─────────────────────────────Another Servant     10日目 神の剣たち─────────



──────Sabers Side──────

 夢を見ていた。
 昨日あまりに楽しげに話すもんだからお互いに気が緩んでいたのだろう。
 しまった、と気付いた時にはもう遅かった。
 ここは目覚めるまで席を立つことのできない劇場。
 
 開けるべきではない固く閉ざされた扉の向こうに彼女は落ちていた───。


 ──────中世最強の騎士の最期の物語………ローランの歌へと。



            ◇             ◇


 
 ─────いつからこの結末は決まっていたのだろうか?


 七年前にフランクとイスパニアの戦争が始まってから?
 違う。
 イスパニアが偽りの和平の使者を送ってきた時か?
 いや違う。
 ならば殿《しんがり》に指名された時点で?
 いや違う。
 それともロンスヴォー血戦が開戦した段階だろうか?
 いや多分違う。
 はたまた親友の助言を頑なに聞き入れなかったとき?
 …………恐らく違うと思う。

 きっと、不仲だった義父ガヌロンとの関係が決定的に崩れ去った時にこの破滅は決まっていたんだ。


 あの時の───憎悪を滲ませてオレを睨み付ける義父殿の目がずっと忘れられない。



 ………あの視線の意味をもっとよく考えてさえいたならば───オレは…………。





 それはフランク軍の戦陣会議の場で起きた一幕。
 正真正銘の破滅の幕開けは───忍び寄る魔のように、誰にも悟られぬまま動き出した。


 事の起こりはイスパニアより和平の使者が送られて来たところから始まる。
 ローランとオリヴィエそしてパラディン達の活躍により粗方のイスパニア領土は陥落され、残すは天然の要塞サラゴッサのみ。
 と、いった具合の終焉が間近に迫った戦局の最中、唐突にイスパニアより再び和平を申し込まれた。

 使者ブランカンドランが出す降伏の条件は破格といってもよいほどの好条件であり莫大な戦利品の献上と改宗を約束するものであった。
 また、その上に人質までもをこちらの要求する分だけ用意するというのだ。しかもただの人質ではない。
 使者としてやってきたこのブランカンドラン公の息子を筆頭に高貴なる身分の者であろうと人質に差し出すと言うのである。
 喩えるならばそれは自身の財産の半分を明け渡すような行為に近い。
 その身を引き裂くような相手の恭順たる態度にシャルル王やネーム大公を始め多くの者達がサラセンの言葉は信用に足ると考えた。

 唯一人真っ向から異議を唱えた若者を除いて。

「シャルル王駄目です! 奴らを信用してはなりません! 前にもまったく同じことがあったではないですか!!
 その時も奴らは今回の様に恭順な態度で和平を申し込んできておきながら薄汚くもオレたちを欺いた!!」

 ローランの一喝にざわめいていた先陣会議がシーンと静まり返る。
 青年は顔に明確な怒りを顕にしたまま会議の席に座している重臣たちへ思い出させるかのように叫んだ。

「そればかりかマルシルは使者としてシャルル王の言葉を届けに訪れた我らの戦友二人を無惨にも殺したではないか!
 あの悲劇をみなはもう忘れたと言うのか!!? もし仮に皆が忘れていようともオレは絶対に忘れないぞ!
 勇敢な彼らの命を薄汚い詐術と卑劣な騙し討ちで奪ったことをオレは絶対に赦さないッ!!!」

 ローランはイスパニヤの申し出を直感的にやばいと感じていた。理屈ではなく本能が形にはできない危険信号を発していた。
 今までのようなただの裏切りや奸計とは違うと。今度ばかりはなにがあろうと信じてはならないと虫の報せにも似た直感がするのだ。

 若き騎士は沈黙を保ったまま自分の言葉を聞いているシャルル王へもう一度嘆願する。
「シャルル王、オレは王の為に数多くの都市と要塞を陥落させてきました。そうして七年の歳月を賭けてとうとうここまで我らはきた。
 残すは邪教の王マルシルの立て篭もるサラゴッサの城のみではありませんか。あと一息なんです陛下!
 オレやここにいるパラディンや勇壮なる騎士たちの力を以てすればマルシルを討ち取れます、否、討ち取ってみせます!」
 ローランの言葉にシャルルを始め皆が思案するような顔付きになる。
 若き騎士の進言するようにこのまま進軍を続けるか、それともサラセン《イスラム》人を信じて和平を結ぶか。
 再び会議場が静寂に包まれた。

 そんな中、静寂を打ち砕く一喝がローランの正面より放たれた。

「黙れこのうつけ者めが。このままサラゴッサを侵攻するとなれば我らの被害がどれほどのものになるか想像もつかぬわ。
 サラゴッサは山と川に守られた天然の要塞。あれを攻め込むなら相当の高度な戦略が必要となるがそれを貴様に出せると?
 サラゴッサ攻めを開始すればローランよ、仮に貴様は無事であろうとも他の者はただでは済まんとわからんかこの馬鹿者め。 
 シャルル王、こんなものは所詮は思慮の足りぬ若僧の言葉。どうかお耳を貸さぬように」

 そう言ってローランの侵攻案をバッサリと切り捨てたのは他でもないローランの義父ガヌロンであった。
 ガヌロンはチラリとだけローランを一瞥すると冷淡な態度で視線を逸らし他の重臣達を見渡した。

「イスパニヤはシャルル王に下りキリストに改宗すると申し出ておるのです。確かにマルシルは何度も陛下を欺いた信用ならぬ男。
 皆が懐疑心と不安を抱くのは無理もなし。しかし故に奴らはあれだけの条件を提示してきたのです。
 莫大な財を差し出した挙句、爵位を持つ貴族が息子を人質に差し出すような奸計がこの世のどこにあると申すのか?
 陛下、一国の王が己の過ちを認め謝罪し陛下に赦しを乞うているのでございます。どうかそれを無下にしてはなりませぬぞ。
 それが政治、それが外交というもの。そんな事も理解できぬような若輩者の言葉にどれほどの価値がありましょう?」
「────ッ!!」
 場に緊迫した空気が流れる。この親子が仲睦まじいものでないのは皆見知っていた。
 だが果たしてここまで自分の義息を公衆の面前で扱き下ろすだろうか? そんな真似をすればどうなるのか一目瞭然ではないか。
 ローランの気性を知る者なら肝を冷やすような一触即発の場面───だが、意外な事に青年はムスっと黙したまま座っていた。

 何事も起こらないのを見届けたネーム大公がすかさず立ち上がりシャルルへ提言する。
「王よ、ガヌロン伯の言い分は道理に適っておりますな。今度の戦いでイスパニヤは大部分の力を失いました。
 これ以上戦を続けてもイスパニヤに勝ち目はまず有りますまい。将であるブランカンドラン本人を使者に差し向けたのもその証。
 ガヌロン伯の言うようにその為の莫大な金品と人質を献上するのなれば時には敵に情けをかけるのも肝要かと存じます。
 一度イスパニヤをフランクへ組みしてしまえば仮にマルシルが何を企んでいようとも処断は今より容易になりましょうぞ」
 フランク王国が誇る賢人ネームの言葉に多くの重臣や騎士たちが頷いた。シャルルも例外ではなくうむと頷いている。


「ここらで終戦を決めるのも英断やも知れぬな。それでよいかローランよ?」
「………ハイ、王がそう仰るのなら是非もありません……」
 こちらを気遣う様な王の言葉に渋々ながらも納得を示すローラン。王が決断を下した以上は騎士としては是非もないからだ。


 こうしてイスパニアの思惑通り、偽りの和平は結ばれることとなったのである。



               ◇               ◇


 それから彼らの会議はこの決定をイスパニアに伝えるため誰を使者として遣わすのが良いかという論議へと移り変わった。
 王の問いに対し、適うことならばこの儂めに王の手袋と杖を貸し与え頂きたい、とまずネーム大公が名乗りを上げた。
 ブランカンドランの言を信じるに足るとした手前もあるが何より不確実な部分があるのも確かである。
 ローランの言うように万が一の場合を考えると無用の犠牲を出すわけにはいかないという想いがネームにはあった。
 しかし、
「ならぬ、もし王宮随一の知恵者たる貴公を欠く事にでもなれば吾《われ》は……フランクは、どうすればよいと言うのだ?
 ネームよ、そなたは吾が王髭に賭けて顧問官の任を一時たりとも解くことはない。吾は貴公を指名せぬし、指名する者もおらぬ」
 と、王にそこまで言われてはネームも沈黙し席に座る他ない。

 再び聖堂王が諸将に問いかけた。誰にゆかせるのがよいだろうと。
 その問いを待ちきれぬように勇ましく名乗りを上げる騎士がいた。勿論ローランである。

「ではシャルル王! オレが行ってきましょう!」「絶対に駄目だ。キミは大人しくここで待機しておけ」

 行っ、辺りの絶妙なタイミングで横からNOを出したのは無論隣に座るオリヴィエであった。
 落ち着いた風貌の美青年は血の気の多いローランが抗議しようと口を開くより先に言葉を紡いでしまった。
「キミにこういうのが圧倒的に向いていないのは自分でもわかっていることだろう?
 豪快かつ短気な性格なんだ。そんなキミを使者としてサラゴッサへ送ろうものならあちらで何をしでかすかわかったものじゃない。
 下手をすると仇敵マルシルの顔を見た瞬間怒りで抜剣する可能性だってあるんだ。かえって事態をややこしくするのが目に見えてる。
 陛下、ローランに任せるくらいならば私が行って穏便に事を解決して参りましょう」
「そんなの絶対にダメだ! オリヴィエ、君に行かせるくらいならオレが行くぞ。オレなら一撃でアイツらを黙らせて帰ってこれる!」
「交渉せずに黙らせてどうするんだキミは………」
「待ちたまえローランにオリヴィエ、そんな危険な任は君達にはさせられないよ。王よ彼らを使者に選ぶ位ならこのアストルフォが──」
 仕舞いには口論になりそうな気配が漂ってきたところでシャルル王が二人を制した。

「ローランにオリヴィエよ、二人とも口を閉じて座るがよい。
 諸公及び騎士たちに予め宣言しておく。吾が髭と誇りに賭けて"十二振りの聖王剣"《ドゥーズペール》を指名することは許さぬ」
 そう宣言してシャルルはフランク軍にとって中核をなす十二人のパラディンたちの指名を全面的に禁じてしまったのだ。
 ローラン達にそんな危険な任務に付かせる位なら己が行くと名乗り上げようとした残るパラディン達もこれには黙るしかなかった。

 再び沈黙が場を包み込んだ。しかし中々名乗りを上げる猛者は現れない。
 皆イスパニアと和平を結ぶ事に賛同はしたが奴らを全面的に信じられるかは半信半疑の状態だったせいである。
 そこでシャルルは仕方無しに鶴の一声を上げることにした。

「名乗り上げる者はおらぬか……。ならばフランクの諸将諸侯よ、吾が言葉をマルシルへ伝えるのは伯の爵位より選ぶとする。
 伯以下の者ではフランクの威厳を損なう。条件は二つだ、賢く冷静であり、いざという時に腕の立つ者を此度の使者として指名せよ」

 皆が一斉にその条件を満たせる人物を懸命に模索する中。
 誰よりも真っ先にその条件を満たす人物に心当たりがあったのは意外にもローランだった。

「ではシャルル王、オレの義父ガヌロンなどは如何でしょうか? 我が義父殿は賢く冷静でありながらなおかつ剣の腕も立つ英傑です。
 いざという時は聖太刀ミュルグレスを以て戦えば必ずや使命を果たし王の下へ帰ってきましょう」

 それは何気なく口をついて出た言葉だった。
 伯であり聖堂王とフランクの威厳を保ちながらも賢く強いその条件を満たし得る英傑。
 だがその指名は先程公衆の面前で扱き下ろされた事に対する私怨からくる仕返しなどでは断じてなかった。
 実直な気質をしたこの青年にはそういう陰気な部分は殆ど存在しない。
 気に入らなければ一国の王相手だろうと真っ向から喧嘩を売り、陰口を叩くより早く相手の顔面をぶん殴るのがローランである。
 そんな青年にとって義父《ガヌロン》の人物像はまさにシャルル王の要望に完全に合致していた。
 強く賢くそして高貴なる人。そんな義父ガヌロンならば必ずやこの使命を見事に果し得るだろうと。
 青年はそう思ったが故に自らの義理の父親を推薦したに過ぎなかった。

 若き騎士の指名に王も重臣も騎士達もこぞって名案だと賛成を表明した。
 大いなる知恵者ガヌロン伯ならば適任だ、気品漂う騎士ガヌロンならば大丈夫だろう、ガヌロン殿ほどの適任者はおらぬ、と。
 みなにこれほど絶賛される義父に青年も内心少しばかり羨ましくも誇らしい気持ちになっていた。


 だがしかし。
 ローランにとってはそうであっても指名されたガヌロンはそうは思わなかった。

「な───ぁ……!? ローラン貴様……ッ!! 血は繋がってはおらぬとは言えど父たるこの儂に死ねと抜かすかッッ!!?」

 ガヌロンにとってこれは信じられない……否、絶対に有り得ない指名だった。
 危険を伴うなどと言うレベルの話ではない。これが死刑宣告も同然の死を前程とした任務であることをガヌロンは理解していた。
 和平を結ぶことを主張したガヌロンではあったが内心イスパニアの言葉なぞ全く信じてはいなかったのだ。
 彼らの出した和平の条件があまりにも好条件であったゆえ、停戦を飲むのが国にとって得策と文官として判断したまでに過ぎない。
 ましてや自身が使者としてマルシルの下へゆくなぞ絶対に考えられない……いや、あってはならない話であったのに───。

 それを────それをこの忌々しく愚かな義息がぶち壊してくれた……!!




 少し話が逸れるが、ローランとガヌロンの親子関係があまり良くないものであるのは周知の事実である。
 しかし意外に思うかもしれないが、実のところローランはガヌロンに対してそれほど悪意を持ち合わせてはいなかった。
 それを裏付けるようにその件で青年は一度親友に相談したことがあったのだ。

 "なぁ……あのさオリヴィエ? その、言いづらいんだけどさ……なんかオレ義父《おやじ》殿に嫌われてる気がするんだが……"
 "───ぷっ…くく、あーはっはっはっは! なんだローラン、キミでもそういう事を気にするのだな?"
 "ちゃ、茶化すなよぉ! 義父殿の息子のボードワンとも殆ど会わないしさ。義父殿とも親子関係になってから殆ど会話してないし"
 "まあキミは出生に色々と面倒が付いているからな。初めの内はガヌロン伯が難色を示すのも無理はないさ"
 "うぅぅ~どうすりゃいいんだ神様~。オレは大司教に教えを乞えばいいのか~?"

 頭を抱えてくねくねと苦悩する青年に親友は淡い微笑を保ちながら時間が解決してくれるのを待つのがいい。と助言してくれた。
 親友のその助言に従ってローランは時間が解決してくれる事を期待した。
 しかしガヌロンのローランに対する態度は時が経つにつれてより一層冷えたものとなり、
 その冷たい温度を伝播するかのようにローランの義父に対する感情も徐々に諦観と淡白なものへと変わっていった。


 結局どれだけ月日が流れようとガヌロンにとって義息《ローラン》とは────厄介な腫れ物でしかなかったのである……。

 王族でありながら不義によりシャルルの怒りを買って国を追放された愚女の息子。
 政的事情とはいえそんな女を娶らされただけでもガヌロンには我慢ならぬ人生の汚点だったというのにそれに不義の子まで付いてくる。
 考えただけでも反吐が出た。そして何より彼を憎悪させたのが義息がシャルル大帝の大のお気に入りとなってしまった事であった。
 不義の子ならばそれらしく日陰で慎ましく生きればよいものを、アレはこの世で何よりも輝く太陽《おう》の直下で生きていたのだ。
 ローランはフランク王国に存在する誰よりもシャルルの寵愛を受け、地位と財と領土と名誉と力を惜しみなく与えられた。
 そしてついにはドゥーズペールと呼ばれる無類の強さを誇るフランク騎士達の頂点に君臨する十二名の聖堂騎士にまでのし上がった。
 一方の自分はといえば文官として懸命に王を支え仕えていた。穢らわしい母子を押し付けられ、様々な屈辱も黙って飲み込んだ。

 だというのに、結局自分には最後まで義息が与えられたモノの十分の一以下に満たないモノしか与えられなかった。

 ガヌロンはそれがどうあっても許せなかった………それこそ義息に殺意すら抱きかねないほどに……!

