汚。
目の前に存在する、醜悪なるケモノを形容するならば、その単語がもっとも相応しいだろう。
表皮を這いずり回る呪詛は、あらゆる生命と神を侮蔑し、汚辱し、陵辱する言葉で構成され、
その外見をより一層、醜く、歪なものへと変えている。
歩を進めるたびに、地面が発狂し、泡を立てながら溶けて、解けて行く。
頭の一つ一つが息をするたび、空気が震え、汚染される。
「神を汚すもの」・・・すなわち、七つの頭と、十の角を持つ『緋色のケモノ』。
『黙示録の獣』。

「ふん・・・ライダーめ。唯の売女ではないと思っては居たが、このような切り札を隠し持つとは」

ゆっくりと、しかし確実に・・・ケモノが世界を汚染していくのを、ビルの屋上から眺めながら、
男は―――数多の戦場を駆け抜けたと思われる、細かな傷の付いた鎧。
精悍なる顔つきと、それを彩る黒々とした髭。
そして、この世のいかなるものよりも「赤」である杭を持った―――男は、ニヤリ、と笑った。
地獄が顕現したかのような光景すら、男の前ではまだ『生ぬるい』のだろう。

「いや―――どうするんだ、ランサー。
 このままじゃ―――」

その隣で、赤毛の少年が、ランサーと呼ばれた男とは正反対の真剣な表情で呟く。
確かにこのままでは、周辺の建物、住人はおろか、町が一つ潰されてしまうだろう。

「ク・・・ククク。案ずるな、マスター。
 アレがいかなる神話に座するケモノであれ、
 生き物であり、血さえ通っているのであれば―――問題は無い」

ランサーが、杭を床へと突き立てる。その杭をよく見れば、
ギチギチと音を立てながら、獲物を求めるように表面を赤い隆起が蠢いているのが分かるだろう。

「しかし問題は―――マスター。
 お前が許容できるか、ということだ。
 アレを滅ぼすということは、アレの所有者であるあの女と―――そのマスターすら滅ぼす。
 そういうことになる。それを許容できるか。そういうことだ」
「ッ―――そ、れは・・・」

少年が、拳を握り締めて、俯く。あのケモノの上には、彼の友人が乗っている。
道を違え、対決し、ココに至るが―――それでも彼は友人であった。
そんな少年の様子を見て、男が言う。

「―――マスター。正義とは何か分かるか」
「正義? それは―――」
「正義とは、『悪である』事に他ならない。
 国を守る為。民を守る為。秩序を守る為に。
 如何なる悪徳をも背負い、悪を行使する。
 如何なる区別も差別もせず、万物に等しく悪である事・・・そう、己にさえ!」

ランサーが静かに、そして力強く宣言する。その瞳は、今ではなく、過去を見ていた。
そう、彼が突き立てた、万に近い杭の丘を。

「『悪である』?」
「全てを救うことはできぬ。如何なる英雄であれ、何かを犠牲にしなければ成しえぬ事がある。
 だが、その犠牲を最小限に抑えることは出来る。その選択が『悪』なのだ。
 ―――マスター、違えるなよ。守るべきものが、あるはずだ」

如何なる思考があったか。
如何なる迷いがあったか。
ランサーの言葉を聴いた少年は、握った拳を開いた。


「うふ、ふふふ―――」

女は笑う。豊満な、この世の美の全てを集めたような美しさを持つ身体を、
わずかに紫がかった布一枚で覆うという、扇情的な格好をした女が笑う。
手には黄金の杯が握られており、そこから零れ落ちる紅い液体が、女の手を濡らす。

「美しい・・・実に美しい世界!
 愚かな神の作り上げた愚かな世界から外れた世界!
 クダラナイ理性と知性で己を縛る、ツマラナイ世界を外れた世界!
 悪徳こそ美。悪徳こそ真。この『黙示録の獣』は―――世界を等しく真とする!」

