新都のやや外れ。
 建築途中のビル/建築廃棄のビルがあった。
 その様は、天に伸びる希望を暗喩する骨組みの塔か、朽ちていく虚しさを象徴させている廃墟に見える。
 下半分は、コンクリートで綺麗に覆われている/上半分はまだ鉄骨が剥き出しのまま。
 骨組みに足場として、網や鉄板が敷いてある。
 夜の帳も深い。
 人間は誰もいない。
 人間はいない。
 人型(ひとがた)の陰影ならあった。
 丸い、冷たい夜の女王の光が降り注ぐ、屋上に。
 居た。
 二つ。

    ●

 天に向かって伸びる鉄骨の一本。
 男が其処にいた。
 一九〇に迫る長身/隆々とした剥き出しの上半身/ガスバーナーのように青い逆立った髪/厚手の脚絆/裸足にバンテージ。
 粗野/若々しさ/逞しさに溢れる青年だった。
 クラスは――キャスター――魔兵。
 その両手には、鉄塊を弄んでいる。
 鈍色の表面/底面積九〇〇センチ平方メートル/長さ一メートル/タングステンカーバイド製角柱が、お手玉のように弄ばれていた。
 キャスターの眼は、ある一点を見つめていた。
 殺意を伴って。

    ●

 一五メートル先/立ちつくす巨人がいた。
 身の丈四メートルに迫る巨体/瘤のような筋肉の隆起/右手には斧/左手には盾/腰巻きだけの野性的衣装
/巌の顔面に鎮座する眼には理性の色は見えなかった。
 見た目そのままの闘争を繰り広げそうな戦士。
 クラスは――バーサーカー――狂兵。
 動かない。
 巌のように動かない。
 理性で、動かないのではない。
 本能で/闘争本能で動かないのだ。
 間合い/理性無き頭脳で間合いを読んでいる。
 狂っても肉体に刻まれた記憶と本能が、闘争を繰り広げる。
 それをキャスターは理解していた。
「よお、良い月夜さ。こんな夜は気が高ぶるさ。――狼男じゃねーけどさ」
 苦笑しながら、鉄柱から飛び降り、ゆるゆると間合いを詰めていく。
 狂兵に話しかけても返答はないのは分かっている。
 ただの準備運動/会話は相手を推し量る物差し/高速思考の会話術/会話も全身をリラックスさせる行為に相当する。
「オレはキャスターさ。おっちゃんは、バーサーカーだろう。いわねーでも分かってるさ。
……それに、正体を明かしたことも訝しげに考えんでもいーさどっかにいるマスター」
 何かしらの手段で、この会話を聞いていると思っている敵マスターに話しかける。
 返答を聞くことはない。
 彼には、どのような返答を使用とも、言うことには変わりないから。

「―――――だって、オレがぶっ斃すんだからさァ!!」
 間合いに入った。
 巨体の足下が爆発。
 特攻!

    ●

 キャスターは思う。
 速い……!
 “うすのろ”と幼少期――駆けっこが苦手な自分が、兄たちから呼ばれた自分とは大違い/火薬を爆発した砲弾のように向かってくる。
 壁のような巨体を視界に収めている。
 数瞬を待たず、巨体は斧の間合いに入る。
 小細工無しさ。一撃必殺さ。
 狂兵に小細工を使う思考力はない/あるのは、狂って強くなった肉体のみ。
 そもそも巨人に小細工は必要ない。
 その巨体/その体重/その武器重量が合わさったとき、打ち砕けぬ存在はない最強の概念になる。
 最強の暴力。
 振りかぶられる大斧。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!」
 振り下ろされた。
 刹那――甲高い異音が屋上から花火のように広がった。