 とはいえまさか憎悪に身を任せシャルル王のお気に入りを殺してしまう訳にもいかなかった。
 だから彼はお互いの為にもローランを元よりいない子供、つまり他人として扱った。
 赤の他人ならばこれほどの憎悪や屈辱を抱く理由は無くなる。実に文官らしい理知的な考え方だった。
 義息に関心を持たず、愛情なぞ抱かず、だが外面を考えて廊下ですれ違えば一言挨拶はする程度の表面上だけの親子関係。
 己にはボードワンという愛すべき実子がちゃんと存在するのだから元より居なかった子供に構う暇など無い。
 ガヌロンは冷淡な態度をずっと貫き通し決してローランの動向に干渉しなかった。
 義息の婚約が決まろうと必要な形式だけ済ませ後は完全に無視した。義息がパラディンに選抜されようが知ったことではなかった。
 彼の不干渉の態度はどこまでも徹底していた。
 それこそ憎いからという理由でローランへ危険な任務を裏から手回しするような真似もしなかったのだ。
 そうすることでガヌロンはお互いの身の安全を確保した。


 それが侮蔑と憎悪と屈辱しか抱いていない義理の息子に対する彼の……父として唯一の愛情でもあったから──────。



 だというのにこの男は………この餓鬼は…!

「ではシャルル王、オレの義父ガヌロンなどは如何でしょうか? 我が義父殿は賢く冷静でありながら────」

 だというのに………それを、それをこやつは容易く踏み躙りおった────!!
 そうすることで貴様の身を守ってやっていたこの父を裏切りあまつさえ死ねと抜かすその思い上がり、断じて許すまじ……ッ!


 ガヌロンのその激怒の面相はそれこそ鬼人かと見紛うほどの凄まじきものだった。
 偽物《にんげん》は時として真物《かいぶつ》となる。
 人を鬼の形相に成り変える程の憎悪は人間《ガヌロン》の精神を鬼人《バケモノ》へ変貌させる。

 こうして……誰にも、当人にすら知られることなく、ガヌロンに魔が宿ってしまった─────。




「ならばオレが義父殿の代わりにサラゴッサへ参りましょうか?」
「引っ込んでおれこの戯け者がっ!! 指名されておきながらすごすごと退《しりぞ》くなどすれば儂の名誉に関わるわッ!」
 ローランの申し出を蹴り捨て、苦渋の面持ちながらも名誉のためにも使者としてサラゴッサへ行くことを承諾したガヌロン。
「シャルル王、恐らく儂は生きて戻って来る事はありませぬ。死ぬ我が身の唯一の心残りは一人息子ボードワンのこと。
 儂の遺産は全て息子に譲り渡す所存故にどうか陛下、倅に目をかけてくださるよう是非とも宜しく御願い申し上げまする」
 そう言ってガヌロンは使者の証である杖と和平を示す手袋をシャルル王より受け取ろうとした。
 しかし、不吉にも手袋はガヌロンの掌を掻い潜り……はらりと地面に落ちた。
 ガヌロンは素早く手袋を拾い不吉な予感で緊張する場を取り繕うとさっさと踵を返し出立の準備のため自分の仮宿へ戻って行く。


 そうして出入口《こちら》に歩いてくるガヌロンとその場にいたローランとがすれ違うその一瞬が───

「───覚えておくがいいローラン。儂にこのような死に様を与えたからには、おのれもただで済むと思うでないぞ」
 まるで呪い殺すような眼つきでオレを睨む義父の姿がそこにはあった。
「ハハッ! まっさか! いったい義父殿がなにをすると言うのさ?」
 この時のオレは義父殿にしては珍しく冗談を言うものだな、などと思っていた。
 きっと多少怖いからそういう事を言って自分を奮い立たせる為に言ったものなんだとばかり思い込んでいた。
 まるで本気にしていない義息《オレ》の態度により一際鋭くこちらを睨めつける義父《ガヌロン》。
 面白い冗談だと笑うオレ。
 なんていう愚かしい勘違いだろうか?
 なんていう致命的な間違いなのだろうか?
 今ならばきちんと理解できる。
 あんななんでもない一瞬のすれ違いこそがオレと義父殿を決定的にすれ違わせた瞬間だった。
 あれこそが致命的な決別《おわり》の瞬間だったのだ。
 あの憎悪の視線は正真正銘の呪いだ。
 あの呪いが成就したせいでオレたちは凄惨な破滅《さいご》を迎えてしまった。


 ────こうして悲劇の幕開けはゆっくりと始まったのであった。



 ローランへの憎悪が限界を超えたガヌロンは義息の死を願い、それに引き寄せられるイスパニアが誇る名将ブランカンドラン。
 そうしてローラン憎しと意気投合した二人はシャルルの右腕を亡き者にしようと裏で密かに手を結ぶ。
 知恵者たるガヌロンはブランカンドランを利用しまず己の身の安全を保障させ、さらに己に死の任務を与えた義息への復讐を計画した。
 謀殺の魔手の概要は以下の通り。

 まず帰還したガヌロンが殿《しんがり》にローランを指名する。ローランが残ればオリヴィエもほぼ確実に殿軍に残る事になるだろう。
 そこを完全武装したイスパニアの大軍が強襲して粉砕する。自分は本隊に残りそのままシャルル王をフランク凱旋の誘導。
 ローランとオリヴィエが死ぬことでイスパニアからはフランク軍が撤退し二度と攻めては来ない。

 利害が一致するブランカンドランはガヌロンの提案を飲みフランク軍の中核であるローラン謀殺計画に協力することに決めた。
 握手を交わしながら内心で利用される哀れな愚か者へ邪悪な嘲笑を浮かべる二人。
 当初の作戦通りシャルルをフランクへ撤退させた上で敵の中核まで葬り去ろうとせんブランカンドランの思惑。
 自身の命を保障させた上でローランを亡き者にし、ついでにイスパニア軍に手痛い損害を与えようとせんガヌロンの思惑。
 密約に従いブランカンドランは使者としてマルシルのもとへ訪れたガヌロンの命を守り、ガヌロンもまた計画を実行に移す。
 二名の知恵者による邪悪な思惑が複雑に絡み合う中。


 ついに大地と英雄たちを鮮血に染め上げる一大血戦の呪いが成就しまった─────!!



                  ◇            ◇




「シャルル王、このガヌロン只今サラゴッサより戻りました。これがマルシルより預かった降伏の品々で御座います」
「うむ、よくぞ務めを果し切ったなガヌロン伯よ。ローランの進言通りやはり貴公は武と知を併せ持つ英傑であった。
 マルシルの言う降伏条件の品は確かに受け取った。吾らはこれよりフランクへ帰国するが……さて、殿は誰が務めるべきか」
「では王よ。儂の義息ローランなどは如何で御座いましょう? 我が義息はフランク最強の騎士にして恐れ知らずの天下無双の英雄。
 御身の背を守る重大な責をこれだけ全う出来る適任者はまず他におりますまい。
 殿はまさに武人の誉れと呼べる重大な使命。なぁローラン、まさかおまえともあろう者が断りはせんだろう?」

 含みのある物言いでマルシルとの密約に従いローランを指名するガヌロン。
 若き騎士は勇ましくもその悪意を裏に隠した指名に同意を示す。勇ましい返事をしながら地に片膝を着き礼を取った。

「当然だぜ義父殿! 陛下、殿軍はオレが務め上げます! シャルル王はそのままフランクへ御帰還してくださいっ」
「……………………ガヌロン伯? ふぅ、やれやれ。キミが残ると言うならば相棒の私が残らぬ訳にはいくまい」
 ローランの隣にいたオリヴィエがこちらに微笑を投げかけて地に片膝を折った。
「オリヴィエいいのか?」
「では陛下私《わたくし》めも。神の御加護を殿軍に従事する者へ与えるためにも私も残った方が宜しいでしょう」
「テュルパン大司教も………」
「シャルル王、このアストルフォも殿に志願しましょう! ふっふ~君達ばかりにいい格好はさせないよ?」
「アストルフォまで……」
 それに続きテュルパンとアストルフォも顔に笑みを浮かべて殿に名乗りを上げた。
 するとジュランとジュリエの戦友コンビが互いの顔を見合わせ頷き。
「水臭いではないかお前たち! 我らは偉大なる聖堂王が誇る最強にして無敵の十二の聖剣なのだぞ? ジュランと共に僕も残る!」
 さらにアンジュリエ、オートン、ベランジェが豪快で猛るような高笑いと共に宣言した。
「大将が残っておきながら我ら将兵がおめおめ帰るなど天が落ちてこようとありはせん! 若僧共ばかりが活躍して貰っては困るぞ!」
 アンセイスやサンソンが自慢の髭を扱きながら口元に年季を感じさせる渋い笑みを浮かべ。
「何を驚いたツラをしておるかローラン。ヌシが残るのであればわしらが残るのも当然の道理ではないか、まだまだ青いのぅ!」
「それではシャルル王。ここに居らぬルノーを除いた残るパラディン全員、ローランと共に殿に志願致しますぞ!」
「みんな───!」
 オリヴィエに続き次々と殿への名乗りを上げたパラディンたち。皆のその友情と心意気にローランは思わず胸が震えた。


 ────だが青年は悲劇の到来が間近に迫っていることをまだ知らない。


「ローラン辺境伯よ御主の殿軍二万では少々心許なかろう。なんなら儂の兵団半分をそなたに預けるがいかがじゃな?」
「ありがたい申し出だけど遠慮するよネーム大公。
 オレにはみんなと二万の精鋭が付いてるから心強いし、それにネーム大公の兵を借りてしまえばその分シャルル王の護りが薄くなる」
 しかしな………。と食い下がるネーム大公の申し出をきちんと断ってからローランはシャルルより指揮官の証たる弓を拝借した。
「では弓を受け取るがよい、頼むぞローランにみなよ。しかし……う~む少々胸騒ぎがする。殿を務める者々は重々気を付けよ」
「はっ! お任せ下さい!!」
 最敬礼をするローランとパラディン達そして二万の精鋭を殿に残してシャルルの本隊は一足先に本国へ帰還していった。




 フランク軍本隊が視界から見えなくなったのを確認しローラン率いる殿軍は任を開始した。
 彼らが駐留するロンスヴォーはイスパニアとフランクの国境付近に存在する険しい峠である。
 この場所に駐留する理由は地形上の問題で仮にマルシル軍がシャルル軍を追撃しようとしても必ずこの峠を通らねばならないためだ。
 兵たちは密集し過ぎず離れ過ぎずの適度な距離を保ちながら楽な姿勢で周辺に気を配り不信な点がないかを確認している。
 展開する殿軍の中央部では同じように楽な姿勢をしたローランとオリヴィエが木陰で肩を並べて座っていた。
 視線を上げると空が青い。大きな雲が散らばるこの青空はどの地で見上げても変りなく美しかった。
 そんな事に想い巡らせているとオリヴィエはふと故郷で待つ妹の姿を思い出した。

「なあローラン、これが終わればついにキミも結婚だな。イスパニアとの戦争が始まってもう七年か……長いものだ。
 オードも随分と長く待たせてしまった。そのことについて君達の兄である者としてすまないと思っている」
 目線は空を見つめたまま感慨深そうな声でオリヴィエはそんなことを口にする。

 騎士達の士気を維持する為にもオリヴィエは悪いと思いながらもローランとオードの結婚を終戦まで延期させた。
 結婚にはフランクまでローランを戻す必要があった。だが戦場にローランが居るか居ないかでは兵の士気がまるで違ったのだ。
 そのためオリヴィエは義弟と妹を愛する兄としてではなくフランクの将としての苦渋の決断を下さねばならなかったのだ。

「よしてくれよオリヴィエ。君が謝る必要はない。しょうがねえさ悪しきサラセン人との戦争なんだ。
 しかもシャルル王やオレ達がこの戦に負けちまえばヨーロッパの聖なるキリストの国々がサラセンの国にされてしまう。
 そんな緊迫した状況で最前線の先頭に立つオレがノンキに結婚ってわけにもいかないってのぐらいちゃんとわかってるさ。
 オレはちゃんと納得したし、オードもオレが必ず帰る事を条件に結婚の延期に納得してくれたんだぜ? だから謝んなくていい」
 本当にすまなそうに詫びるオリヴィエにそんなの気にすんなよと言ってやる。
「………そうか、ありがとう。しかし本当にいよいよなのか───ああ、今からとても楽しみだ」
「オレも王に徹底抗戦を進言したけどさ、本音を言えばイスパニアとの戦争に終戦協定を結べて正直ホッとしてんだぁ。
 あと一息の所まで来たけどそれでも早く帰れるもんなら一秒でも早くオードの所に帰りてぇもん。
 あぁオード今頃どうしてるかなあ………なあオリヴィエ、オレ国に帰った時オードにチューしていい?」
「……………ぬ?」
 婚約者の美貌を思い出してボーっとしてたのが仇となったっぽい。
 シスブラコンなオリヴィエ兄ちゃんの面前でとんでもない墓穴を掘っていた。
 いかん怒られるぞこりゃ……とオレは慌てて弁解した。

「──あ! い、いや別にやましい気持ちはないぞ?! 凱旋した時の親愛のちゅーと言うか自分へのご褒美というか……!
 おでことかほっぺとか、その……ほら、唇……とか……やっぱダメ? あそうですか駄目ですかオリヴィエお兄様……」
 後半になるにつれて言葉の勢いが萎んでいく。うちの兄ちゃんはそういうのに厳しいのだ。
 しかしなんと今回は解答が違った。
 照れ臭そうに申し出る純情青年に義兄はつい噴き出しそうになるのをぐっと堪らえ穏やかな声で頼もしいGOサインを出してくれた!

「フ、ああ今回は特別だ許す。凱旋と同時に結婚式を挙げてそのまま初夜だ。翌日もそのまま城下町を挙げて大々的な宴を開こう!
 めでたい日になるんだから少々のフライングは大目にみるさ。抱きしめても口づけでもなんでもしていいぞ?
 ああそうだった忘れていた。国境を越えたら初夜での手順をある程度教えておこうか? 正直な話キミまともに知らないだろう?」
「マママジすか!? お、お、おうっ! ぜぜ是非教えてくれ! っていうかいいのかオリヴィエ!?
 チューどころかその先まで?!! パ、パラダイス?! いやこれが世にいうエデンってやつなのかー!!?」

 オレはお兄様の素晴らしい申し出にコクコクコクと何度も頷いた。オードの手前、褥《しとね》での恥は断固としてかきたくない。
 息子が二人もいるオリヴィエが手順や心構えを教えてくれると言うのなら心強いことこの上ないぜ! 否、勝ったも同然だ!

「何を言うローラン、夫婦が褥を共にするのは当然だろう?
 結婚するまでは清い関係を強要したのは私だが、いざ結ばれたら後は何をしても構わないさ。
 オードは無論純潔だ。最初は当然痛がるだろうから我慢させる殺し文句もキミに教えておこう」
「くはぅっ!! オリヴィエに後光が差して見えるよ神様! 美人の妻がいる英雄はこんなにも違うというのかー?!
 オオオオリヴィエセンセー! さわり、さわりの部分だけでいいからちょっと教えてくれっ!」
「今か? やれやれしょうがないやつだ。いいかまず女性を愛撫する時だが力を入れてはいけない。
 キミは馬鹿力だから特に注意しろ? そう卵だ。卵握る程度の力しか入れるな。
 もしそれ以上の力で握ると……そう例えばいつもの兎をふん捕まえる時の様に握れば───オードの体が失くなると思え?」
「なぁ……失くなる!? ウウウサギでダメなのか!? 兎でオードの体が失くなるのか!? 触らない方が良くないかそれ!?」

 な、なんてことだ。女の体は卵ほどの強度しかないなんて初めて知ったよ!
 ってかそれオードのおっぱい触れないじゃんオレ! どうするのオレ?!