杯を天に掲げ、女は笑い声を高めた。杯から零れた液体が、女の肢体を艶かしく見せる。

「集会の場を強襲されるとは・・・ちと焦ったがの。
 わらわの獣を披露し、世界を書き換える絶好の機会じゃ」

彼女は、少し前まで―――。
廃ビルにおいて、少しばかりの魔力補給をかねた集会をしていたのだ。
そこを、赤毛の少年と、赤い杭を持った男に強襲されたのだが―――。

「おい、ライダー・・・!」

ライダーと呼ばれた女の隣に居る少年―――美形と称する事も出来る顔だが、今は真っ青になっている―――が、語りかける。

「なんじゃ、マスター。折角興に乗っていたというのに―――」
「なんじゃ、じゃない! ―――あいつらが動き出したぞ?
 それに、こんなに派手にやらかして・・・どうするんだ!?」

そう、彼らは今―――町を侵攻する、『黙示録の獣』の上に座しているのだ。
小さい山ほどの大きさのある獣の上、わずかに動くだけでも、相当な揺れとなる。
ライダーのほうは平然としているものの、少年は座っているのにも必死である。

「気にするでない。今は満月も綺麗な『夜』。人目は少ない。
 わずかな目撃者も、我が獣の出す呪詛にやられるというもの。
 それと―――ランサーじゃったか? あのような小物は放っておけ。
 どことも知れぬ国の王のようであったが・・・この獣に太刀打ち出来るものか!」

ケラケラケラと、ライダーが妖艶な声で笑う。

       アポカリプティック・ビースト
「この獣こそ、 『黙示録の獣』 !
 世界を終焉へと導く、『緋色のケモノ』なるぞ!」

「その驕りが命取りだ―――」

ミシリ、とランサーの右腕が膨らんだ。
まるで、内に秘めた命の数々を解き放つかの用に、更に膨れ上がり―――。

 バサァッ!

弾けると共に、その腕が数多の蝙蝠と化す。

「本来ならば、処女の生き血でも啜りたかったが―――」
「うるさい、我慢しろ。―――それよりも」
「安心しろ、マスター。あの傲慢なる悪徳の女―――この一撃で」

数多の蝙蝠の足には、それぞれ先ほどの杭が握られていた。
サイズはいささか劣るものの、やはり表面はギチリギチリと蠢いている。

「屠って見せよう。
 今宵は満月。我の力を発揮するのにもっとも相応しいとされる瞬間。
     ヴラディスラウス・ドラクリヤ 
 ―――『餓え渇く飲血の領地』よ!」

ランサーの叫びと共に、杭を持った蝙蝠達が、
弾丸のような速度で、目下の獣へと飛び掛っていった。

「く、くるぞ!」

少年の叫びに、しかしライダーは動じない。
彼女の操る『黙示録の獣』は、彼女の最大の攻撃にして、防御でもある。
表皮をはいずる呪詛は、あらゆる生命も物質を朽ちさせ、近寄らせず、
たとえ呪詛の守りを突破できたとしても、地脈からマナを吸い上げることで獣自体が再生する。
故に、ランサーが如何なる攻撃をしてこようと、獣で受ければ、それで済む事であったのだ。
そうして、目論見通り―――。
高層ビルの屋上よりライダーに放たれたランサーの攻撃は、首の二つを持って獣が受け止めた。
その攻撃の影は、ライダーの目には、蝙蝠のように見えたが、一つの首の吐く呪詛により、
瞬時に形を失った為、詳しくは分からない。
その影から放たれた杭のようなものも、もう一つの首が受け止める。

「ふふふ・・・いったじゃろう、マスターよ。
 案ずるでない。この獣は『神を汚すもの』よ。そう簡単に落ちはせぬ」

そう言いながら、この戦場から離脱する頃合をライダーは見計らっていた。
獣が落とされぬ、という自信はあるものの、延々と獣を維持している訳にも行かない。
ランサーも攻撃が通用せぬと分かった以上、そろそろ離脱するか・・・。
―――そのような事を、考えていた瞬間。

ぐるぎおおおおおおぉおおぉおおおぉおっっ!!!