    ●

 打ち砕かれた足場が崩壊の音を立てて、落ちていく。
 振り下ろした姿勢で硬直するバーサーカー。
 理性無き瞳が写すのは、健在の魔兵の姿。
 理性無き頭では、いかなる奇術を用いたのか思考できなかった。
 だが、キャスターは健在だ。
 その理由は、武器にある。
 キャスターの左手には、タングステンカーバイド製鉄塊が一つあった。
 今はない/鉄柱はない/角柱の形をした鈍色の鉄塊はない。
 双刃の武器があった。
 刀身全長八〇〇ミリメートル/柄は横に突き出した棒を握る鉤棍(トンファー)のような形状――全長一九〇〇ミリメートル。
 武器分類――馬上双剣(メーネ)。
 武器強化魔術――硬度強化/靱性強化と基本を押さえている。
 武器変化魔術――滑り属性付加/滑るという概念を付加。
 音声詠唱はない。
 彼は朗々と詠唱を唱えるタイプではない。
 腰の動き/指の動き/足先の動き――肉体稼働で魔術を行う魔剣士。
 そして、一瞬で材料さえあれば、魔力の通わない武器を作り出す特異な特技を持つ鍛治師。

「防いださ」
 キャスターの自負に満ちた声。
「■■■■」
 バーサーカーの自責に満ちた声なのかも知れない声。
「お返しさ」
 目には目を/歯には歯を/一撃必殺には一撃必殺を。

    ●

 衝撃を流すため屈伸した大腿部が変身する。
 大腿四頭筋/縫工筋/下腿筋/腓骨筋/大腿骨/脛骨が変身――脛骨の関節が一つ増え、筋肉がバネ的性質が強い蛋白質のレシリンに変身。
 引き延ばされて元に戻る際の運動エネルギーが、九七%以上を弾き出す高効率生体バネ/関節が一つ増えたのは、
二分の一にバネ定数と伸張する二乗をかけたバネ弾性エネルギーを効率よくする形状にするため。
 蚤の足。
 外骨格で覆われているわけではないが、形としてはそれに近い。
 右の手には、すでに角柱の姿はない。
 剣/刀身全長一六〇〇ミリメートル/柄全長三〇〇ミリメートル/直刃。
 武器分類は、大剣(グレートソード)。
 タングステンカーバイド製の重く/硬く/強靱な大鉄塊の如き剣。

 一撃必殺のための狙いは、首/斧を振り下ろした両腕が左斜め上にあった。
 つまりは、両腕(たて)の防御を切り裂いて、首を狙わなければならない。
 そして、それは――、
「二四の竜の首を落とすより簡単さァァ!!」
 自負を吐露し、溜めた弾性エネルギーを解放/身を捻るように横回転を加え、回転斬り。
 肘から先を大剣が切断/血飛沫を浴び、三メートルほどの高さに位置する首に馬上双剣が迫る。
 身を捻った/バーサーカーは死力を引き絞り、剣筋の軌跡から首を外そうとした。
 身を逸らした首に巻き付く鎖鎌。
 一瞬の道具作成/双刃の武器は、鎖と刃の武器に変化。
 引き寄せられる。
 肩関節の限界を超えて振りかぶられる大剣/鬨の声。
「しゃああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
 頸動脈/刑静脈/浅頸筋/深頸筋/頸椎/脊髄が胴体と分かれた。
 飛頭蛮。

    ●

 バイク乗り(ライダー)がいた。
 独特の排気音がビルの谷間から聞こえる。
 バイク屋/走り屋なら〈カワサキ500SSマッハIII〉と応えるだろう。
 一体型の漆黒のライダースーツ/一体化したヘルメットのバイク乗り(ライダー)は、
いかなる妙技か、神業か―――――、
 ビルの壁面を昇り始めた。

    ●

 バカがいた。
 簡素な胴着/短身痩躯の男/黒の蓬髪。
 右の手は、ビルの壁面に爪を打ち込み昇る。
 左の手は、〈プロレスの軌跡〉というプロレス本を捲っていた。
 双眸は、感動の涙に濡れていた。
 頭は、鍛錬の文字で埋め尽くされていた。
 バカがいた。

    ●

 跳ぶ、筋肉質の男/鎖と剣を打ち合わせ、使い慣れた二刀流のスタイルに戻るつもりだった。
 キャスターの内心は、充実していた。
 時間にして五秒に満たない闘争。
 達人の闘争は、一瞬で決まるモノ/一瞬一瞬に含まれる密度は、桁違いに濃かった。
 跳躍した体/変身した体を元に戻し、武器にかけた強化付加(エンチャント)を解こうとしたその刹那――、
「なっ!?」
 真後ろから首のない巨体が襲い掛かってきた。
 巨体は、その太い足で跳躍していた。
 巨体は、新芽を生やすように斧と盾が一体化した両腕/乳首が目/臍が口に成っていた。
 臍の口が、理性無き方向を上げた。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!」
 とてつもない圧力と重力加速が乗った大斧が、キャスターを真っ正面から襲った。
 先の数倍に匹敵する異音が広がった。