「でもまあ卵握る程度の力でも色んな部分が潰れるがな、こうぐにゃっと痛々しいぐらいに……!
 最初は色んな意味で戦慄するかもしれんが"ソレ"は"そういうモノ"なんだと覚えておくといい」
「つつつ潰れるのか!? 卵握る程度の力でもぐにゃっと潰れちまうのか婦女子の体は!? どうなってんだ女子は!?」

 てかそういうモノってなんだ!?
 戦慄するって褥でいったい何が起こるんだよぅオリヴィエ……かなり心配になってきたじゃないかくそぉ……。

 オリヴィエはさらに慎重そうな表情ですぅっと息を吸い一拍間を置くと、核心を伝えるように重々しくこう言った。
「そうだ。そしていよいよ挿入れる際は自分を亀だと思うといい。間違ってもウサギだと思っては駄目だぞ?
 キミは亀だから速くは動けない。それが絶対ルールだ。ゆめゆめ忘れるな、もう一度言うがあんまり速く動いてはいけない。
 キミが本気でやるとオードが破壊されかねん!! 私としてはそれが一番心配だな……」
 な、なんだとぉぉぉおおお───!!?
 ローランに電流走る。
「は、は、破壊されるのかー!? オード死ぬ危険性があるの? なんて恐ろしいんだ初夜は……なあ危険すぎるぞ……?!」
 ば、馬鹿な……!? ってことはもしオレがウサギにぐらいの俊敏速度で動いてしまえば……。

 一歩間違えばオードは……オードは───死ぬ……ッ!?!?

「ああその通り。破壊されて血がダラダラと……! 亀でも危険なのにウサギのごとく素早く動くとさらに悪化するんだ」
「いいい、医者か!? そうなったら医者がいるのかオリヴィエ!?」
 なんかよくわからずパニクる義弟を義兄は妙にテンションの高い声で励ました。
「いいや医者はいらない。その段階で女性に必要なのは医者ではなく殺し文句だ。
 オードにはこう言えばいい、"苦しいだろうがオレの為に耐えてくれ"とな。それで彼女の容態は安定するだろう。愛って素晴らしい」
「なにそれ!? 容態が安定する聖言か!? 教会の聖者御用達の奇跡か神秘かなにか!?」
 そんなんで治るって本当にどうなってんだ女の体!? もしかして男の体よりも凄いんじゃないのかー!?
 今まで知らなかった驚愕の新知識を賢い親友に与えられ、もうどうしていいかわからない程あたふたと混乱するオレ。
 どうやら彼は親友の言った言葉を寸分違わず信じたようだ。

「まあ予習としてはこんなところか。これ以上キミに詳しく教えるなら書物が要るだろうから帰国してからまたな」
 と、二人が腰掛けていた木陰の裏から同じくパラディンであるオートンがその厳つい顔をニヤつかせながらひょっこりと現れた。
「おお何だ何だ? ローランのやつ今頃オリヴィエ先生の性教育授業か? 
 いやぁいいねぇ、いいじゃねぇか清童と乙女の初夜。しかも美人だってんだから羨ましいぞこいつめー!」
 どうも彼の言動から察するにどうやら今の話の一部始終に聞き耳を立てていたらしい。

「うるせえオートン! ニヤニヤすんなぶっとばすぞーコノヤロー!! こらー逃げんなー」
「だーっはっはっは! うおーいーみんな逃げろやー! 清人さまであるローラン殿が追って来るぞー!」

 からかって逃げるオートンをローランが追う。そしてそのまま二人してどっかへ走り去ってしまった。
 すると今度は同じくパラディンの老騎士アンセイスがさも愉快そうに笑いながらやってきた。
「フォッフォッフォ、相も変わらず元気な若者よ。ところでのうオリヴィエよ。御主ちゃっかり楽しんでおったな?」
「フフ、やはりわかりますかアンセイス殿? いやアイツの反応があまりに面白かったのでつい、ね。
 まあローランにはフランクに帰ったら書物を使ってちゃんと正しい知識を教えてやるつもりですよ」
「うむ、そうしてやるとええ」

 待てーっとオートンを追いかけるローラン。
 その様子を見ていた周囲にたちどころに笑いが広がっていく。
 本当に長い戦だった。でもそれもこれで終わる。
 やっと帰れるのだ。フランクに……オードの処に。


 この殿を見事務め上げて有終の美と婚儀に花を飾るんだ!!



          ◇              ◇


 シャルル王の撤退後しばらくの時間が経ち、さあ自分たちも徐々に後退を始めようとしていた矢先。
 まるで滑り込むようなタイミングでとある一人のサラセン《イスパニア》人の使者がローラン達の所へ訪れた。
 なんと使者は殿を務める勇者たちを労いと和平の宴に招待したいと申し出たのだ。
 ローランはこれを承諾。すると使者はこの峠に宴の場を設けるのでしばらく待つようにと言い残し去って行った。
 風下へ向かってゆったりと流れる雲が時間の経過を感じさせる。

 それからさらに時間が過ぎ、待機中の彼らはどこからともなく聞こえてくる地鳴り音に気が付いた。

「……ん? ねえローランにオリヴィエ、さっきから聞こえてくるこの地鳴りのような音はなんだろうね?」
「ほぅアストルフォも気付いておったか。ならばこの老骨の空耳というわけじゃ───む? 皆の者あそこを見よ!!」
 その場にいた全員が一斉に初老騎士アンセイスの指差す方へ目を向ける。
「な─────んだと」
 誰ともなく驚愕の声が漏れた。

 彼らの目に飛び込んできたものは………膨大な人数が隊列をなすサラセン大軍であった───!!

 軽く見比べてもこちらの五倍の戦力。彼我兵力差1:5。数にして約十万騎もの大軍勢である。
 この異常事態を真っ先に正しく把握したのはパラディンが誇る智将オリヴィエだった。
「なんて数だ! キミを殿に指名した時の様子が妙だとは思っていたがガヌロンめ……まさか最初からこういう腹積もりだったか!?
 だとすればなんと卑怯な愚劣漢なり! 奴はこうなることを知っていた筈だあの裏切り者め!
 宴の招待もそうだ、ローランの性格上まず断られないと知っていたガヌロンが奴らに吹き込んだ策略だったに違いない!!」
「やめろオリヴィエ! 君の口から義父殿の悪口は聞きたくねえ!」
 しかしローランはオリヴィエと意見が違った。義父への怒りに震える親友の罵倒が耐えられなくなり強めの語調で友の口を黙らせた。
 まだ義父が裏切ったとは決まっていないのだ。そんな状態で親友が義父を罵倒する姿を見るのは辛かった。
 オリヴィエの方もこちらのそんな心情を察してか、ひとまずガヌロンへの悪態をやめてくれた。

「わかったキミがそういうのならこの件は一旦保留しよう。
 だがそれよりもオリファンを吹くんだローラン!! 奴らはこちらを殺る気だぞ! 今ならまだ間に合う、さあ王を呼べ!!」
「駄目だオリヴィエ。角笛《オリファン》でシャルル王は呼べない……!
 もし奴らが本当に宴を開いたのならそれこそ取り返しのつかない大恥を晒すことになるんだぞ!?」
「確かにそうかもしれないが今はそんなことを言っている状況ではないだろう?!」
「だからって宴に招待されてそれを受けた以上は招待者を疑う訳にはいかねえよ!
 それは騎士としてもキリスト教徒しても恥ずべき行為だろ!!」
「正論だが今回のは明らかに別だ! あれだけの人数の宴があるのか?!」

 ローランは一体自分が何を選択すべきなのか、これほどの葛藤をしたことは今までになかったかもしれない。
 名誉か安全か、そして何を信じるか。
 サラセン人は宴を開くと言った。オリヴィエの言うように嘘なのか? それとも本当なのか?
 だがもし義父殿が裏切っていたとしたら? 最悪戦闘になる。 いやでも義父殿が裏切る事なんてありえないからそんな心配ない?
 ならあの宴の話は本当なんじゃ? でもオリヴィエはヤバいと言ってるし正直オレもヤバい気がする。
 いやでもだからって我が身可愛さに招待者を疑うのは騎士としてもキリストの教えを信じる者としても恥……!
 でもしかし………ああークソッ! 混乱してきやがった。オレはオリヴィエみたいに頭良くねえんだぞッ!
 どうするどうすればいい。オリファンを吹いて宴を開かれたら大醜態。パラディンのみならず聖堂王の顔にまで泥を塗る。
 しかしもし宴が嘘なら罠でそのまま戦突入で大惨事。くそどっちも駄目じゃんか!
 ん? 大惨事……? ってことはオレ達が……負ける? いや、待てよ? 要は角笛吹かずに大惨事を避ければいいわけか?

「ローラン! 私を信じろ! オリファンを吹き今すぐシャルル王を呼ぶんだ!!」
「駄目ったら駄目だ! みんな聴け! もしマルシルが奇襲を仕掛け戦になるようならば、オレたち殿軍はこのまま奴らを迎え撃つ!!」
「……なっ、本気かローラン!? どう見ても連中の数の方が圧倒的に多いんだぞ!!?」
「あんな数だけ無駄に集めた雑兵軍団なんて屁でもねえやい! 大丈夫だこっちにはオレがいる!
 君だっているし"十二振りの聖王剣《ドゥーズペール》"もいるんだ!! 負けるわけがねえ!!」





 ────ドグン、と。
 一際強い衝撃が体の芯を打ちのめした感触に英雄の記憶を眺める観客《あやか》は嘔吐しかけた。
 この痛いぐらいの衝撃は決して越えてはならない地点を通過しようとしているせいで起こっているのだと。
 そう理解したと同時に、自力では目覚めることの出来ない深海ような場所《やみ》にズブズブと沈んで……否、飲み込まれていく。
 少女はその深海の最果てで、白い騎士が悲しみに泣き暮れる声を確かに聞いた───。






 夢を見ない当人《ローラン》の知覚出来ない無意識《ゆめ》の領域で。

 ────あの絶望の光景がまざまざと観客《あやか》の脳裏に蘇る。

 いくら悔んでも、どれだけ己を呪ってもなお足りない悔恨。
 それは痛恨の判断ミス。でもオレはこんな結果になるなんて想像もしていなかった。
 だってそうだろう?
 自分たちはいつだって強くて誇り高くて最強で、オレとオリヴィエが組んだだけでも無敵だったんだから、
 これにさらに誉れ高き聖堂王シャルルマーニュの"十二振りの聖王剣"《パラディン》までもが加わったんだ。
 それこそこの世で出来ないことなんてなにも存在しない。

 そう、たとえ敵が十万騎の大軍勢だってオレとオリヴィエとパラディンがいる二万のフランク軍なら討ち破れると本気で信じてた。
 だからこれは敵の罠だ角笛を吹き王を呼べと助言してくれた親友の言葉さえも頑なに聞き入れなかった。



 もしここで角笛を吹けばオレだけでなく十二聖堂騎士までもが敵に臆病者と嘲られるのがどうあっても我慢ならなかったら────。



「────戦場で死せば清なる殉教の徒として天国での御座が与えられん。神の御加護があらんことを、アーメン」
 アーメン。と二万名のキリスト教徒の祈りの合唱を締め括り、大司教テュルパンは戦前の洗礼を完了した。
 大将のローランと副将のオリヴィエの激励を受けて士気を急上昇させるフランク軍の誇る頑強なる強者たち。
 彼らの瞳には大軍勢を前にしているというのに大した恐れも感じていない。

 そう、なぜなら彼らには────。

「我らが聖堂王に仕える一騎当千の猛者たちよ! 約束しようオレたちは必ず勝利するぜ!! 
 なぜなら我が軍には二万人ものフランクが世界に誇る最精鋭たちと十一人のパラディンがいる!
 そしてなによりこのオレがいる──ッ!!! 正義の刃の味がどんなものか邪悪なる神の信徒どもに教えてやるんだ!!」
「強者達よ腹を決めろ!! 怖れは勝利を遠ざける! キリストの加護ある我らにこそ正義はある!!
 全員恐れず我らについて来い!!! 勝利は我らにあるぞ──ッッ!!」

 ─────絶対的な信頼を集める英雄たちがついていたからだ。

 うおおおおーモンジョワー!! と二万の雄叫びが怒号となってロンスヴォー峠を震わせた。
 彼らは心より信じている。聖霊と天使に護られ、ローランとオリヴィエとパラディンが味方についている自分たちの勝利を。
 無茶な戦いや無謀とも思えるような戦争などいくらでも彼らと共に乗り越えてきた。いくらでも無理を粉砕してきた。
 それに比べれば推定十万程度のサラセン軍なぞ恐るるに足りない……!
 愛馬に跨り、腰の鞘には長剣を、頭部には兜を被り、左手には盾を持って、右手にはランスと弓矢で武装した二万のフランク騎士。
 勇ましい面持ちで大将が命令する突撃の瞬間を今か今かと待つ。

「さあゆくぞみんな! オレのデュランダルに続けぇえ───ッ!!!」
「うおおおおおおおおおおお!!」



 ───ついに運命の血戦の火蓋は切って落とされた─────。





 馬に乗った両軍の疾走が双方間に存在する空白部分を埋めていく。
 血戦の初戦は天剣の勇将ローランとマルシル王の甥であるアエルローという奇しくも王の甥同士の決闘からだった。

「ふんっ! 薄汚いキリストを信仰する愚かなるフランク人どもよ! よおく聞けい!
 アッラーこそが本物の神なり、貴様らの崇めるものは真っ赤な贋物に過ぎん! それを証明する証拠もあるぞ。
 アッラーは我らに加護をお与えになりお前達を滅ぼす機会を下さった、逆に貴様らの崇める贋物は滅びを用意してくれたようだぞ?
 貴様らは自らの仲間であったガヌロンに裏切られた挙句シャルルマーニュの右腕は無様にこのロンスヴォーにて討ち死にするのだ!!」

 アエルローが挑発を交えて槍のような槍剣を鞘より抜き、そのまま軍馬と共に怒涛の勢いでローランに突貫してきた。

「嘘を吐くんじゃねぇッ!! ガヌロンはオレの義父だぞ!
 義父殿がシャルル王を、フランクを裏切ったなんてデタラメ抜かすんじゃねえこの野郎死ねッッッ!!」

 こちらも駿馬ヴェイヤンチーフを走らせると怒り任せにデュランダルを渾身の力で薙いだ。
 豪快な剛剣が長大剣を打ち破る。
 決闘の勝敗は一瞬で着いた。
 アエルローもマルシルがこちらの"十二振りの聖王剣"に対抗してイスパニア中から選りすぐった十二人の精鋭戦士だったのだろう。
 だが今度ばかりはどうしようもなく相手が悪かった。
 どんなにイスパニア国内で最高の戦士の一人であっても上には上がいる。フランクには現地上最強の生き物がいた。
 オレはアエルローが打ち込んできた大剣を真っ二つに斬り裂くとそのまま三重に着込んだサラセン製鎖鎧も体ごと両断してやった。
「ぐぼハァッ───ゴ、ボッッ!!!?? マ、マルシル王……仇、を…………」

「見たかみんな! 一番槍の功名はオレたちにあったぞ! つまり正しきは我らだ、神の御加護を与えられているのはオレたちだー!」
 ローランの勝利喝采で勢いに乗ったフランク軍は怒涛の進軍でイスパニヤ兵を次々と蹴散らしてゆく。
 剣戟の音と殺傷による悲鳴が無秩序なメロディを戦場に奏でていた。モンジョワと鬨が味方を鼓舞しそれに応える一撃で敵を討つ。
 総数こそ違えど個々の兵の質はフランク兵士達の方が圧倒的に上だった。
 それこそ現地上における最強の錬度を誇る兵団たる彼らのその栄光と名声は遠く離れた東アジアの国カタイまで届くほどである。

 兵の奮戦に共鳴したローランたち十二聖堂騎士も合戦に混ざり襲い掛かってくる敵を一人また一人と討ち取りながら、
 マルシル王選りすぐりの最精鋭であるイスパニヤ十二傑衆との一騎打ちに挑んでいった。

 決戦開始早々に各所で十二騎士とイスパニヤ十二傑衆が激しい死闘を演じる。
 その英雄同士の激しくも天晴れな戦いっぷりは合戦の最中であってもつい敵兵同士が刃を止めて見惚れてしまうほどであった。

