たちの串刺しされた姿だった。

 ブカレストの城塞周囲に屹立する、無数の串刺し死体の群れ。
 その異様と異臭に、勇猛を持ってなるトルコ兵たちは完全に士気をくじかれた。
“征服者”と呼ばれた剛勇・メフメト二世でさえ、

「私はどんな人間も恐ろしくないが、悪魔だけは別だ」

 と残し、軍を引き上げたという。
 この時の串刺しの野原は長さにして3キロ、幅にして1キロ。
 オスマン・トルコ帝国は後年のワラキア占領後も、
 このトラウマから自治は認め続けたとされる。

             ◆

 残虐にして合理的。
 人間以上の視野の広さを持つ武人。
 だが理解者には恵まれず、裏切りによる失望の中で人生を終えた。
 それがヴラド三世の真実である。

 また、余談ではあるが、キリスト教世界で初めてゲリラ戦術(パルチザン)を組織したとの意見もある。
 これほどの才能を持ちながら酬われなかったのなら、
 確かに、正気を失うのも無理からぬ事か。