    ●

 “何故”という疑問は感じている。
 “どうして”という疑問も感じている。
 だが、今一番重要なのは、
「のがぎぎぎぎぎぎぎっぎぎぎぎっっっっっ………!!!」
 流せ薙がせ凪がせながせながせぇえっぇえええええ!!
 両剣を交差させ、大斧の一撃を受け止めていたキャスターの状況だった。
 両腕が限界まで張り詰め/大腿は地面と平行になるまで下げられ/膝は罅が入り/指に罅が入り/背骨が軋みを上げていた。
 何が何でも流せ!
 運の良いことに、まだ武器の強化は解いてなかった。変化は解いてあるが。
 運の悪いことに、着地点は剥き出しの鉄骨ではなく、コンクリートが敷いてあった。
 鉄骨の隙間から抜け出すこと/鉄骨が割れて、体勢が崩れること――両方とも無かった。
 そして、一瞬でも力を弱めれば真っ二つに成る確証があった。
 流すために力の均衡を崩すことは出来なかった。
 集中力が、剣全てに集中しているため、切札を使うこともままならなない。
 生臭い、臍の口の吐息が顔に掛かる。
 指ぃぃぃい!!
 キャスターは、足指を気合いで二、三度折り曲げる。
 罅入った左膝から骨の槍が伸びる/左の大剣の切っ先を持ち上げ、僅かに左剣の傾斜を高くした。
 斧刃が、左側に滑る/左人差し指と中指を持って行かれたが、問題無しと判断。
 コンクリートに斧を打ち付ける音を尻目に大急ぎで後退/
罅入った膝と欠損した指を変身魔術で修復し、トンボ返りをしながら後退する。

 鉄骨の頂上に立ち、両剣を構えて、異形の的を睨み付ける。


 首無し/腹の顔/斧手/盾手。
 単語を並べればそんな感じ/キャスターの記憶では、正体は看破できなかった。

 もし此処に中国人がいれば、正体はすぐに分かっただろう。
 炎帝神農に仕えし、巨人大将。
 首を落とされてなお/埋められてもなお/武器を失ってなお、忠義のために腹に顔/武器を持つ手を生やし、戦い抜いた忠臣。

―――――〈刑天〉。
死を拒絶し、闘争を貪欲に求める肉体宝具を持つ、中国神話の豪傑。


 刑天は、大斧を引き抜き、キャスターを睨み付ける。
 理性無きその姿は、先程と違い、忠臣のような雰囲気が滲み出ていた。
 キャスターは、食い縛りすぎて砕けた歯を吐きだし、笑って睨み付ける。
 鍛冶が本職のキャスターは、魔術が本職の者に、知識面で少々劣る。
だが、首を落とされても動くと言うことは、首以外をバラバラにしてしまえばいい事だ。 
 キャスターは単純に、そう考えた。
 両の大剣の切っ先を眼下の敵に突き付け、言う。
 まるで友人に語りかけるかのように、
「竜って見たことあるか?」
 刑天は答えない。答えられたら、水を操る憎き黄帝(りゅう)の事を答えただろう。
「オレはあるさ。それも二四の首がある変わった奴さ」
 刑天は答えない。答えられたら、変わっているな、と答えただろう。
「手は二つ。剣も二つ。それで一息に、二四の首を落とす方法があると思うかい?」
 刑天は答えない。答えられたら、山のようにでかい剣でも使うのか、と答えただろう。
「その答えは―――――!!」
 彼の道具作成スキルが働く。

彼の正体を調べるには、困難を極める/単純に逸話が八頁分しかないからである。
彼は、特異な特技を持っている。
魔力のまったく通わない道具を一瞬で生成する。
その過程が如何に魔術的でも、その物品には魔力が一欠片たりとも見受けられない。
その特技/剣技/変身/強化/変化魔術を使用し、二四頭の竜を斬首し、高速思考で交渉し、国の半分と美しい姫を手に入れる成功人生を歩んだ青年魔術師。