 浄剣の智将オリヴィエ対マルシルの弟で大悪漢のファルサロンの決闘はオリヴィエの槍がファルサロンの心臓を撃ち抜き勝利した。
 大司教テュルパン対バルバリアの王にして妖術士コルサブリスの戦いはテュルパンが聖なる秘蹟で敵の魔術を打ち破り鉄杖槍で撲殺。
 双子剣のジュラン対マルプリームはジュランの愛馬ソレスを巧みに駆使した騎馬攻撃でマルプリームを討ち取り。
 同じく双子剣のジュリエ対アミラッフルはジュリエが小細工抜きの真っ向勝負を挑みオリヴィエが讃える程の圧勝をみせる。
 激震の大公サムソン対アルマソールの闘いは序盤サムソンが圧され窮地に立たされるがそこから宝具で逆転勝利を見事もぎ取った。
 豪勇の老騎士アンセイス対チュルジスの決戦はアンセイスの老獪で卓絶したフェイントでチュルジスの首を切り飛ばし勝利。 
 地獄落としのアンジュリエ対エスクリミスの決闘はアンジュリエの鉄槌が盾ごとエスクリミスを叩き潰し圧死させた。
 怒涛のオートン対エストルガンは互角の好勝負を演じたが体力に優れるオートンが押し切りそのまま一本勝ちとなった。
 瞬槍のベランジェ対アストラマリスの決闘はベランジェの槍が目にも留まらぬ連打でアストラマリスを切り刻んで倒す
 魔道騎士アストルフォ対フルロットの闘いはアストルフォが苦戦するも落馬の魔槍と魔獣グリフィンで何とか勝利を得た。
 そしてローラン達より一足遅れて決戦に参戦した聖火の剛剣ルノーも決闘の末に剣鬼ブジャフォルテを見事討ち取ってみせた。

 そうやって合戦もこなしながら次々とイスパニア十二傑衆を討ち取っていく十二聖堂騎士。
 結果だけ見れば十二聖堂騎士の圧倒的な戦績ではあるが、断じてイスパニア十二傑衆は弱い者たちはない。
 イスパニアでは百の戦士にも匹敵する力を誇った彼らだ。そんな彼らが脆弱な筈が無い。
 これは単に桁の違いの話に過ぎない。イスパニア十二傑衆が一騎当百の武人なら、聖堂十二騎士は一騎当千の武人であっただけ。
 唯一人サラセンの教皇マルガリスだけは目当てだったオリヴィエとの遭遇を果たせず、一旦兵を纏めるべく悠然と去って行った。

 そんな両雄の戦いぶりに続きより激突の激しさを増していくフランク殿軍とイスパニヤ軍。
 混戦は苛烈を極め敗れた者の鮮血がロンスヴォーの大地を朱に染め上げてゆく。
 しかしオレたちは怯まず全力で戦った。
 無数の敵を斬り捨てて、兵を指揮し、弱気な味方には激励を飛ばして、危機に瀕した仲間は助ける。
 十二騎士とフランク兵たちは次々に敵を倒し、時には倒されながらも奮戦を続けた。

 するとそんな激戦の最中で妙な光景が視界の端に映ったのだ。
 少し離れた場所で一人、漆黒の甲冑を纏ったオリヴィエが何人ものサラセン人と戦っている。
 だが問題はそこではない。オリヴィエは何故かいつまでも穂先の折れた槍の柄で戦い続けていたのだ。
 不審に思ったオレはオリヴィエに向かって叫んだ。
「おいオリヴィエー! なぜオートクレールを抜かないんだー?!!」
「でやっ! ……ああ、それがちょっと敵が多すぎてな。愛剣を抜く暇が無いんだ!!」
 そう軽く言いながら流麗な太刀捌きで次々と己に向かってくる敵の意識を棒切れ一本で確実に刈り取っていくオリヴィエ。
 小賢しくも連中はかの名高い英雄の愛槍が折れるという危機的な状況を好機と取ったのだろう。
 最高の名誉と武勲を掠め取ろうと角砂糖に集る蟻の如く次から次へとサラセン兵がオリヴィエに襲い寄ってくる。

「チッ、アイツら正々堂々と戦えないのか……! 待ってろオリヴィエ今助けに行くぜ! おらどけどけどけーー!!」
 そんな親友のピンチを見せられては黙って傍観している訳にはいかない。親友の下へすぐさま駆けつけた。
 己の命を預ける戦友となり二人一組で戦う慣わしがフランク騎士の間にあるのはこういう時の為なのだ。
 オレはまず自身の周りにいた敵を全て瞬殺し、次にオリヴィエの周りに群がって来る敵もズバズバと切り捨てていく。

「ふぅ、一丁上がりだぜ! ほら、これでちゃんと抜けるだろ?」
「ああすまない、おかげで助かったぞローラン! ───さあ、ゆくぞ我が聖剣オートクレールよ!!」
 オートクレールの清らかな煌きが戦場の一角を淡く照らす。
 ローランのデュランダルとオリヴィエのオートクレールの一閃が数多のサラセン兵を盾を鎧を兜を武器を紙の如く切り捨てていった。


 別の場所ではテュルパンが敵の頭蓋を打ち砕く。アストルフォの魔法の槍が敵を落馬させヒッポグリフがとどめを刺す。
 ルノーの炎の聖剣フランベルジュが文字通り火を噴く。ジュランとジュリエの戦友コンビが見事な連携を執って敵を刻む。
 豪勇の初老騎士と謳われたアンセイスと激震の大公と恐れられたサムソンが兵を率いて敵を蹂躙した。
 それにアンジュリエ、オートン、ベランジェも同僚に負けじと多くの敵を蹴散らしてゆく。
 無論将兵も頑張っている。奇襲や挟撃に用心し向こうの丘で展開していた守備隊長ゴーチェと守備隊が防衛線を必死で死守する。
 一足遅れて参戦したルノーの従兄弟で宮殿魔術師マラージの魔術が炸裂し、ルノーの弟リッチャルデットの華麗な剣技が敵を討つ。
 それにイヴァン、イヴォール、ジェラール・ド・ルッションなどの武勲ある勇士たちや多くの兵と騎士たちが奮迅奮闘していた。


 ローランたちは粗方のサラセン兵を倒し周囲の状態を見渡してみると、敵の数は明らかに激減し、残存する敵兵も少なくなっていた。

「────よしいける! やはりオレたちが力を合わせれば勝てない敵なんて存在しないんだ!!
 みんなもう一息だー! 一気に畳み込むぜ、オレに続けえ勇敢なるフランク騎士たちよ!!」
「うおおおお!! 者共、ローランの後に続けぇ!! キリストの正義を示すのじゃ!!」

 怒号を上げて畳み掛けてくるフランク軍にイスパニア軍の残存兵は津波に飲まれる小舟のような呆気無さで瓦解した。


 そうして激戦の末───。
 ついにローランたちフランク殿軍はたった二万の戦力で十万ものイスパニヤ軍を討ち破ることに成功したのであった!!



                ◇              ◇


「うっ、ひぐっ、えぐっ……!! うああああマルスー! ロードガンにショパン! お前たちの仇は討ったぞ、ひっくえっぐ!」

 一段落した戦場のそこかしこから嗚咽が聞こえてくる。戦いの余韻を残す血臭漂う戦場で死んだ友の亡骸を前に涙する騎士たち。
 勝利は得ることが出来た。だが払った犠牲も少なくはなかった。
 二万いたフランク殿軍は今の合戦で半数近くの犠牲者を出してしまっていたのだ。
 残る兵力は約一万二千。まだ到着していないルノー以外の十一名のパラディンたちは全員無事である。

「ぐすっ、すん! うぅぅローラン、多くの友と仲間が死んでしまったよ……僕はどうすればいいんだろう……」
「言うなアストルフォわかってる。みんな天国にいったんだ…………うわああんオリヴィエー! アンデルセンが死んだー!」
 オレやアストルフォは仲間の死が悲しくてわんわん泣いていた。

 ────でもオレたちには同志の死を悲しむ暇すら与えられてはいなかった。

 偵察に出ていたオリヴィエが深刻な表情で愛馬と共に舞い戻って来たからだ。

「ローランにみんな! 残念だが泣いている暇はないぞ! マルシルがまた攻めて来た!!」
「なにっ!!? よぉしこうなったら戦死した仲間の弔い合戦だ! マルシルもサラセン軍も纏めてやっつけてやらぁ!!」

 弔い合戦に意気込むローランたちを再びガヌロンとマルシルの謀略が襲いかかる。


「さあ勇猛なるイスパニヤの勇士達よ! 忌々しきキリストの下僕供は瀕死であるぞ押し潰せ! アッラーの鉄槌を下すのだ!」
 大地を地響きと雄叫びの合奏で激しく奏でながら、猛然とした勢いで迫り来るマルシル王自らが率いるイスパニア本隊。

 両者の激突はまず避けられないし、それに両者共に決戦を避けるつもりも毛頭なかった。
 互いの胸にあるのは怒りの念である。この焼けつくような怒りが敵を倒せと訴えかける以上誇りにかけて退くものかよ。




 ─────そしていつもこの情景でとてつもない後悔の念に襲われる。

 どうしてオレはあの時、親友の助言にちゃんと耳を貸す事が出来なかったのか─────?




「みんな聞いてくれ! この戦はきっと歴史に名を残す一大決戦となるだろう──!!
 正義を信じろ! 悪神に仕える悪魔たちに勝つんだ!! そして散っていった仲間たちの仇討ちを果たすんだッ!!」
 応!とローランの激励に応え士気を上げる仲間たち。

「オリヴィエ大丈夫さ、さっきも勝ったんだ今度も必ず勝つ。
 オレはデュランダル、君はオートクレールを以て戦おう!! この聖剣に汚名は残さない───!!!」
 ローランの激に肯きで答えるオリヴィエ。

 そうして再び激しい死闘が始まるのだった。



 ────我ながら皮肉過ぎて失笑が漏れる。なにが歴史に名を残す激戦か。

     この血戦の意義なぞ所詮、一人の愚か者が大切な仲間達を皆殺しにした茶番劇でしかなかったと言うのに────!!





 一言でいうならば─────ロンスヴォー血戦第二幕は悲惨なものだった。
 たった二万のフランク殿軍と第一陣特撰兵団十万と第二陣本隊三十万の合わせて約四十万のイスパニア大軍との戦争。
 多大な損害を被りながらもたった二万の兵で十万もの膨大な数の特撰兵団を打倒した事が既に奇跡に近い偉業だったのだ。
 奇跡とはそう何度も起こるものではない。
 次第にマルシル本軍の圧倒的な数の暴力に圧され倒れてゆくフランク兵たち。

 そんな大苦戦の乱戦でオレは腑に落ちない違和感に気づいてしまった。
 ローランの視線の先には、ガヌロンとローランの母の息子でローランの弟にあたる騎士ボードワンがいる。
「おかしい……さっきからずっとボードワンだけが敵から攻撃を受けていない……?
 そういや撤退前に義父殿からあの変わった服を貰ってたけど─────まさか!!?」

 初戦で戦った戦士アエルローの言葉を思い出す。奴はガヌロンが裏切ったとハッキリ断言した。
 あの時は信じなかったが、もしあの服をガヌロンがマルシルから貰った物品だったとすれば─────。
 それを息子に着せるのは当然ではないのか? 義父殿はボードワンを溺愛していた。なら戦死しないよう工夫するんじゃないのか?

 信じていた義父の裏切りの可能性にカッとなったオレはあまり深くは考えずに近くで戦っていたボードワンを怒鳴りつけてしまった。

「おいボードワン!! おまえもまさか裏切り者なのか?! 違うと言うのならその服を脱いでみろ!!」
「なっ、いくらなんでも酷いではありませんかローラン兄上!! おれは父上のように裏切ってなどいない!
 服を脱げと言うのならこんな物……こうしてやるッ! どうですこれでいいのでしょう兄上!?」
 ローランの疑惑に憤ったボードワンはガヌロンに貰った服をビリビリに破り捨てて見せた。
 だがそれがいけなかった。
 ガヌロンがマルシルより貰い受けボードワンに着せた服は敵に敵と認識されない、というイスパニアに伝わる神秘の服だったのだ。
 父に与えられたその服の意味を知らずに脱ぎ捨てたせいでボードワンはサラセン兵に敵と認識されてしまい────。

「うおあっ!? いつの間にこんな傍に敵が……死ねフランク人!!」
「ぐふっ────あが!!?」

 ────複数の敵に集中攻撃を受けて崩れ落ちた。

「うわああああボードワーーーーン!!! 貴様らよくもおおおッ!!」
 オレは獣の様にボードワンを殺した憎き敵兵の所へ走るとあっと言う間に皆殺しにし、力失く倒れ伏す弟の体を抱き上げた。
「ボードワンしっかりしろボードワン!! クソックソッ! オレが不用意に怒鳴って服を脱がせたから……すまんボードワン!!」
「はぁはぁ……こ、これで、おれは裏切ってないと……ちゃんと、証明できたでしょう兄上?」
「あ、ああ! その通りだった! おまえは裏切り者ではなくフランクの誇り高い騎士だ!
 おまえの仇はちゃんとオレが討ってやったぞ。だから安心して天国へ逝け」
 最後に微笑み僅かに頷くとボードワンはずっと交流の薄かった兄の逞しい両腕に抱かれたまま息を引き取った。
 これで確定した。最悪の推測が真実であると証明された。
 オリヴィエの言った通りガヌロンはこうなることを全て知っていた!

「本当に────すべて……すべて貴様の裏切りによる企みだったのか!! 絶対に許さねえぞガヌロン……ッッ!!!!」

 信じていた義父の裏切りを知り怒れるローランは鬼神の如き強さで単騎敵陣へと突っ込んで行った。 
 


 しかし多勢に無勢の戦力差はそうそうに覆せるものではない。
 パラディンたちやフランク兵がいくら敵を倒しても、マルシルは平然とした態度のまま兵士をそれこそ無尽蔵に送り込んでくる。
 先の戦で激しく消耗していたフランク軍は、屈強な兵のみならず武勇のある騎士も次々と討ち倒されていき。

 ────ついには彼らにとっては最悪な事態………すなわち"十二振りの聖王剣"さえもが斃れだしたのだ。


「その首貰ったァァア!! 飛ぶ様に駆けよ、バルバムーシュ────!!」
「───ハッ、しまっ────ゴ……ッッ!?!?」
 聖堂騎士アンジュリエが飛ぶ鳥よりも速く走る飛走馬バルバムーシュを駆るクラムボランの必殺の一撃によって討ち取られた。

「アンジュリエーーーッ!!! よくも私の仲間を────絶対に許さん、魂すらもぶっ殺すぞテメェ!!!」
、アンジュリエの死に激怒するオリヴィエ。一直線に襲いかかったが敵の動きが速すぎて攻撃がまるで当たらない。
 そこでオリヴィエは知恵を使い圧倒的な駿足を誇るクラムボランの飛走馬をまず潰した。
 馬をやられて無様に落馬するクラムボラン。その隙を絶対的好機と判断し高く跳躍するオリヴィエ。
 そして渾身の一発でクラムボランの頭部を兜ごと叩き割って見事仇を討ってみせた。


 また別の場所では同じく聖堂騎士のサンソン大公が大提督ヴァルダブロと戦っていた。
「ほらほらどうしたどうした!? これが邪王シャルルマーニュ御自慢のドゥーズペールとかいう懐刀の力なのか!?」
 ヴァルダブロは多数の兵を突撃させる戦法で圧倒的に数で劣るサンソンとその部下達を苦しめる。
「くっ……者共退《しりぞ》くなー!! 我が後に続けええ!!」
 一人また一人と斃れていく劣勢あっても勇猛な大将サンソンは愛馬と共に自ら敵将目指し前へ前へと雑魚を蹴散らして突き進む。
 そうして大提督ヴァルダブロまでもう一息という所で………ヴァルダブロの猛馬クラミモンが動いた。

「まあまあの武者っぷりだったぞ、ドゥーズペールよ!! だが之で終わりよ────踏み殺せクラミモンッッ!!!!」

 飛ぶ鷹よりも獰猛かつ速駆ける怪馬が主の命令に応じて高く跳躍する。
 馬鎧を全身に纏い計数百キロはある重量の軍馬が、そのまま数多の傷を受け満身創痍のサンソンの上に─────!