「何事じゃ!!」

首の一つが、絶叫を上げた。それは、世界に向ける怨嗟の声ではなく、
耐えがたき痛みによるものであり―――。

「馬鹿な。我が獣の再生を上回る攻撃などと!」

とてつもない勢いで―――獣の首の一つが『潰されていく』のを、ライダーは感じていた。
再生する、その先から、首の内側より生える何かによって貫かれていく。

ブシャアアアアッ!!

黒い血を撒き散らしながら、首が跳ねる。
その姿は外側からでも分かるほどに、蹂躙されていた。
内側から生える―――それは杭だ。
まるで木が成長するかのように、次々と首から杭が飛び出してくる。

「よ、よもや―――ランサー!!」

ライダーが、遥か頭上を見上げる。彼女の瞳は、月明かりに照らされたランサーの凶悪な笑みを捉え―――。

ドドドドドッ!!

首から撒き散らされた血もまた、数多の杭となり、別の首へと、そして胴体へと突き刺さる。
ライダーは、自分達に向かってきた杭を首の一つをもって防ぐが―――即座にそれが過ちと気付く。

「血を媒介に、増殖を!?」

身体の内側へと侵攻し、内側から外へ突き破る―――。
再生と同時に、その血を糧とし新たな杭となる。
永遠に続く串刺しの中へ、既に獣は捉えられていた。

「ランサー・・・!
 ―――ヴラド・ツェペシュ!!」

    カズィクル・ベイ
「『餓え渇く鮮血の粛杭 』―――血を持つケモノである限り、敵ではない。
 大淫婦―――マザー・ハーロット」

ランサーが、杭に貫かれのた打ち回る獣を眺めながら、呟いた。
先ほど蝙蝠と化した右腕も、元へと戻っている。

「さぁ、マスター・・・今宵の闘争もこれで終わりだ。
 少なくとも、一騎。これで仕留めた事となる」

嬉しげに、傍らに居る少年へとランサーは語りかけるが、反応は無い。

「まだ、引きずるか?
 ―――マスターであるお前の意向は極力汲むが・・・。
 一戦ごとに、そのような思考を重ねては・・・いずれ、死ぬぞ?」
「わかってる・・・わかってるさ、ランサー」
「ならば、良いのだがな・・・夜も明ける・・・一先ずの休息とするか。
 あの獣は―――あの監督役にでも任せるとしよう」

少年に肩を貸し、ランサーは屋上より飛び去った。
唯一匹、今だ死ねぬ獣を残して。


「はっ・・・はっ・・・ぐあ、あ―――」

路地裏を、1人の女が這いずっていた。獣の乗り手―――ライダーである。
数多の杭が獣を抉り殺す中、何とか抜け出せたものの、かつての美しさは面影も無い。
杭によって腿を貫かれた右脚は、侵食を防ぐ為に切り捨てられており、
皮肉にも、崩れ落ちた獣の角によって殴打された左腕はグシャグシャに折れ曲がっている。
元々、彼女自身は身体能力に優れた方ではない―――あの場から抜け出せただけでも奇跡といえるが―――。

「あ、あ・・・ダメじゃ・・・。マスターは、もう―――。
 うぅ、く・・・消える、消えてしまう―――!」

彼女を現世へ繋ぎ止める役割を持つ少年は、あの場所から逃げ出すことは叶わなかった。
彼女ですらこの有様であるのだから、当然ではあるが―――。

「『神を汚すもの』であるわらわが、こんな場所で―――!」

もはや存在することも叶わぬ、と―――その瞬間。

「お困りのようですね?」

地面を這いずるライダーに、声がかけられた。
その声は、優しく、暖かく、そして、何よりも―――甘美であった。

「あ、ああ! お、おぬしは!」

ライダーの頭に、スッと声の持ち主の手が翳される。
手の平が、淡く光るかと思うと―――。

「もう、大丈夫でしょう。擬似的ではありますが、私との間に『契約』を結びました。
 マスターがおらずとも、現界していられますよ」

ライダーの額に、『666』の刻印が刻まれていた。
と、同時に、今にも消え去るかと思われたライダーの肢体に、力が戻っていく。
傷はそのままであるものの、今すぐにでも消える、ということはなさそうだ。