名を――――〈ラドカーン〉。
鍛治師の屠竜の英雄。


剣の切っ先が、花弁を開くように、一二条に分かれる。
翼のように大剣が広がり、二四の切っ先が、月光を浴びて、剣呑に煌めく。
魔力をまったく感じられない切っ先が、意思に従い蠢く。

「二四の刀身を持った剣を使うことさっ!!」

道具を作るとは、材料を加工ないし形状を変化させることである。
剣と作るのは、焼けた鉄を叩き、伸ばし、剣の形に加工することである。
“形”を“変える”――。
それが道具を作ること。
それは、一つの柄に一二条に枝分かれした刃を作ることも可能だ。
 通常なら実用にほど遠い扇のような代物だが、彼の特技を組み合わせれば、状況に応じて敬樹変化を行う奇剣となる。
「お前の血など犬に飲まれるがいい! 今日はオレが飲ませてやるさァ――――!!」

 魔力が流し込まれ、硬度/靱性が強化。肉体ステータスも一ランク上昇。準備完了。
 刑天は、太翼を広げる怪鳥の如き青年を見つめ――突貫した。
 斧を刃の暴風に叩きつける。

    ●

 時と同じ数の刃が、嵐となる。
「しゃああああああああ!!」
 左の十二刃大剣を突き出し、刃を螺旋状に形状変化/十二のバネ/斧刃を受け止める。
 ラドカーンの左踵が鉄骨に足跡を残し、左の螺旋刃は、超質量の斬撃を弾性で受け止めていた。
 右の一二刃大剣の三刃が分厚い左胸(左眼球)/三刃が左腕(盾の付け根)/三刃が水月(臍の口)/三刃が左足に迫る。
 その速度は一瞬――ラドカーンが普通に剣を振るう速度に匹敵する。
「■■■■■■■■!!」
 左胸(左眼球)を狙った三刃を左脇で挟み止め/左腕(盾の付け根)を狙った三刃を盾で叩き潰し/水月(臍の口)を狙った三刃を歯で噛み止め/左足を狙った三刃は脛に突き立つ。
「…………■■■■■■■■■■!!」
 左脛の筋肉の締め付けがそれ以上の進行を食い止め、右腕にさらに膂力を込め、押し切っていく。
 斧刃は、柔軟な刃を滑っていき、ラドカーンの左側を破壊した。
 刃が引き戻される/その際、浅くそれぞれの部位の肉を食い千切っていく。
「ぬるああああああああ!!」
 突き立ち、締め付けで止められた三刃を右腕の力で引き寄せる/筋肉断面積からなる力と体重は何倍もの開きはあるが、脆くなった足場に左足を乗せるには十分あった。
 刑天の体重で、足場が崩落/鉄板の亀裂に足が入り込む。
 左側に体重が傾く/圧倒的な隙。
「もらったぁあああさああああ!!」
 全ての刃を一旦纏め/身の捻りを加えた回転跳躍と共に解放。
 その身は、二四の刃という最強の矛と最強の盾に守られた殺戮機関と成るはずであった。
 ――――駆け上がっていく/轟く排気音によって、気を逸らされてしまった。

    ●

 壁を駆ける幻想のバイク/漆黒を落としたようなヘルメットまで一体化したライダースーツのバイク乗り(ライダー)。
月光を受けて優美に、勇壮にその機械美を見せている〈カワサキ500SSマッハIII〉。
壁を駆けた勢いそのまま、鉄骨の頂上に後輪を乗せ停止。
眼球の無い視線が、ラドカーン/刑天の順に向けられる。
そして、頭部の無い故の超感覚が、ある事象を感じ取った。
悲しみを。
かつて、悪意あるバイク乗り(ライダー)によって死に瀕した男の声。
『掴まえてくれ』
 引ったくりにあったOLの側にいて、弾き飛ばされて、打ち所が悪かった男の声。
 彼は、今戦争中最もバイクを愛する英霊(サーヴァント)。
 亡霊に近い彼だが、その愛は他の何ものをも凌駕する。
 バイクに対する正義の心にガソリンがくべられる/バイクに対する愛の心がエンジンを噴かす/バイクを悪行に使う者に対する怒りの心に、ニトロが注がれた。