「うがああああああああああああああ───!!!!」
 耳を塞ぎたく破音と絶叫。大公サンソンは、大提督ヴァルダブロの猛馬の蹄で全身の骨をバラバラに粉砕されて力尽きた。

「────サンソン公!!?」
「さあ次はあそこで間抜けヅラを曝しておる若僧だ!!
 やれぃ、いくらシャルルマーニュの右腕と言えどこの多勢に無勢をひっくり返せる訳がない!」
 サンソンを仕留めた大提督ヴァルダブロは大部隊を率いて今度はローランに襲い掛かった。その数なんと実に千を軽く超えている。
 大提督の直属部隊に相応しい生え抜きの精鋭兵が英雄殺しの名誉を手にせんと連携を取りつつ数でこちらを圧倒しようとする。
 だがオレは降り注ぐ矢も飛来する槍にも全く意に介さずヴェイヤンチーフと共に突進した。当たる気がまるでしない。
 そしてその予感は現実のものとなった。

 ヴァルダブロ親衛隊はその異様な敵の姿に戦慄した。
 どういう訳だが敵にまるで攻撃が当たらない、たった一人をどうやっても倒せない……!
 正面から飛来する無数の矢や投槍を名剣デュランダルで切り払うのならまだわかる。
 だが奴は死角からの攻撃にすら瞬時に反応し防御や回避を行なうのだ。さらに訳が分からないのは直撃っているのに無傷である場合。
 またローランが気合の雄叫びも恨みの言葉も上げず無言で特攻してくる姿が死神めいて見え、より兵士の恐怖感を煽った。
 瞬く間に親衛隊の数が減っていく。自然災害に巻き込まれたように薙ぎ倒される。誰もたった一人の英雄の進撃を止められない。

 そして────サンソンがついに到達出来なかった大提督ヴァルダブロの懐へローランが飛び込んできた!!
「そ……そんなバカな、あれだけの兵をたった一人で───ッ!!? このヴァケモノめがぁあ!!!」
「くたばれヴァルダブロ、サンソン公の仇だ」

 ローランの刃よりも冷たく鋭い殺意の一刀が反撃にでたヴァルダブロの名剣を弾き飛ばし、心臓を両断した─────。

 それからオレは大提督の仇討ちに燃える残るヴァルダブロ親衛隊の残存兵を全て返り討ちにしてから、滲む涙を拭った。
「仇は討ったが……無念……オレたちは偉大な大将を喪っちまった………」


 しかし彼らの悲劇はまだまだ終わらない。

 初老騎士のパラディンアンセイスがアフリカの王子マルキアンの宝具"トレドの盾"の力の前に敗れ去ったのだ。
 悲しむチュルパンの大業物の名槍がマルキアンの腹を容赦なく串刺しにし老騎士の仇を取った。
 それでも悲しみは留まるところを知らぬとばかりに連鎖する。


「お前が"あの二人"が言っていたフランク最強のパラディンか? もしそれが真実ならこのおれと一騎打ちの決闘をしな!
 この戦でジュランとジュリエとか名乗るパラディンを殺す機会に恵まれたが両方ともに素晴らしい実力者たちだった。
 まっことフランクの騎士達は雑兵すらも歯応えがあって戦い甲斐があるわ!」
「きさま………まさか……」

 なんと無類のコンビネーションで数多の敵を屠って来た聖堂騎士ジュランとその戦友で同じく聖堂騎士のジュリエが───。
 そして多くの騎士達が……。
 オレの目の前で愛馬に跨り堂々と立ち塞がるカッパドキアの王子"断頭のグランドニー"によって敗れていたなんて───。

「あ、……あ、ああ……ッ!! あいつら……が、そんな───嘘だっっ!!!」
「嘘じゃねえさ、疑うならば─────この二本の名剣をしかと見るがいい!
 この剣こそは彼《か》の"双子剣"と畏怖された英雄達の愛刀なり!! 我が戦斧以上の切れ味を誇る素晴らしい名剣たちだぞ」
 グランドニーの野郎は自慢気にその薄汚い手でジュランとジュリエの聖剣を戦利品とばかりにオレに掲げて見せやがった。
 目眩そして嘔吐感。シェイクされた脳みそが吐きそうな未来を見せつけてくる。
 あの二人は自分とオリヴィエのように本当に仲の良かった二人だった。

 そんなジュランとジュリエの無惨な姿が────自分達の姿に重なる。

 頭を振ってくだらない幻覚を払い去りとにかくまずは目の前の怨敵に集中した。この男はあの二人が負ける程の実力者なのだ。
「てめえその汚い手で二人の形見を気安く触るな─────すぐに地獄に送ってやる」
 泣き怒れるローランがヴェイヤンチーフを疾駆させる。
「バカが、どいつもこいつもワンパターンな連中だ! 首を打ち飛ばせ────マルモニィィィィィッッ!!!!」

 大空を飛ぶ鳥すらも及ばぬ旋回速度を誇るグランドニーの軍馬マルモニーが猛突進を仕掛ける。
 騎手のグランドニーは敵の首に狙いを定め刃を構える。だが手にあるのはいつもの戦斧ではなくジュランとジュリエの聖剣だ。
 "断頭"の異名に相応しいそれはまさしく馬の速力と刃の切れ味を存分に生かした水平ギロチン攻撃。
 盾も鎧も真っ二つにするその豪快かつ無慈悲は斬撃でグランドニーはジュラン、ジュリエと無数の騎士を葬ってきたのだ。

「な………っ!!!?」
 驚きはグランドニーの口から漏れた。正面同士向い合っての突進だった筈がいつの間にか聖堂騎士の姿が───無い。
 馬に跨った両者が交差する数瞬前、オレはヴェイヤンチーフの背を足場にグランドニーの真上に飛んでいた。
 騎手を失ったヴェイヤンチーフは頭を低くして敵の断頭攻撃を上手に掻い潜り、残るオレは───。
「は、ふはは!! お見事なりキサマの勝────ぶがひ!!!!」
 天から地へ落雷のように垂直に突き下ろされた聖剣がジュランとジュリエ、その他多くの仲間たちの仇を貫いた。

 グランドニーが死んだのを確認すると、オレはすぐに親友の姿を探しに向かうのだった。


 それでも現実は非情なもんで敵は次から次へと増えていく一方、刻一刻と味方の戦死者も益々増えていった。


 オリヴィエと合流し背を守り合う形で戦っていたオレだったが、ジュランとジュリエの死を知った時に見た幻が未だに尾を引いていた。
「はぁはぁはぁ! くそっキリがない……! ローラン大丈夫か?」
「ふぅ、ふぅ、ああ! オレは全然平気だぜ!」
 どんなに強い超人でもスタミナというものは確実に存在する。
 無数の敵を討ち倒してきたオリヴィエもとうとう肩で息を吐いてしまうくらいに疲労の色が見え始めていた。
 その息苦しそうな親友の表情にまたしてもあの嫌な幻影がフラッシュバックする。
 周囲を見渡すといよいよ味方の被害が甚大になっていた。
 このままいけばみんな死んでしまうのではないか、なんて不安にも駆られる。
 そう言えば大分昔にオリヴィエも言ってたっけ。自分だけでなく周りに眼を向けろと。
 自分ではなく味方の危機を救う為の援軍は恥ではないと。ならなんとかして助けなければ。

 そう思ったオレはようやく……今にして思えば本当にようやく、シャルル王に援軍を要請しようと角笛に手を掛けた。



 だがしかし、その様子を見ていたオリヴィエは怒りのあまりローランを激しく叱咤した。

「ッ───!!? ふざけるのも大概にしておけローラン────ッッ!!!!」

 雷鳴の如き一喝にオレは驚き呆けるあまりしばらくの間、自分がオリファンを吹くつもりだった事すら忘却していた。
 だがそんなオレの様子にも一向に構わずオリヴィエは純粋な憤怒をこちらに向けたまま言葉を続ける。

「何故だ………私が戦の始まる前に王を呼べと助言した時になぜ呼ばなかったんだ!! それなのに今更援軍を呼ぶだと……?
 ふざけるなよ。もしそんな真似をしてみろ、勇者の名に背く事になるぞ。それこそ恥の上塗りにしかならないだろうが!!!」


 ドクン。
 ドクン───。
 ドグン────!


 突然のオリヴィエの激昂に完全に言葉を失うローラン。
 思い返せば───自分がこの面倒見の良い義兄《しんゆう》に純然な憎悪を向けられたのは、この時が初めてであった。
 その事実がなによりもオレの心を激しく動揺させた。

 ローランに対する怒りを露わにしながらもオリヴィエは戦友の血塗れた全身を見つめる。純白だった甲冑は今や真っ赤だ。
「……腕も体もそんなに血で染めて……ちゃんと止血はしたのか?」
「ん……いやこれは……その、敵の血だ。そう敵を沢山切ったから、さ……うん」
 突然怒られた後に今度は心配され、なんて返せばいいのか全く頭の整理がつかない。
 混乱した脳は反射運動的に同意を返すだけだ。
 一瞬、必死で戦う義弟に戦友愛が溢れかかりそうになるオリヴィエ。

 だがマヌケにもこの時のオレは黙っていればいいのにわざわざ最悪の禁句を口にしてしまうのだ。


「しかし……このままでは拙い、早くシャルル王に救援に来て貰わないと!!」



 ────なあ最高に笑えるだろ?
 最初に援軍を呼ばなかった愚か者が本当に今更になって援軍を呼ばなきゃとか慌ててほざいてるんだぜ。
 もはや道化にすらなれていなくて本気で泣きたくなる。



 若き騎士には悪意など微塵も無かった。
 ただこのままいけば自身はおろか大切な親友の命さえも失われてしまうのを怖れただけだったのに────。
 しかしそんなローランの想いは伝わる事は無く、それを聞いたオリヴィエの貌が失望に変わり……そして再び憎悪に染まった。
 彼は斃れてゆく仲間達の姿を歯を食い縛って耐えてきた。だからこそずっと溜めに溜めていたモノが氾濫して止まらなくなっていた。

「こういう結果になると────こうなると分かっていたから私は何度も何度も戦が始まる前に援軍を呼べと言ったんだ!!
 だというのにそれをお前はどういう訳かひたすらに拒んだ!! 何を考えていたのか知らんが拒み続けたのはお前だッ!!!
 私もお前もこの戦場で散る事となるだろう。こうなればもはや貴様に───妹のオードをやる訳にはいかなくなった」

 ───オードをやる訳にはいかなくなった───。

 それは親友から叩き付けられた絶縁宣言にも等しい一言《いちげき》だった。
 尋常ではない精神的ダメージにオレの視界は一瞬にして暗闇に覆われて、平衡感覚をも喪失する。
 自分が今どこで何をしているのかすらすぐには思い出せなくなるぐらいの破滅的な衝撃。

 確かにオレたちの義兄弟関係が生まれたのはある事情によって執り行われた生死を賭けた決闘からだった。
 何日にも及ぶ苛烈な決闘の末、天使の仲裁もあり両者は引き分けに終わった。
 それがきっかけでオレはオードと婚約しオリヴィエと義兄弟の間柄になれたのだ。
 そうやって三人での年月が経ち、オレたちは時折衝突したし喧嘩もした。でもいつもすぐに仲直りし元の鞘に収まった。

 だがここまで明白な憎悪を、決して許さんとばかりの憤怒を、この親友であり義兄でもある男から突き付けられた事は無い。
 本来なら美麗な顔立ちをしたオリヴィエの面貌が激情で歪みまるで悪鬼のようである。
 そしてその悪鬼が睨んでいるのは他でもない自分。強いて言うならそれはある種の恐怖の念だったのだろう。
 正体不明の恐怖に動転したローランは気付けば絶対に言ってはならない致命的な一言を口走っていた。

「な、何を………そんなに怒って、るんだ? オリ、ヴィエ──?」
「──────ッッ!!!!? い、怒る? 怒るだと……?! ふ、フフ。ふははははは、ハーーッハッハッハッハ!!!」


 ビシリと。なにかが決定的に終わった音がした───。

 壊れたようにオリヴィエは笑う。さも傑作のジョークを聞いた時のように腹の底から笑い声を上げている。
 そうして一通り笑い続けると、オリヴィエは無表情にオレの胸倉を万力の如き馬鹿力で掴み上げて己の顔の前まで引き寄せた。
「オ、オリヴィエ……?」

 無言のオリヴィエの瞳には、ローランの何も理解出来ていないかのような顔が映っている。我慢の限界がきてしまった。
 どこまでも愚かしい義弟の態度についに我慢ならなくなった義兄は、ついに今まで必死に避けていた責任の所在を突きつけた。

「この……愚か者があ!! 眼を見開いて周りを見てみろ! この凄惨とした血にまみれた地獄絵図を! 夥しい味方の亡骸を!!
 何を怒るだと? よりにもよってなぜ怒っているかだと?! どこまでふざけるつもりだ!? 寝言は大概にしやがれ!
 お前が私を信じて戦の前に救援を呼んでくれてさえいればこんな事には決してならなかったんだぞ!!?
 きっと角笛の音を聞きつけた陛下と本隊が今頃ここに駆けつけていて、この一大決戦に見事勝利し祖国に凱旋出来た!!!
 そしてお前とオードはめでたく結婚式を挙げられていたのに……一体どれだけの者がお前の判断ミスで死んだと思っている!!?」

 もはやオリヴィエの方も度重なる仲間の死で感覚がイカレていたのだろう。
 常に冷静な筈の彼が見るも無惨なほどに感情を爆発させていた。溢れる怒りと悲しみが完全に歯止めが利かなくなっていた。

「────この惨劇はすべて貴様のせいと知れローラン───!!!!
 アンセイス殿が死んだぞ、サンソン大公も死んだ! アンジュリエやジュランとジュリエも殺された!!
 他にもいるんだぞ? お前はまだ知らんだろうが友愛に篤かったアストルフォもついさっき味方を庇って死んだんだ、私の傍で!
 ベランジュとオートンも既に重傷で戦死は時間の問題だろう。武勇に優れたイヴァン、イヴォールも危ない。
 ジェラール・ド・ルッションも半刻前に死んじまった! 戦死者はまだまだ出る、私たちにはそれを止められねえのに……!
 泣こうが喚こうが取り返しはつかないとなぜ気づかねえんだ? 何故理解しない?
 今更になってシャルル王と本隊を呼んだところでもう何もかもが遅すぎるんだ────!!!!」

「─────────────────」
 息ができない。肺が呼吸機能を失ったのか全く酸素供給しようとはせず、金魚のように口をパクパクするのみだ。
 愛する者から憎まれるということ。それは呼吸が止まるほどの苦しみなのだと、オレは生まれて初めて知った。
 だが今は息苦しさなどどうでもいい。それよりもやめてくれ。頼む言うなオリヴィエ。そこから先は言わないでくれ……。

 どうやっても言葉が喋れないから心の中で神と友に必死に祈ってはみたが───駄目だった。


「─────私とキミの友情も今日限りとなろう。日没前に……きっと、悲しい別れが来る────」


 聞きたくもない終末の宣告。
 オレは世界の終わりにも等しい絶望感で心を塗り潰された────。



「言い争うのはおやめなさい二人とも!!」
 戦場の真っ只中にも関わらず激しく言い争う二人の声を聞きつけて駆け寄って来たのはテュルパン大司教であった。
 彼は信徒相手に説法を説く時のように二人を優しく諫めると、一つローランに進言した。
「我々は自らの誇りと意志でローラン殿と運命を共にすることを選んだのでしょう?
 それは誰に強制されたものではない自らの決断です。ならば誰もローラン殿を恨んだりはしないでしょう。
 オリヴィエ殿もそうなのではないですか? 貴方の怒りは自らの死に対する怒りではないはず。
 確かにオリヴィエ殿が申すように今更援軍を呼んだところで…………残念ながらもはや手遅れでしょう。
 しかしそれでも呼ばぬままでいるよりは遥かにマシ。
 我らが敗れた後にきっとシャルル王が皆の仇を討ち、そして我らの遺体を祖国へ運び手厚く葬ってくれることでしょう。
 それだけでも大きな意味がありますよ。ですからさあローラン殿、角笛をお吹きなさい」
 テュルパン大司教が持つ人の心に響く独特の優しげな声が凍り付いたローランの心に染み込んでいく。

「─────あ、……ああ、わかった!! 吹くぞ大司教!」
「…………………」
 オリヴィエの叱責で暫し放心していたローランはテュルパンの説得でなんとか我を取り戻すとすぐに救援の角笛を吹き鳴らした。
 どこまでも響く角笛の音色が地の果てまで届けと広がってゆく。
 既に峠を越え遥か遠くの地に居るシャルル王らにまで届く音を出すにはかなりの魔力《せいめい》の消耗を必要とするだろう。
 それは強靭な生命力を誇るローランとて例外はない。
 実際角笛はローランの体力を猛烈な勢いで削ぎ取り、こめかみや身体中の血管は破れ血で濡らしていく。
 内臓に痛手を与えたのか口から血が溢れる。それでも苦痛に耐え必死に本隊からの返答があるまで角笛を吹き続けるローラン。

 そして苦痛の果てに、ようやく本隊からの返信が薄らとながらも聞こえてきた────!