「あの獣の叫び声を聞きましてね。よもや、と思いましたが・・・。
 貴方まで召喚されているとは」
「あ、あぁ! 全く持って僥倖じゃ!」

先ほどまでの絶望に満ちた表情とは打って変わり、
ライダーの顔には思いがけぬ希望とであった・・・そんな表情だ。
目の間にいる・・・男。どこまでも、人を慈しむ様な、そんな顔をした青年の存在は、
彼女にとってそれほどの意味を持つ存在であるということだろう。

「わらわの獣も、もう数日もすれば蘇らせることが出来る!
 そうなれば、おぬしと一緒にあの憎きランサーめを屠ることも可能じゃ!」

憎々しげに、手を地面に叩きつけるライダー。
小さきもの、と侮っていた相手に、完膚なきまでに叩き潰された事は、
彼女のプライドに十分すぎるほどの傷を付けたのだろう。

「下らぬマスター・・・令呪に縛られることも無い・・・。
 ふふ、そう考えれば、あのランサーも良い仕事をしてくれたものだ!
 この礼はたっぷりとしてやらねばの!」
「―――ダメですね」

自らの失策を塗りつぶそうとする思考を重ねるライダーに、
青年は―――とても冷ややかな声を浴びせた。

「・・・? 何を言っておるのじゃ?」
「ダメです。やはり貴方はダメだ。
 そのような思考、目先の物しか見えぬ小さなプライド―――。
 貴方に『神を汚すもの』の名は相応しくない」

グッ、っと―――青年が拳を握り締めた。
と、同時に・・・ライダーの身体から、急激に『何か』が抜けていく。

「カッ―――あ・・・な、何を・・・!」
「聖杯に取り込まれるはずだった貴方の魂を私がいただくのですよ。
 というより、元々それが狙いでしたのでね」

ライダーの額にある『666』の刻印が、一際強く輝きだす。

    ゲマトリア
「『獣の数字の刻印』―――私との契約の証です。
 魔力を蓄積する作用もありますので、サーヴァントを維持する事も出来ますが・・・。
 このように、サーヴァントから魔力を根こそぎ奪い去ることも可能です」

青年は、教師が出来の悪い教え子にモノを教えるように、優しく語りかける。
しかし、その表情は―――これから解体され、食料となるブタを眺める、それに等しい。

「一つの器に二つ分の力・・・ありがとうございます。
 これで他のサーヴァントと大きく差を広げることが出来る」
「こ、このわらわを、謀ったと―――言うのかぁ!!」
「いえいえ―――この程度で謀略といわれても困りますね。
 希望を与えてから、突き落とす。基本中の、基本です」
「な、何故―――わらわは、お主の―――」

パキンッ! という渇いた音と共に、ライダーの姿が完全に消滅した。
後に残るのは、青年ただ1人。

「先ほども言ったでしょう?
 『神を汚すもの』の名は貴方に相応しくない。
 そう、それは―――このアンチキリストが背負うべき名だ。
           グレートマザー
 さようなら、我が『偉大なる母』よ」

もはや現世に存在しないライダーに語りかけながら、
青年―――アンチキリストもまた、その場を立ち去った。


今宵散ったのは一騎のサーヴァント。
悪徳を司る、獣の乗り手。残るは六騎。
果たして勝利するのは、吸血鬼の名を持つ公爵か、偽であれとされた者か、
それとも今だ姿を見せぬ四騎のいずれかなのか―――物語は、これをもって始まりとなる。