 彼は――――〈首無しライダー〉は、二人を完全無視し正義を為す為、バイクを反転させ、元来た道を戻っていった。
 雷のように襲来し、雷のように去っていったライダーに、
 ラドカーンは、何しに来たさっ、と思わずにいられなかった。

――――一瞬後、二人の業が炸裂した。

    ●

 気の抜けた炭酸のような空気は、刃の風切り音によって、氷の如き緊張に戻った。
 ――二人の意思は、互いの絶殺のみに向けられる。
――暴走する歯車のように二四の刃と共に廻転するラドカーン。
――全てを打ち砕く渾身/会心の一撃を繰り出す刑天。
――凄まじい見切りと莫大な鍛錬による戦闘論理で、刃の嵐を潜り抜けた小さな男の放ったドロップキックが、ラドカーンを跳ね飛ばした。
跳ね飛ばされたラドカーンは屋上を越える/夜空に舞い/向かいのビルの窓に突っ込んでいった。
小柄な男は、絶殺の斧撃を八極拳の勁で流した。
化勁――攻撃を逸らす勁力。
縦軌道が、横軌道からの力に弱い/縦軌道の力が強ければ、それだけ横軌道の力は弱くて済む。
洞察力は、それを見抜いていた。
身が砕ける打撃は、手指の皮膚と肉を少しばかり飛ばすだけですんだ。
鉄骨に打ち付けられる斧/瓦礫と鉄片が舞う中、その男は斧の隣に居た。

小さな男である。
ラドカーンより三〇センチは低い矮躯/簡素な胴着の下は筋張った筋肉/蓬髪の下の眼は、プロレスの感動と憧れの人に出会ったかのように濡れていた。
懐にしまっていたプロレス本を投げ捨て――拳礼。
左掌で右拳を包む通常礼ではなく、右掌で左拳を包む闘争礼。
これよりは、命をかけた戦いを始める礼である。

 男の目には、感動があった。
 彼は、中国人だった。
 刑天の事は物語としてよく知っていた。
「――槍兵(ランサー)――――李書文」
 感動によって常識は吹き飛び、真名を名乗ってしまった。

 ――――〈李書文〉、一九〇〇年頃の八極拳に、〈神槍〉と謡われた大拳法家。
 その真似することすら困難な努力と大器晩成の才によって練られた勁力は、瞬間的に神代の英雄に匹敵するパラメーターを叩き出す。
 腕相撲や走力対決では、どう足掻いたって勝てないが、一瞬だけ勁をぶち込めるならば、神代の破壊力と神代の身のこなしになる。

 名乗りに名乗れないのを口惜しい、と理性のない代替脳髄で考えたのかもしれない。
 斧を引き抜き、切っ先を書文に向ける。
 互いの間合いは一間(約一.八メートル)/身長差は二メートル以上/体重差は六〇〇キログラム程――――圧倒的を超えた体格差である。
 間合いの方も書文が一歩の踏み込みを必要とするのに対し、刑天はそのままでいい。

 書文の瞳には、何の気負いも恐れもない/ただ闘志の火が燃えていた。

 斧が/巨人の大破壊力が/頂上より降ってきた。

    ●

来た!
刑天の斧。
中国神話の巨人大将の一撃。
これが、豪傑の攻撃か。
切っ先に、髪一筋分受ければ死ぬ。
流さなければ。
無理だ。
これは触れるだけで手指の皮膚を、肉を、骨を削ぎ飛ばす。
脆弱な二〇世紀人の皮膚では脆すぎる。
たゆまぬ鍛錬で、厚く、硬い拳の何たる非力さよ。
だが、これしかない。
拳しかない。
そうだ。
拳しかない大馬鹿者ではないか。
拳で武道家を何人も屠った人殺し。
喜んで、拳で殺した人殺し。
人殺しが、斧に怯えるな。
拳をぶつけろ。
これしかないので、これしかない方法をとれ。
把子拳の型を取る。
くらえ刑天よ。
黄帝に挑んだ忠臣よ。
我が人生そのものの絶招。
〈猛虎硬爬山(モウココウハザン)〉――――!