「ハァハァハァ! 返事がきた……! 良し、これでシャルル王が来てくれる」
 オリヴィエもテュルパンも何も言ってはくれない。
 オレだってわかっていた、自分達が此処で死ぬかもしれないってことくらい。
「とにかくだローラン」
 突然の呼びかけにオレの体が危機を感じた兎のようにビクリとなる。
「え? な、なんだオリヴィエ?」
 意外なことにオリヴィエの方から声をかけてきたのだ。
 思わず条件反射で返事をしたが、その後何と言えばいいのか判らないオレにオリヴィエは実に高潔な騎士らしい激励をかけてくれた。

「特攻覚悟ならば折角だ、力を合わせマルシルを討ち取るぞ。せめて連中の大将を討ち取れれば我らは負けたとは言い難くなる。
 それが出来れば敗れていった者達への慰めと誉れにもなるだろう。……………やれるなローラン?」
「あ───おう! 任せとけオリヴィエ。マルシルはオレが斃す!!」
「ローラン殿オリヴィエ殿、いざ参りましょう! 我ら十二振りの聖王剣《パラディン》の底力しかと刻み付けてやらねば!」

 ローラン、オリヴィエ、テュルパンの三人は覚悟を決めると、マルシルが率いるイスパニヤ軍本隊へ果敢にも挑んでいった。



 愛馬と味方を引き連れて戦場を駆ける三人は一直線に敵本陣を目指す。
 最期まで諦めずに奮闘を続けるオレたちの前に、次々とフランクの英雄や諸将を討ち破りながらついにマルシルがその姿を現した。
「ふはははは! いよいよ貴様らフランクの屑どもにアッラーの神罰が下る瞬間が訪れそうじゃな!!」
「マルシルーーーー!! 我は聖堂騎士筆頭ローランなり、オレと正々堂々と勝負しろ!!」
 "番犬"と恐れられる牙を持つ魔馬ゲイニョンに跨るマルシル王が勝ち鬨を吼えている。
 それを目視するや王将を目指し猛然と愛馬で駆けてゆくローラン。

「父上、彼奴はこのジェルファーにお任せあれ! 貴様はここで終わりだロラン!」
「貴様如きに用は無い、邪魔だ!!」
 マルシルの息子ジェルファーが槍と盾を構えて立ち塞がる。が、オレはそいつを容易く切り捨ててマルシルへと一気に肉薄する。
「ジェルファーー!! おのれ忌々しい"白鎧の悪魔"が! 我が名槍を受けて死ね────!!!!」
 マルシルの右手より宝具たる超速で飛翔する金槍が投げ放たれようとしていた。

「────させるか、間に合わせろヴェイヤンチーフ!!」
 命令に従い急加速するヴェイヤンチーフ。オレもマルシルと交差するタイミングを合わせて斬撃を見舞う。
 まさに紙一重という危ういタイミングで槍を握る奴の右手首を切り落し、オレはなんとか宝具攻撃を阻止するのに成功した。
「が、あああああああああああああ───!!!!? ひ……引け、一度引けーーい!!」
「逃げるかこの卑怯者がー!! 待ちやがれマルシル───!!!」
「マルガリーース! わしは一度引く、後はヌシに任せたぞ、彼奴らを殺せ!!」
「任されよマルシル王!!」

 オレの捨て身の攻撃で重傷を負ったマルシルは兵を纏めて素早く撤退すると、
 今度は入れ替わるようにマルシルの伯父であるマルガリスが再び襲来した。
 マルガリスが率いるアフリカ兵団相手に捨て身の奮闘で応戦するローランとオリヴィエそしてそれに続くフランク兵士たち。
 多勢に無勢であろうとまともにやり合っている二人の決死の闘争に勇気づけられた残り少ないフランク兵も死に物狂いで盛り返す。

 そんな折───、

「ようやく見つけたぞ。先刻の合戦では相見える事は叶わなんだがとうとう会えたな、"浄剣の智将"オリヴィエよ!」
「ハァハァ、ふっ、ふぅ……! 貴様……"武人教皇"のマルガリスか!?」
「如何にも。邪魔が入られてはたまらぬ、早速ではあるが貴殿の首級……この槍が獲らせて貰うぞッ!!」
「真っ向から挑んで来るとは上等な心意気だな。いいだろう我が愛剣オートクレールが相手をしてやる!!」

 十二聖堂騎士とイスパニヤ十二傑衆の一騎打ちで結局最後まで出逢わなかった両雄がここにきてついに激突する事となった。


 共に愛馬の腹を小突き軽快なスタートを切る。敵と味方の剣戟で荒れる乱戦の中を突っ切ってゆき正々堂々と刃を交える二人。
 だが互いに敵の刃に集中すればするだけ足元が疎かになり、自然と流れ矢が愛馬に突き刺さる場面が増えていき……両者馬を失った。
 しかしだからといってこの二人が手を休める訳もない。
 騎兵から歩兵となったオリヴィエとマルガリスは自分に襲いかかる雑兵を器用に斬り捨てつつ眼前の強敵としのぎを削り合う。
 地力では勝る筈のオリヴィエだったが大幅に体力を消耗していたのが欠点となったのだろう。二名の英雄による戦いは互角だった。

「憎きフランクの智将め、我らの怒りと悲しみを喰らえーッ!!」
「──────ハッ!!?」
 その時、オリヴィエの背後から恨みに燃えるサラセン兵の不意打ちが放たれる。
 黒騎士は危うい所で身を反転させ敵の凶刃を盾で受け止めたと同時に反撃。名剣の恐るべき切れ味が敵の防具を紙同然に変えた。


 ────それはまさに三秒にも満たない一瞬の間に起きた出来事。

 だがその一瞬を、誰よりも喜びに吼えた男がいた。オリヴィエと敵対するマルガリスその人である。


 なぜなら……オリヴィエは今、マルガリスにその隙だらけの背中を曝してしまっているのだ──────!!


「隙ありぃぃぃ! 我らがサラセンの魔槍の味をとっくり味わえ! 屈折した教皇《スピア・アルガリフ》─────!!!」
「しま────!!!?」

 マルガリスの魔槍の発動に対し、オリヴィエは咄嗟に体を再反転させつつ勘を頼りに背面越しに槍の穂先を剣で切り払おうとする。
 しかしその直後、目の前の現象に一番驚いたのは他でもないオリヴィエであった。

 "バカな、切り払う筈の槍の穂先が──無いだって……?!!"

 まさかの空振りに驚愕する騎士をよそに魔槍の穂先は切り払われた刃のさらに下。つまり地面へ向けて突き出されていた。
 そこから槍はなんと地を跳ねるゴム球のように地面を直角に反射し、オリヴィエの無防備な背を目指して急上昇した───!
 槍としてはまず有り得ない常軌を逸した領域の軌道。穂先が地面に刺さらず反射するなぞ想定の範囲外にも程があった。

 こうして、敵味方が入り乱れた乱戦の果てに。

「───ご……ぶっっ───────か、は!!!!?」

 ついに武人教皇マルガリスの屈折魔槍が無防備なオリヴィエの背中を完全に刺し貫いた─────!!!


「フハーッハハハハーハハハハッッ!! 見るがいいぞイスパニヤの戦士たちよ!
 このマルガリスがパラディンオリヴィエを討ち取ったりーー!! 次はこやつに続きローランとシャルルの首も取ってみせようぞ!
 その瞬間にこのマルガリスが成し遂げた偉業は後のイスラームと世界の歴史に永く刻まれることになるだろう!」

 体を支える力を失った膝が折れる。大地に片膝を着くオリヴィエを見下した形で高らかに勝利宣言をするマルガリス。

 当然だ、オリヴィエが受けた傷は味方の眼から見ても明らかに重傷……否、致命傷であった。

 オリヴィエ愛用の艶のある美しい漆黒の鎧が今や赤と黒が不細工な斑模様を描く甲冑となっていた。
 殺せ!殺せ!と周囲で様子を見ていたサラセン兵が囃す。それに気を良くしたマルガリスがゆっくりと瀕死の騎士へ歩み寄る。
「苦しかろう。そろそろとどめをくれてやる。だが安心するがいい私もイスラームの教皇だ。慈悲深く苦しませずに死なせよう」
 
 イスラムの祈りを口ずさみマルガリスが間合い内に入ろうとしたその時、
 力なく片膝を着いていたオリヴィエがゆらりと立ち上がった。

 そして逆流して口内に溜まっていた血塊をベッ!と大地へ吐き捨て─────

「────舐めるなよこの二流風情が。この私をいったい誰だと思っている?
 フランクが誇るドゥーズペールの中心。フランク最強、いや世界最強と讃えられたローランと唯一肩を並べるパラディンだぞ。
 その私を貴様如きが討ち取っただと? おまけに聖堂王やローランの首も取る? 偉業として歴史に刻まれるだって?
 つまらん冗談はやめろ。 私も倒せんような小物がどうやればフランク最強の騎士を倒せると言うのだ。
 ふ、フフ! ローランは貴様が束になったところで討ち取れるような英雄じゃあない。そしてそれはこのオリヴィエも同じだ」

 そしてどれだけ血で穢れても清らかさを失わぬ聖剣オートクレールを構え直し─────


「こんな傷、貴様程度になら丁度いいハンデだ。かかって来い。
 私と貴様─────格の違いというものを結果で教えてやる」


 オリヴィエは────とどめを刺し迫る敵を壮絶な表情で嘲笑った。


「─────キッ…キサ、マァァ………完璧にくたばり損ないの分際がよくそれだけほざくわ!!」
 瀕死の敵のあまりに大胆不敵な挑発に完全に激昂したマルガリスは小細工抜きの一直線な殺意《やり》を打つ。
 速度、威力共に申し分無い一撃。

「おお、うおああああああああああああ──────天上《オート》!!!」

 心臓狙いの刺突をオリヴィエは瀕死の体に鞭を打って素早く掻い潜ると豹の俊敏さで相手の懐まで一気に飛び込み渾身の力で体当り。
「ぐっおあ! 致命傷のくせにどこにこんな余力が……!?」
 体勢を崩し大きく後方に弾き飛ばされた教皇に追いつくと、

 ────黒騎士は最強の一撃を繰り出すべく宙高らかに跳躍した。


「聖刀《クレール》───────!!!!!!!」


 清なる光を纏って振り落とされた聖なる一刀。
 血みどろの戦場のど真ん中で神々しい光柱が天に昇る。
 オリヴィエの命と誇りを賭したその最強の一撃はマルガリスを中心に攻撃圏内にいた全てのサラセン兵を根こそぎ消滅させた。



 サラセンの聖人でありながらテュルパンと同様に武功を誇っていたマルガリスはオリヴィエによって斃された。
「はあはぁはあぁはぁ! ぐあがっ……! あ、こふ、ゴホッ、う───はぁはぁ……っくぅ!
 く、そ…。どうやら私も、ここまでか……すまんオード。私はお前とローランの婚儀を───祝福してやれそうにない……」
 宣言通り勝利をもぎ取り格の違いを見せつけた漆黒の騎士は、今は剣を杖代わりにしてなんとか体を支えている。

「マ、マルガリス様が瀕死の相手に、負けた……?」
「ば、バババ、バケモンだ! 奴は本当に"漆黒の悪鬼"なんだーー!」
「ぜ、全員だ! 全員で一斉にかかれ! 単独で挑めば無駄死にするだけだぞ!」

 致命傷となる傷を受けたにも関わらず敵が将を返り討ちにした一連の件は辺り一帯のサラセン兵士に激しい動揺を与えていた。

「ふ、ふっ、さあこれが最後だ。冥土の土産にとくと見ておくがいいぞイスパニヤの兵どもよ。
 これが、かの誉れ高きシャルルマーニュが誇る"十二振りの聖王剣"の一角、浄剣の智将オリヴィエの底力だ────!!!」

 いったいその死に体のどこにそんな力が残っているのか。
 敵兵の動揺と混乱を最後の好機と見たオリヴィエは鬼神の如き雄々しさと荒々しさで周辺の敵を一人残らず討ち倒しに出た。
 まるで蝋燭の最期の灯火にも似た爆発力。このロンスヴォー決戦を通して一番強く激しいオリヴィエがそこにはいた。
 サラセン兵がいくら束になって挑もうと無関係に勝利をもぎ取っていく漆黒の騎士。
 暴れ狂うたった一人の漢を誰も止めることが出来ずにいる。

 そうしてそんな己の残命を全て賭けた最期の乱舞は周辺全ての敵を殲滅し、ついには予想外の者にまで襲い掛かった───!

 歪な金属音と共に、重い衝撃が突如として頭部を襲った。
「────な!!? オリヴィエ!!??」
 突然背後から兜を叩き割られたことに驚き振り返ると、そこにはさらに信じられない顔があった。
 兜割り自体にも驚いたが、ましてやその叩き割った相手が親友だと知るや驚愕で硬直するしかない。
 オレのそんな仰天した声を聞いたオリヴィエはついに剣を振るうのを止めると、そのまま力尽きたように崩れ落ちた。
 倒れた体を慌てて抱き抱えてくれた朋友にオリヴィエは真っ先に謝罪の言葉を口していた。

「今斬ったのはローラン、だったのか……すまない。もう、眼が、見えなくてな……。
 最期だからと、行き当りで手当り次第片っ端から斬っていたんだ……まさかあろうことにキミを斬ろうとするなんて………。
 ───本当にすまない事をした、許してくれローラン。怪我、はしてない、か……?」

 息も絶え絶えになりながらも、それでもなお友の身を案じて謝罪を述べる親友。
 そんな友の姿にオレは涙を流さずにはいられなかった。ぐったりと倒れたオリヴィエを抱えながら必死で声をかけ続ける。

「あ、ああ! もちろんオレは平気だ! それよりちょっと待っててくれオリヴィエ! すぐに休める場所に連れて行くからな!」
「いいや、もう……いいんだローラン。私は、ここまでだか、ら───」
 戦場のど真ん中で無防備になってまで自分を担ぎ上げようとするローランをオリヴィエは首を横に振って否定した。
「バカ言うなオリヴィエ全然よくねえだろッ!! もうすぐ陛下が来てくれるし軍医も来る、それまで頑張って持ち堪えるんだ!
 そうすればきっと、きっと助かる!! それに国に帰ったらオレとオードの結婚式があるじゃないか!
 オードの兄貴のくせにかわいい妹の晴れ舞台をすっぽかす気かよッ!!?」
「は、はは……、それは、ちょっと、無理な相談……かな?」
 泣き笑いで顔を歪ませながら懸命に軽口を叩く無様なオレとは対象的に、オリヴィエは死を受け入れたように穏やかな顔だ。


「さっき、も言った通り……私はキミと、オードの結婚は、認め───ないつもりだ」

 ───きっとオレの生涯において、これほど真剣に吐きそうになった事は他にありはしないだろう。
 視界の暗転し世界が何も認識できなくなる。死なんて終わりすら生温い終局を肌で感じた気さえした。
 二人の友情も今日限りだと突き付けられた。
 これだけでも気絶しそうなダメージだというのに。
 そればかりかオリヴィエとの義兄弟の契りさえも否定されてしまったらオレには………。

「────な……ッ! な、なんで? なんでだオリヴィエ!?
 そんなにも……そんなにも、オレの犯したミスが───みんなを死なせてしまった事が赦せ……ないのか、オリヴィエ───?」


 だがオレの絶望感でしゃがれた酷い声音とは違い、オリヴィエはあくまで穏やかな声でこんなことを言った。

「いや、そのことはもう、いいんだ。大司教が言ったように私たちは───己の信念に従いキミと共にこの地に残った。
 誰もローランを恨む者などいやしない。これは私のミスだ……この私のせいなん、だ。
 私はキミの性格を誰よりも良く知ってた筈なのに…! なのに角笛を取り上げてでも、強引に本隊を呼ぼうとは……しなかった。
 すまない許してくれ、ローラン。私は大事な親友に……とても、とても残酷な仕打ちを、してしまった────」

 オリヴィエは眼に涙を湛えながら、己の所業に後悔しながらすまないと謝った。
 あれは副官である自分がやらなければならなかったことだったのにと。
 親友のミスをフォローしてやれなった上に責任をすべて押し付ける様な真似をしてしまってすまないと。