    ●

 巨人の斧撃。
 八極拳絶招が一つ〈猛虎硬爬山〉が激突。
 砕かれた。
 砕きの異音は二種。
 斧と巨人の腕/達人の利き手の拳。
 互いに木っ端微塵。
 互いに闘志健在。

    ●

 砕かれた。
 相打ちだ。
 だが、まだ死んでない。
 しかし、首を落とされても死なない怪物。
 絶命させるには――――これしかない!

    ●

 盾が矮小な人間を潰そうと迫る/八極の歩法ですり抜け、曲った大腿の上に立つ。
 屈んだ姿勢で生まれる大腿の足場。
 臍の口の上に左拳を添える/絶招はもう打てない/〈二打不要〉も二撃目は発動しない。
 これは――寸勁。
 狙いは脳髄のありそうな位置/代替される端から打ち砕くバカのような策。
 全身の勁力が拳に集まり、胸の中心を叩いた。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■――――――!!!」
 爆発音にも似た音が、巨人の肉から生まれた。

    ●

 拳が埋まる。
 骨が砕ける。
 勁力が爆発じみた破壊を促す。
 これで死ぬ。
 人間だったら死ぬ。
 だが、相手は刑天だ。
 こんなもので死ぬはずがない。
 こんなものちょっと脳に息を吹きかけられただけだろう。
 だから、一撃の次の二撃目。
 二撃で足りなければ、三撃。
 三撃で足りなければ、四撃。
 四撃で足りなければ、五撃。
 六撃。七撃。八撃。九撃。十撃―――――!
 寸勁。寸勁寸勁。寸勁寸勁寸勁。寸勁寸勁寸勁寸勁寸勁寸勁寸勁寸勁寸勁寸勁寸勁寸勁寸勁寸勁寸勁寸勁寸勁寸勁寸勁寸勁寸勁寸勁寸勁寸勁―――――!
 ぶちのめされた。
 まあ、ぼうっと喰らっているわけ無いか……。

    ●

 ぶちのめされ、転がる矮躯。
 快挙を成し遂げた。
 刑天の上半身は、叩き潰されていた。
 肉は大部分が千切れ貼り付いているだけ/肋骨や脊柱は砕け、折れている/血管はもう役に立っていない。
 だが、それでも刑天は生きていた。
 煎餅のように潰れた肉体の代替が始まる。
 両膝に目が生成/股間に口/腸が斧を持つ腕になった。
 辛うじてくっついていた左腕は関節を多々増やし、触腕のような盾持ちになった。
 さらに異形の化物と成り果てた。
「よお、お洒落になったじゃねぇかさ」
 ぶっ飛ばされたラドカーンが戻ってきた。
 背には翼/変身魔術/勁力で加速した見様見真似のドロップキックは、屠竜の英雄にダメージを残していた。
 刑天は、ちらりと彼を見る/すぐに視線を外し、しゃがみ込み、股間の口で書文の体を喰らった。
 中国には食人文化が存在する。
喰らうは、打ち負かした強者か美味そうな子供か。
 小さな体を大きな口で丸呑み/陰茎が象鼻のように動いて、小さな体を押し込む。
 その様子をラドカーンは、黙ってみていた。
 異形の食事に射竦められているわけではない。
 人を喰らう怪物に嫌悪感を抱いていた/嫌悪感の倍に達する怒りを感じていた。
 異形の怪物の異形具合を見れば分かる。凄まじいまでの執念/努力による打撃/萎えることのない闘志で、あの小さな体で、巨人の肉体をすり潰したのだ。
 もし相手が刑天でなければ、勝利を収めていたのは書文だっただろう。
 それに敬意を表する――。
 ラドカーンは思っていた。

 食事終了/魔術と魔力も知らない二〇世紀人の肉体は、たゆまぬ鍛錬によって極上の肉の味に成っていた。
 喰らった肉で、刑天の圧力が一回り大きく/強くなる。
 食って、肉体の欠損部分が完全回復したわけではないが、生命力が大分回復していた。

「…………決めたさ……」
 ラドカーンの殺意が、膨れあがる。
「貴様の血肉は、臭い路地裏に捨てて烏と犬どもの餌にしてやるさ。オレがしてやるさ」
 大剣の刀身が花開く/左右合わせて二四に分かれた刀身が、月光を反射し、月光華が咲いた。
「■■■■■■■■■■■■■■■■―――――――――――――!!!」
 異形の鬨の声が吐き出される。
「しゃああああああああああああああ―――――――――――――!!!」
 勇壮な鬨の声が吐き出される。
 巨人の斧撃/二四刃大回転斬り。
 ――真下から撃ち出された矢の群によって、勝負はまた流れた。

 〈大慈大悲千手観音弓(だいじだいひせんじゅかんのんきゅう)〉――。

    ●

 真下から迫る矢群をラドカーンは、二四刃で弾き/刑天は、斧と盾を振り回して耐えた。
 それでも幾つかは刺さり、体の大きい刑天に至っては数十本刺さっていた。
 跳ね飛ばされ、それぞれ対角線上に、屋上の隅に着地する。
 本来一〇〇〇人を狙える対軍宝具弓撃だが、集束/収斂して撃っていた。
 その矢群は、三〇階分の建築素材をぶち抜き、屋上に達していた。
 破壊ではなく、射貫くことを目的にした矢であるが、宝具であるそれは、破壊の嵐を巻き起こしていた。だが、それでも三〇階分の質量は、宝具の威力を減衰させ、二人が防御できる程度に威力は落ちていた。
 壁や天井が内部に崩落する音/それに混じる足音。
 花火のように二つの影が屋上に飛び出してきた。
「征夷大将軍んんんんん!!」
 書文と同程度の体格の少年/アイヌ風黄金鎧/守護神の守り刀。
「アイヌゥウウウゥウウ!!」
 中背だが、厚みある肉体の中年/平安鎧装束/鏡刃の宝剣。
 互いに重症/怨敵を睨み付ける。
 少年は、黄金鎧を貫いて幾つもの矢が突き立っている/右目は潰れている。
 中年は、厚い右胸が砕かれ、肉片に/左手が中指と薬指の間から肘まで裂傷がある。
 その他多数。
 神剣と宝剣が噛み合い、互いの体を弾き飛ばす/姿勢と整え、それぞれ屋上の隅に着地した。
「………………なんてこったさ」
「…………………………………」
「ちっ、回りに気を使う暇も無かったから、とんでも無いところにきちまった」
「くっ、出会とは数奇なモノよな。よもや、この都市の外れに四人も集うとは」
 四人が四人とも英霊だった。
 特に少年と中年は、この国では大英雄として扱われていた。
 少年――剣兵(セイバー)/アイヌの大英雄ボイヤウンペ。
 中年――弓兵(アーチャー)/征夷大将軍/武の坂上田村麻呂。
 二人は互いに面識はないが、立場上怨敵/仇敵/宿敵の立場にあった。
 四角の頂点にそれぞれ、英霊が立ち、相手を図っていた。

    ●

 このビルは東西南北に頂点をおいている。
 北――ハンガリー民話の英雄・ラドカーン/南――中国神話の巨人大将・刑天。
 東――ユーカラの少年英雄・ボイヤウンペ/西――征夷大将軍・坂上田村麻呂。

 四人は、凄まじい殺意/闘志/集中力で相手を図っている。
 もし、不用意に出れば、他の者の餌食になる可能性は大であった。
 四人ともそれは分かっていた。
 四人とも今日の闘争は終ると思っていた。
 四人の消耗は限界に達していた。
 四人の考えは――一致した。

「しゃああああああああああ!!」二四刃大回転斬り
「■■■■■■■■■■■■!!」巨人の大斧撃。
「ぎりぃあああああああああ!!」神威の鋭き憑き魂。
「ぶるぁあああああああああ!!」模倣融合素早丸突き。
 頂点の交わり/中心に向けて、一斉に特攻/勝負は空中での近接戦闘と相成った。

    ●

 屋上とは、天と地を繋ぐ境界である。
 特に、高層建築物であるなら屋上が、境界である想念(イメージ)は強くなる。
 だから、境界に潜むヴィシュヌの化身(アヴァターラ)にとって屋上に潜むのは用意であった。
 〈黄昏境界(ウシャ・ナカ)〉――解除/実体顕現。獅子面/円刃(チャクラム)を握った強壮な四つ腕/巨人並の巨体が、猛禽の速度で暗殺を行う。
 完全に不意を突く/漁夫の利を狙う/闘争中の背面攻撃/誰かが死ぬまで待たなかったのは、首級を四つ欲しいと何と為しに思ったから。
「がるぅうぅううああああああああああああああああああああ!!!」