「ち、ちが、あれは……違う! これは……これはオレの───オレが…!」
 自分でも何を言ってるのかわかっちゃいなかった。でもそれだけは絶対に違うと断言できた。
 誰になにを言われようともこれは断じてオリヴィエのせいなんかじゃない。
 だけどオリヴィエはもうそんなことなどどうでも良さそうに全く別の───オレとオードの話を続けた。
「───でもな、オードとの結婚を認めな、いのは、そんな理由からじゃないぞ?」
「──────え?」
 もう訳が分からないという顔をする義弟に義兄は困った奴だと優しさで溢れた微笑みで最期の祈りを口にした。

「まったく、この馬鹿、者。結ばれる新郎新婦を祝う立場であるこの私がいないのに、婚儀を、挙げる気か?
 フフ、薄情なヤツらめ。そんな……哀しい挙式じゃ結婚する意味が無いではないか。
 だってそう、だろう? この世界の……一体何処に私以上に、キミたち二人を祝福してやれる者が、いると言うんだ───?」

 ───すべては兄として妹と弟の幸せを願うため。
 この血戦の後に二人が婚儀を挙げても恐らく彼らは胸を張って幸福だとは言えないだろう。
 最も二人を祝ってくれた筈の人がそこにはもういないのだ。
 自惚れるつもりはないがきっと二人の心には穴が開いたような哀しい挙式になるのはわかっていた。
 ならばそんな結婚など兄として認める訳にはいかない。
 二人が胸を張って幸せに結婚できるようになるまでは認めるわけにはいかない。
 そしてローランとオードはいつかきっと自分の期待に応えてくれることだろう。
 だから今は認めなくていい。必ず二人は幸福な結婚をしてくれる。


 オレはなにか言おうと頑張ってはみたが……どうやっても何も言えなかった。
 オリヴィエの目蓋がゆっくりと閉ざされていく。オレには止められない。
 オリヴィエの弱々しい声がさらに弱々しくなっていく。オレには止めることが出来ない。
 涙で視界が滲んでオリヴィエの顔すらよくわからない。オレにはどうすることも出来ない。
 最強の怪物《ドラゴン》を倒せる力を持ってようがそんなものゴミも同然だった。
 今にも消えそうな、たった一つの大切な命を救うことさえも出来ないのだから。


「我が親友にして、弟のローランよ……。
 ……………オードを、フランクを、頼む……死ぬなよロー…ラン……我らがシャルル王に、我が祖国に──。
 そして───我が最高の親友に、主と聖霊の祝福と栄光、あれ──────」

 オレの腕に抱かれながらゆっくりと、オリヴィエは静かな眠りに就いた。
 その死に顔は信じられないくらいにとても穏やかな表情だった。親友と妹の未来と幸を祈るような暖かな顔だった。

「あ、あ……ああ、お、オリヴィエ……? なあ返事───しろよオリ……ヴィエ?
 オリヴィエェェエエエあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ─────!!!!!」
 天に向かって絶叫する。

 オレは泣き叫びながら二度と目覚める事のない大切な人の名をいつまでも呼び続けた─────。



                ◇             ◇



 オリヴィエが最期の力で周囲の残存敵兵を全て倒してしまったおかげで辺りにはローランを除いて誰もいない。
 そのため絶望に打ちのめされて俯くローランが敵に襲われる事もなく、そのうち向こうの丘を死守していたゴーチェがやってきた。

「よかった無事であったかローラン! それからすまない守備隊は私を除いて全滅してしまった………む、オリヴィエどうした!?」
 ローランは何も答えない。ゴーチェも初めて見るまるで抜け殻のようになったローランの姿に困惑するしかなかった。
 そんな二人の前に少し離れた場所でこれまたたった一人生き残った大司教テュルパンが合流する。
 テュルパンはローランの両腕に抱えられたオリヴィエの亡骸を一目見るや全ての事情を察した。

「これは、なんということ………ローラン殿しっかりなさい! オリヴィエ殿にも言われたでしょう? 貴方は死ぬなと!
 親友の最期の願いを貴方は……オリヴィエ殿との約束を何もせずに反故する気なのですか?!」

 南方よりまたしても敵影が迫って来ていた。このままではローランは何の抵抗も出来ずに殺されてしまうに違いない。
 テュルパンは親友の死で心身喪失しかけているローランにそんな激励も込めた説教をした。
 大司教の願いが通じたのか徐々にローランの瞳に力が戻ってくる。

「や……やくそく? ああ、そうだ……オレ───」

 オレは───オリヴィエに、親友に、義兄に大事な妹を任されたんだった。
 ならまだ死ぬわけにはいかない……そうだ、絶対に死ねないんだ───!


「まだだ──まだ死ねん。まだ死ぬわけにはいかねぇ……! 大司教、敵は……オレの敵はどこだ!?」
 オレはオリヴィエの亡き骸をそっと大地に横たえて静かに立ち上がった。
 大司教の示した方角にはまたしても二百人ばかりのサラセン兵の部隊が隊列をなしてこちらに向かっている。
「上等だ────あいつらも皆殺しにしてやる。一人たりとも逃がすものか」
 オレはヴェイヤンチーフに跨ると怒りと憎しみに身を焦がしながら突撃した。ゴーチェとテュルパンもそれに続く。


 ────しかし、やっとの想いで再び立ち上がったローランに現実はどこまでも冷たかった。


「危ないローラン……ッ!! ───がぶっっ!!?」
「ゴーチェーー!! しっかりしろゴーチェ! いやだ! お前まで死ぬなゴーチェーーーー!!」
 三人で力を合わせ九十人程のサラセン兵をぶち殺した辺りでゴーチェが死んだ。
 オレに目掛けて放たれた投擲武器の雨をゴーチェはその身を盾にして受け止めたのだ。
 ゴーチェはオレの無事をその眼で確認すると満足そうにその息を引き取った。
 オレはゴーチェを殺した奴らを怒りに任せて二十人程をまとめてブチ殺ろす。

 敵の数の暴力は続いてテュルパンにも襲いかかった。敵に囲まれた状態で四本もの槍を腹部にまともに受けてしまったのだ。
 致命傷の手応えに狂喜するサラセン兵。だがその歓喜の雄叫びは一瞬にして凍りつく事となった。

「───ごぼ……っ!!? ガハァ───喜ぶのはまだ早かろう……!
 このテュルパンの聖剣の味くらい知ってから地獄へ逝かれよ─────この者たちに慈悲を与えよ、アルマース!!!!」

 テュルパンはこれだけの重傷であっても決して倒れず、そればかりか氷の聖剣アルマースを鞘より抜き放ち猛然と戦い続けたのだ。
 人も空間も凍結させる聖剣の力の前に敵は次々と慈悲深い凍死《ざんさつ》を与えられる。
 激しい絶望と怒りに咆哮を上げながらローランもデュランダルを振るう事を絶対に止めなかった。

 聖剣を抜いた大司教の怒涛の勢いは留まるところを知らず、屈強なサラセン重装騎兵と重装歩兵がまるで赤子同然に捻られていく。
 そうしてなんと最終的にテュルパンは援軍に現れた数にして約千人のサラセン兵団を壊滅させてしまったのだった。

 しかしローラン達がどれほど敵を殲滅しようともマルシルのイスパニア大軍団は一向にその数を減らさない。
 総数にして約四十万騎。イスパニア王国にとってはこの決戦は国の命運を賭けた総力戦なのだ。
 たかだか二万騎の将兵と十二名の英雄の抵抗などで諦める訳には断じていかない。
 現に彼らは追い詰められ残るはたったの二名、本当に後一歩である。マルシルはとどめを刺すべく数万の部隊を再度前進させた。

「くそ……っ! チクショウ! このままじゃ大司教がもたねえ───たのむ早く来てくれ……!!」
 テュルパン大司教を救うためにもオレは再び味方に向けて角笛《オリファン》を吹き鳴らした。
 自分が既に前回の使用で満身創痍の状態になっているのはわかっている。でもだからといってここで使わない訳にはいかない。
 自滅覚悟の角笛の使用。ロンスヴォー峠から音が広がってゆくが────────返答はない………もうダメか。

 ローランとテュルパンにも死の予感を感じさせたその時────角笛の音色に応えて万騎のフランク軍がラッパを吹き鳴らした。

「───────きた……!! ハァハァ……大司教、あと少し痛ぅッ。あと少し頑張ってくれ……シャルル王が来てくれたぞ!」
、ローランの励ましになんとか肯き返すテュルパンの耳にもこの頼もしいラッパの音色は届いていた。
 ようやくシャルルのフランク軍本隊が奏でる戦ラッパのリズムと騎士たちの勇ましき雄叫びが戦場に響き始めたのだ。

 シャルルの本隊の接近を知ったイスパニア軍は怖れをなし、一斉に素早く身を翻して撤退を開始した。

「あ、逃げる気か?! 待ちやがれサラセンども!!」
 だがずっとオレの足となってくれた勇馬ヴェイヤンチーフはもうとっくに限界だったのだろう。
 英馬は追撃を試みる主の期待には応えられず力尽きたように地面に倒れ込んでしまった。
 眠るようにそっと目蓋を閉じたその馬の雄々しい全身には計三十箇所以上の傷が生々しく刻まれていた。
「ヴェイヤン……チーフ?! おまえ、こんなになるまで戦って────ぐすっ、すまん相棒……天国でゆっくり休んでくれ」
 オレは最期まで勇敢に戦ってくれた愛馬の鬣を優しく撫でこれまでの働きを労ってやる。
 ヴェイヤンチーフは気持ち良さそうに目を閉じるとそのまま二度と動かなくなった。
 さらにまた一人……いや一頭の大切な仲間が死んでしまった………。


 全ての敵が退却したのを確認したオレは重傷の大司教を休ませると、戦死した仲間達の亡骸を集めに血塗れの戦場を彷徨った。
 一人、二人、三人、四人────九人。
 そうして集めた仲間たちの死に顔をオリヴィエの隣に横たえて見つめた。
 誰も彼もが穏やかな顔をしていて、それはとても致命的な判断ミスを犯してしまったオレを恨んでいるようには見えなかった。
 視界が滲んでいく。パラディンたちの顔がぼやけてきちんと見えなくなる。

 本当ならば仲間に責めて欲しかった。罵倒して欲しかった。お前が悪いと罰を与えて欲しかった。
 しかし結局、唯一責めてくれた親友にさえも許されてしまった自分に────いったい誰が罰を与えてくれると言うのだろうか?

 みんなの亡骸なんて並べなければ良かったとまた今更に後悔した。
 朋友たちの遺体なんてなかったことにすれば、もしかしたらなんらかの奇蹟が起きたかもしれない。
 でももう手遅れだ。
 オリヴィエもアストルフォもサンソンもジュランとジュリエもアンセイスもアンジュリエもオートンもベランジュも───。

 みんなみんな、間違いなくオレの目の前で死んでいた……。

 もう覆ることのない決定したこの結果に完全に絶望した。
 自分の体だって瀕死の状態だったがもうそんなことには興味もなかった。

 オレはただ泣いた。皆の遺体を前にずっと泣き叫んでいた。
 もはやどれほど泣いたかわからぬほどにオレは哭き続けた。

 誰もオレを恨んでなどいないと言ったテュルパンの言葉をもう一人の自分が全力で否定する。
 死ぬなと言ってくれたオリヴィエの最期の呪い《あいじょう》にもう一人の自分がその資格なしと攻め立てる。
 オードのためにも生きねばならぬのに、体の方は兄殺しと書かれた罪状を手に持ってそのまま死ねとニヤニヤ笑っている。

 心を壊す自己否定の毒に侵食されていく気色の悪い手触りを感じながら何度も吐血した。
 吐き出しているのは生命《けつえき》と許しを請う魂の叫び。


 そして、その煉獄のような責め苦に耐えられなくなった精神は強制的にオレの意識をシャットアウトした─────。



              ◇               ◇


 天とは愚者に対してはどこまでも非情なものなのか。
 しばらくしてから意識を取り戻したオレを待っていたのはこともあろうか大司教の亡骸だった。

「だ───大司……教? なあウソだよな? なあ大司教!! 返事してくれよテュルパン大司教!
 重傷のくせに……なのに、なのになんでそんな真似………したんだよ……大司教────!!」

 うつ伏せに倒れていたそのテュルパンの濡れた両手と、傍に落ちてある冷えた手拭いに水筒を見れば嫌でも状況は理解できた。

 きっとこの高潔な聖人は気絶した馬鹿野郎のために近くを流れる小川まで水を汲みに行ったのだろう。
 しかし、そんなすぐ近くを流れる小川まで行くのですらこの重傷の大司教には苦行だったはずだ。
 今まで戦えたのが不思議な位に本当に彼はボロボロなんだ。にも拘らずこの高貴なる人は倒れた者の看護をしようと動いてくれた。

 たった一歩がどんな試練よりも苦しかった筈なのに───こんなオレの、ためにまた一人……大切な人が死んだ───ッ!!


 もう本当に限界だった。今度こそ喉が潰れろとばかりに咆哮を上げて泣き叫んだ。
 オリヴィエの名を、テュルパンの名を、そして多くの仲間達の名を。

 とにかく大司教の死で─────オレを辛うじて支えていた何かが完全な形で終わった。

 なにが死んだのかは自分でもよくわからない。
 ただ、生きる決意とか明日に託す希望とか、とにかくそういうものが完膚なきまでに死んだのだけは空になった頭でも理解できた。
 死にかけの肉体が一度でもそれを理解してしまえば………後は歯止めが効かずに崩壊するのみである。
 かつてなら死にすら抗えた強靭な精神力も今や死に逝く老犬に等しい。死は避けようのない運命となった。
 生き残れない以上はもうオードとも結婚できまい。胸をズドンと敵の刃で刺されるよりも痛い何かが貫いていった。


 ………ああ、これでオレはまた一つ、とても大事だった約束を破ってしまったんだな……。



               ◇           ◇


 そうしてひたすら枯れ尽くすまで涙した体に残ったモノは、自身に対する尽きぬばかりの憤怒と憎悪。
 視線を落とすとその権威を示すべく煌びやかに飾られた聖剣の柄が見える。
 なぜそうしようと考えたのか。
 名剣を異教徒に渡さぬため? 持ち主と共に果てるべきと思ったから? あるいはそうすることですべてを否定したかったからか。

 とにかくその迸る激情の矛先は、彼の誇りと栄誉のシンボルであるデュランダルへと向かった。

 誉れ高き聖堂騎士《えいゆう》ローランの象徴たる天使の聖剣。


 それを自らの手で折るということは即ち────自身の誇りの否定を意味する。



 こうして、かの聖剣の有名な伝説は生まれ落ちた─────。




 連続した甲高い鉄の音がまるで悲鳴のように辺りに響く。
 瀕死の身体を無理矢理引きずって、聖剣を硬く大きな大理石へ目掛けて全力で叩き付ける。

「このっ! 折れろ!! クソッタレまだかよ!! これでどうだコノヤロウ!!」
 何度も、何度も何度も何度も!
 何度も何度も何度も何度も何度も、叩き折れるまで何度でも───!!

 しかしデュランダルは決して折れようとはしない。
 それでもオレは憑かれたように叩き付ける行為を決して止めなかった。
 ベキャッと耳を塞ぎたくなる歪な音がした。大理石に何度も叩きつけた反動に耐え切れなくなった右手の骨に罅が入ったようだ。
 それほどの威力、しかし覇者の剣は砕けない。振るう腕は死んでも止めない。激痛を押し殺して、力を振り絞って、巨石を打つ。
 吐く息は激しく角笛で負傷した血管が全身の至る所で悲鳴を上げている。

 噴き出した全身の出血が涙のように流れ、口からも朱色が溢れ出しながら────オレは憎悪を込めて岩に剣を打ち込み続けた。

「ちくしょう───!! 畜生! 畜生畜生チクショウ……折れろッ!!」
 折れろ! 折れろ折れろ折れろ!! 折れろ折れろよこのっ! なぜ折れねえんだよ!? 
 貴様《オレ》の誉れはここで終わりなんだ! 貴様《オレ》のせいで無敵だった筈のパラディンが負けたんだ。
 だというのにまだ名誉に拘るのか? まだ栄光に固執する気か? ふさけるな聖堂騎士ローランはここで終わった。
 だから頼む、頼むからおまえもさっさと砕けてくれ……もういいんだ。
 おまえ《オレ》のせいで多くの仲間が死んだんだ。
 高貴な聖人だったテュルパン大司教が死んだ。弱かったけど友想いなアストルフォも死んだ。
 サンソン大公、ジュラン、ジュリエが死んだ、アンセイス公、アンジュリエ、オートン、ベランジェも死んじまった。
 イヴァン、イヴォール、ジェラール・ド・ルッション、ゴーチェ、ボードワン……みんな……そして。


 そして────オリヴィエ……までも……………。


 みんなみんな貴様《オレ》のせいで死んじまったんだ────!!!