 彼は、暗兵(アサシン)――ヴィシュヌの化身/四番目/ならシンハ/神に与えられた不死身の肉体を素手で引き裂いた獣性の英雄。

    ●

 暗殺は一瞬の出来事。
 刑天の下半身が縦に割られ、横に切り裂かれる/田村麻呂の首が、獅子牙に噛み千切られる/ラドカーンの腰が、刃の隙間を縫うように投擲された円刃で分断/ボイヤウンペの小さな胸が、真横から分割された。
 ナラシンハは大首級を得た。
 戦場ならば、多量の褒美が与えられただろう。
「GARURYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYY!!!!」
 獣の勝鬨を咆吼/勝利の喜悦に酔う視界に、二つの分かられた肉体が写った。

    ●

 吹き飛ぶ半身が二つ。
 こりゃ無理だ……。
 腹を割かれて六度の戦いを潜り抜けたアイヌの大英雄は思った。
 もう無理さ……。
 変身魔術を駆使し、猫にも蚊にも姿を変えた魔剣士は思った。
 未来視を使う必要もない。
 あと、数秒で事切れる。
 あと、数秒戦える。
 ボイヤウンペもラドカーンもあと数秒戦える。
 分断され、消耗した肉体は、それで消滅する。
 ……………なんだ、ぶちのめせるじゃないか。
 ……………なんさ、ぶちのめせるじゃないさ。
 さあ、喰らえ。

    ●

 激しい魔力の集まりをナラシンハは感じ取った。
 荒ぶる雷神の気配を/焼き焦がす猛炎の気配を/この化身の身を消し飛ばす切札の気配を。
 回避/境界に潜み、玄関で顕現/あとは逃げる。
 そう思い、未だ空中にいる身だが行動しようとした体――足が掴まれた。
 猛禽の目が写したのは、四つにばらされた巨体の一部――足/刑天。
 爪先を手/膝頭の目で、ナラシンハを見つめていた。
 まだ、生きている。
 落ち行く体の一部は、それでも戦いを止めなかった。
 決意ある瞳は、雄弁に語っていた。
 決意ある脛の口は、朗々と語った。
「逃がすか…………」
 絶叫が、獅子の咆吼として吐き出される。

 二人の真名解放/切札が開封/蹂躙の対群宝具。
「憑霊顕す神威の刀(クトネシリカ)――――!!!!」
「焼き焦がす青炎(ナプホルト)――――!!!!」

 神威(カムイ)の雌雄龍神は双頭の龍を象った雷/夏冬狐神は妖狐を象った炎/狼神は銀狼の神威が襲う。
 決して逃れられぬ猟犬の如き青く、鬼火の如く燃え盛る巨大な青炎がラドカーンを中心に広がる。
 渾身の熱量宝具は、ナラシンハ/刑天/坂上田村麻呂/ビルを蒸発させ、青炎に巻き込まれたラドカーン/ボイヤウンペを焼き焦がした。
 この日、六体の英霊の消滅が観測された。

    ●

 引ったくりを常習していた男は、愛車に跨り、悠々とドライブを楽しんでいた。
 ふと、ミラーに映る黒いライダーを見付けた。
 巨大なバイクに跨るライダーは、徐にヘルメットの留め金を外し、投げ捨てた。
 身の毛もよだつ絶叫が、人気の絶えた道路に響いた。

    ●

 女が泣いていた。
 引ったくりにあったOLであった。
 OLは、頭を打って死んでしまった恋人の男の側で、泣き崩れていた。
 携帯も盗られてしまったので、警察に連絡することも、挫いた足を治すための助けを呼ぶことも出来なかった。
 泣き伏せる女の顔にライトが照らされた。
 バイクのライトだ。
 女の顔に恐怖/バイクは最早、地獄の悪鬼の眼に匹敵する。
 盗られたバックが放られた。
 地面に落ちたそれを拾い上げ、伏せていた顔を上げる。
 左親指を立てて、去っていく正義のライダーの姿だけが濡れた瞳に映っていた。
 カミナリマッハの独特の排気音を響かせ、ライダーは風と共に去っていった。
 あとには、廃棄臭だけが残った。
 バイクを愛する男の正義の香りだった。


    THE・END