 オレは根を上げる肉体の訴えを怒りで抑え込むと、さらに強くさらに勢い良く巨大な大理石を乱れ斬った。


 こんなの絶対間違ってる。まず死ぬべきはオレからだった。オレからだったんだ!
 巨石を滅多斬る。剣を握る手の感覚が麻痺してもうない。

 なにがこの剣に汚名は残さない、だ。笑わせるなよ。
 巨石を打つ。赤い無数の飛沫が飛び散る。

 マルシルさえも討ち取れなかった分際が、皆の敵も取れなかった男がッ!
 巨石を斬る。考えが纏まらない。でも力の限り打つ。
 折らなきゃならないという強迫観念に突き動かされるように大理石を力の限りぶっ叩く。

 みんなに勝てると約束おきながら無様に負けたこの大嘘つきめがッ!!
 震える腕で巨石を打つ。
 呼吸はもうしていない。横隔膜に肺を動かすだけの余力《エネルギー》がないせいだ。
 身体中そんな壊れた箇所ばかり。でも一向に構わない。剣《つるぎ》を折れさえすれば後はどうだっていい。歯をきつく食い縛る。
 折れさえすれば………だって。 


 もはやこの剣自体が……オレの象徴であったことが─────もはや恥そのもの!!!


 そんなものが存在しているだけであいつらの、誉れ高きパラディンの名を汚してしまう。


 だから否定しないと。
 こんなものは……こんなものはすぐにでもへし折らなきゃいけないのに………!!



 なのに──────なのになぜ、オマエは折れてくれないんだデュランダルよ─────ッッ!!!!



「あ、あ……、うおああぁぁぁああああああああああああああああああああああああッッッ!!!!」
 気合の猛りと共に両手でデュランダルを天に掲げ、次など考えない全身全霊渾身の力で大理石を斬りつけた。
 せめて愛剣との別れの瞬間は見まいと、直撃する刹那にとっさに目を瞑る。
 鉛製だろうが鋼鉄製だろうが剣ならばまず無関係にへし折れるだけの強引で強烈な一発だった。
 会心の一撃が生み出した衝撃はすさまじくその反動に耐えられなかった両腕の骨が完全に粉砕、嫌な音を脳裏に響かせる。

 だがこれですべて終わった。
 デュランダルはオレの命とそれまでの栄誉を破棄して死んだ。

 これでけじめはなんとかついた─────筈だったのに……。


「……………あ───ぁぁ……そ、そん…な……」


 眼下に信じられない光景が広がっていた。
 大理石が見事真っ二つに切断されている。
 そして、感覚の失くなった血塗れの自分の両腕の先には、


 ────刃こぼれ一つない壮健なデュランダルがそのままの威容で残っていた。


 敗北を認めたオレの膝が剣の代わりに心と共にだらしなくへし折れる。
 肉体はもうとっくに力尽きたのに名剣の方は最期までとうとう折ることが叶わなかった。
 皮肉な事に騎士の誇りの象徴であるデュランダルは最後まで砕ける事を拒み続け、逆に大理石を真っ二つにしてしまったのだ。

 ただ自身の栄誉の象徴を自分の手で抹殺する。
 たったそれだけの後始末だった筈だ。
 そんな簡単な事すら、ついには果たせなかった自分の無力さに平伏した。


 ───始めから折れるわけがなかったのだ。
 この刃はローランの象徴であると同時に、全ての騎士の誇りの象徴。
 折れることなき気高き魂を証明する天の聖剣デュランダル。
 如何にローラン一人が己を嘆き否定しようとも──────彼と彼らが残したモノは決して破壊することは叶わないのだから。



 もう体のどこも動かなくなっていた。ただ一つだけ生きていた眼球が雲で覆われた天空を見つめている。
 ポンコツ化して白痴になった頭でふと今日が晴れていて本当によかったと思った。
 その美しい光景に知らずにまた涙が零れていた。神々しい光が雲の隙間から地上へと差している。
 俗に、"天使の梯子"や"天使の階段"、あるいは"レンブラント光線"などと呼ばれる非常に美しい自然現象の一つである。
 でも今はそんな細かい名称や原理なんてどうでもいい。
 主はいた。シャルル王やテュルパン大司教の言うように神様は確かにいるのだ。そう、今ここに。
 この救いようのない愚者にも神様は救いを与えてくださっている。
 天使の梯子によってオリヴィエやみんなの亡骸が優しい聖光で照らされる。
 そんな神聖な光景に絶望した心が少しだけ救われた気がした。悲惨な結果だったけどこの一点だけは安心していい。
 ちゃんと天国にいける。神様がみんなを天に導いてくださっているのだ。だから絶対にみんなは天国にいける。


 神への感謝の言葉と一緒に自然と聖歌と祈りを口ずさんでいた。
 徐々に心音が緩やかになっていく。死は近い。呼吸はとっくに停止しているがもう苦しくはない。
 オレは地獄行きかもしれないけど、みんなの天国行きが約束されているならこれ以上の願いは贅沢だろう。
 三途の川のほとりのような死ぬ間際の幻覚なのかオレを見下ろしながら大天使が微笑んでいた。
 まさか悪魔や死神ではなく天使が来るとは……世紀の大馬鹿者への迎えにしては上等過ぎるだろう。
 そう思いなんとなく苦笑する。天使の真偽はどうあれオレにもやっとお迎えが来たのだと納得した。

 だから死に絶える前にもう一度────みんなへ向けて心から謝罪をした。

「主よごめんなさい、オレの馬鹿さ加減を許してください。シャルル王、申し訳ありません。みんなも……ごめんな。
 テュルパン大司教オレの為にごめん。ルノーすまん、おまえだけでもは生きててくれ。アストルフォもすまねぇ。
 サンソン公にアンセイス公も申し訳ない。ジュランとジュリエも悪かったな。アンジュリエ、ベランジェ、オートンもすまない。
 ゴーチェも庇わせてスマン。イヴァン、イヴォール死なせてごめんな。ジェラールも故郷のルッションに帰してやれなくてすまん。
 ジョフロワ……ごめん、オレ思ってた以上にバカだった。ネーム大公も真に申し訳ない。オジエごめんなさい。
 勇猛なるシャルルマーニュの騎士や精悍たるフランク兵士たち────巻き込んで本当にすまない……」

 意識が薄れてゆく。
 その隣では地上での役目を終えたデュランダルが再び天へと還っていく姿が幻視《みえ》た。
 もう残り一分もない命。まもなく最期を迎えるだろう。
 だがまだ誰よりも謝らなければならない人たちへの謝罪が残っていた。

 オレがこの世界で誰よりも愛した人たちへ───。



「オード、オレのオード……結婚、出来なくて───約束を守ってやれなくて、本当にごめんな……。
 そして────オリヴィエ…オリヴィエ……ごめん、バカな親友でごめんな。オレ…今度は、ちゃんと──────」






 その後、オレが最愛の女性の悲劇的な死を知ったのは……。

 皮肉にも騎士の中の騎士として英霊の座に祀り上げられてからだった──────。



 ────こうしてオレは、真に己の果すべき贖罪の在処を知った。







───────Interlude  out───────


 全ての上映が終了し………ようやくわたしは解放された。
「ぅ……うぉぇ───!!」
 布団から跳ね起きると同時に口元を手で押さえた。
 どうしようもなく気持ちが悪い。
 人間の強烈な負の感情をシラフの時に体験すると嘔吐感しか残らないんだと初めて知った。

「ああ、もうサイアク………」
 なんとか嘔吐感が引いたのを確認すると綾香は苛立たし気に頭を掻いた。寝汗で寝間着が酷いことになっている。
 今回の目覚めの悪さは今までの人生の中でも最高得点ものだった無論マイナス方向に。祖父が死んだ時よりもさらに酷い。
 あの時は多少感覚が麻痺したり忘却したりがあったからなんとかなったが、今回のは一から十まで全部ばっちり。
 どう考えたって泣きそうに無い人物の慟哭と絶望を見せられただけでも気分が良くないのにそれを我が事の様に体験させられるなんて。
 勿論ローランの歌の概要は知っていた。だけど本当の意味で"理解していた"わけじゃない。
 セイバーが何を思っていたかなんてのは到底紙面や言葉から読み取れるものではない。
 でもわたしは読み取ってしまった。しかも一番公平じゃないやり方で、だ。

「はぁぁ、もうどうしよう……セイバーと顔合わせづらいじゃないのよ」
 アレがローランにとって一番見たくない、思い出したくもない心の闇であることはもはや間違いないだろう。
 セイバーの記憶は一、二度垣間見たことがあったが今度のは感触が違った。明らかに拒絶感のような壁があったように思える。
 ならいちいち触れない方が優しさなのだろうか? と、色々と思い巡らせていると嫌なことを思い出してしまった。
「……ああ~、そう言えばバタバタしてたせいでまだセイバーの願望を聞いてなかったっけ……」

 どうやって聞くかなぁ、と頭悩ませながらわたしはとりあえず汗を吸って着心地の悪くなった寝間着を着替えることにした。
 しゅるっと帯を外して寝間着を脱ぐ。どうせなので下着も取り替える。
 それから外国から取り寄せたいつもの洋服を手にかけたところで────


「へーいボンジューアヤカ! 朝だ元気だ朝飯だーい!! もりもり食ってバリバリ敵を倒すぞー!」


 ノックもお伺いもなしの無礼者が突如寝室へと乱入してきた。

「──────────!!!!!!?????」
「───────あ」

 場が一瞬にして凍りつく。二人の目がばっちりと合った。
 甲冑を脱いで平服姿になってる青年と、パンツ一丁で上半身素っ裸の少女が無言のまま見詰め合う異様な空間が一丁上がりである。
 青年の視線は完全に少女の慎ましい二つの双丘をバッチリと直視───。

「きゃ──────」
「……ぶっはあっ!!?」
「ってギャアアアアアアアあああああああああああ!!!??」

 キャアアア!と少女がお約束の悲鳴を上げるよりも先に青年は大量の鼻血を吹き出して大の字に転倒した。
「ちょ、待ちなさいよアンタ! 普通順番逆じゃないこっちが先でしょ! そっちが先ってどういうことよコノヤロー!」
「あ、あ、あ、ナ、ナマおっぱ………ち、違うオリヴィエ浮気じゃない。オードもすまんワザとじゃないんだ───アヤカが勝手に……」
 どうやら童貞《ローラン》には少々刺激が強すぎたらしい。
 セイバーはどことなく得した感漂う表情のまま満足そうに気を失った。



 ────三分後。

「さっきの無礼についてなにか申し開きあるかしら、あるなら一応聞いてあげるわサーヴァントさん?」
「ああ、オードより小さかっ─────だいそんっ!?!」


 そんなこんなで二度目のドリームダイブをするハメになった童貞《ローラン》くんであった。





──────V&F Side──────

助けろ!ウェイバー教授!第二十三回


V「ズバリ言うまでもなくローランがオリヴィエにいちゃんの言うことをちゃんと効かなかったのが全滅した原因だ。
  どう考えても勝てるわけがないだろう二万VS四十万の真っ向勝負の戦争なんて……」
F「え? そっち?!」
V「なんだウェイバー? まさか他にデッドルートに突っ込んだ原因があると?」
F「いえそうじゃなくてですね……!」
V「ああそうだろう? では今日はこれまで───」
槍「え……?! もうでござるか?!」
V「もちろんだ」
F「あの~先生……素直に認めたらどうなんですか? 今起きたことをありのままに話すぜ…状態だったのは事実じゃないですか!」
槍「そうでござるぞ。男子たるもの非は認めるべきでござる」
ア「男性らしくないわ、ベルベット教授」
V「わかった、そこまで言うならばいいだろう……今起きたことをありのままに話そう。
  ローランの過去話を他の連中のようにパパッと書いてた筈なのにいざ完成してみるとなんか二話分できていた……。
  私でもなにがなんだかで理解出来てないのだからなぜと小一時間問い詰められても答えることは出来ん!」
F「いやあれですよきっとシャルルマーニュ伝説が色々と面白すぎたせいですよきっと!」
V「む、そうだな。そういうことにしよう、でかしたぞフラット!」
F「久しぶりに先生に褒められた俺!!」
V「………いやでもまあ正直本当にそれ以外の理由がないな……あいつら色んな意味で色々と味が濃いから……」
ア「どうして後世の吟遊詩人たちに絶大な人気があったのか理由がわかった気がしたわ」
槍「拙者の過去話はこじんまりとしておったくせに………これは俗に申す差別ではござらぬか?」
V「私としてもローランの過去話はある程度長くなるとは思っていたがまさか二話分も使うとは思ってなかったんだ!
  はっきり言って今話は過去最大の容量なんだぞ。17話の96KBを超えて堂々の100KB越えだ想定外にも限度がある……」
F「あくまで過去話ですし下手に分割することもできませんでしたしね」
V「まあどうしても必要な話だったとはいえこれは反省すべき点だな。正直他のパラディンたちにスポット当て過ぎた……」
槍「"十二振りの聖王剣"《ドゥーズペール》なんて厨二病臭い名前をつけるからでござる」
F「いいじゃないですか! そっちの方がカッコイイじゃないですか! シャルルの剣って意味できっと皆聖剣も持ってるんですよ!
  あちなみにドゥーズペールというのは日本語で言う所の"十二神将"に相当するシャルル伝説に実際に出てくる単語なのでした」
V「のちにパラディンと呼ばれるのだが、ASではドゥーズペールは聖堂騎士十二人全員を指し、パラディンは聖堂騎士単体を指す」
F「しかしなんて言うか……みんなローランさん大好き過ぎじゃありませんか?
  オリヴィエさんとかマジブラコンじゃないですか。致命傷喰らった辺りからはあんなに格好良いのに!」
V「仲間をローラン嫌い路線で行くかローラン好き好き路線でいくかで迷ったがやはり好き好き路線にした。
  それとオリヴィエはブラコンじゃない。シスブラコンだ! 奴はオードもローランも好き好きなのだった。下手すると妻子よりも(笑)」
槍「なんつー英雄にしとるんでござるか………でもそれじゃこれでフランク最期の良心までもが変人に!」
ア「あの国は元から変人しかいないわ。オリヴィエ程度の変人度ではまだまだ普通にしか見えなくってよ?」
F「なんでですか? ローランって見方を変えればシャルルの権力を傘に着たドラ甥っ子ですよ?」
V「見方変えればそうなんだが親友のオリヴィエだけなら兎も角パラディン全員が危険な殿軍に残ってるからな。オードは死んでるし。
  それだけじゃなくテュルパンに至っては瀕死の状態で皆の死体見て号泣して気絶したローランの介護をしようとして力尽きている。
  そしてフランクの領土を広げる(シャルル伝説においては)のに尽力した英雄にして最強の騎士で性格が騎士道厚い単純一途熱血バカ。
  まあここまでくると嫌々というよりはみんなローラン好きだったからとする方が自然な流れではあるだろう。
  あとこの伝説が英雄譚として語り継がれているのも大きい。人々に行動が否定ではなく肯定されているわけだからな」
槍「カッカッカ! 確かにあの性格ならば嫌われる余地はないでござるな。義父のガヌロン殿はそうでもなかったようでござるが」
F「そういえばなんでガヌロンさんはあんな感じの事情にしたんですか?」
V「いやただ嫌い、という形ではなくガヌロンにも彼なりの理由があったと型月風な味付けをしてみたかっただけと言うか」
ア「ところで話は変わるのだけれどドゥーズペールの面々やイスパニア十二傑衆は捕捉しておかなくていいのかしら?」
V「ああそうだった。ちなみにパラディン達の通り名やイスパニア衆の宝具やマルガリスの屈折槍は作者の創作なので悪しからず。
  連中は伝承では殆ど情報がないので自分でなんとかするしかなかったのあった」
F「でもドゥーズペールには聖剣とか持たせるんですよね?」
V「うむASのドゥーズペールは教会で洗礼した特製の聖剣をシャルルから貰っているのであった。地震とか雷とか起こすの」
F「うわあ厨二病だぁ流石良い年こいて日本製のゲームにハマるだけはあるますね先生! では皆さんまた次回~!」