瀟瀟(しょうしょう)と風が鳴いている。騒がしく鳴いていた虫も静かになった。まるで命がなくなったかのように、風の音だけが支配したかのように。
 そして、今、公園にいる二人の緊張は高まりつつあった。
「…………戦えと、な?」
 ジライヤの声色は固い。先ほどまでの友人に対して使っていた声色ではなくなっていた。まるで、彼の時間があの頃に戻ったかのように。
「そうだ、貴方と戦いたいのだ。武器を取り、鎧を纏い、兜を締め、心を“殺し”で満たしてだ」
 ブリュンヒルドの方も先ほどの雰囲気ではない。彼女の時間もあの頃に戻ってしまっていた。
「理由を聞いてもよろしいか?」
 先ほどよりもさらに固くなっていった。友人の裏切りにあったかのように、すこしばかり声がうわずっている。
「ああ、勿論だ。貴方にはそれを要求する義務がある。そしてわたしには応じる義務がある」
「ああ、それは良きことじゃ」
 少しだけ声色が柔らかくなるが、警戒は解いてなかった。ブリュンヒルドはその態度に満足するように、蠱惑的に微笑んだ。
「その理由とは、わたしが“変る”ためだ。生前のわたしのように、愛した伴侶を絶望と嫉妬に狂い、殺したわたしから変るためだ」
「……それは「身勝手だとも、自分勝手な理由だ、と言うこともわかっている。英霊(変らない存在)であるが故に変われるはずがないと言うこともわかっている。
 “座”で考える時間だけ与えられても狂者はまともになれない!」……うむぅ……」
 ブリュンヒルドはジライヤの言葉を遮り、叫ぶように“心の澱”を吐き出した。
 彼女は今でもシグルドの目を見て話をすることができないでいる。罪がない良人(おっと)を暗殺し、さらには死後でも責め続けたのだから。
 シグルドの方もまともに会話できないでいる。フォローしてくれる者がいないと逃げ出してしまうのだ。

 ジライヤやその他の男性陣は情けない奴だとは、思っていない。
死後も人間のように生活できる聖杯戦争特有の弊害でもあるし、余りにも複雑すぎる男女の問題なのだ。まあ、さらに複雑な伴侶の問題を持っている者もいるが。(チンギスとかセドナとか)


「……何故ワシと戦いたいと? ワシより強く、立派な英霊が一山幾らとばかりに、ごろごろしておるではないか」
 ジライヤは至極真っ当な疑問を口にする。気高き英雄とは、無縁の立ち位置にいる英霊である。
「む……、それはだな……」
 珍しい事に、答えに休していた。不安に悶えるように乳房を両腕で抱え込み、恥じらう乙女のようにモジモジとしていた。
 ジライヤは大人しく、答えを待った。やがて――
「貴方は善人だからだ」
「はい…………? ぜ、ぜんにんですか?」
 余りにもあんまりな答えにジライヤの口調は完全に変ってしまった。顔もポカンと間抜け面である。

 『ジライヤは善人である』この言葉に賛同する者は、この町にどれくらいいるのだろうか。ジライヤを現す熟語として、変態、もしくは痴漢、覗き魔、狒々親父が上げられる。
 どれをとっても高評価とは言えない認識である。しかし生前のことを考えてみても善人と言えるかもしれない。
 義賊として悪党を懲らしめた――地域の人には喜ばれただろう。
 綱手姫を伴侶とした――他の女に色目を使ったが、時代的に言えば良き夫の範疇に入っただろう。
 大蛇丸に憑いた大蛇の精を祓い彼を許した――衛宮士郎にも匹敵する慈悲の心である。
 ジライヤの逸話を余りブリュンヒルドは知らない。精々が三竦みのアレくらいの知識である。
 だが、ブリュンヒルドはジライヤを善人と言った。それには訳があった。
「貴方は善人だよ。どうしようもなくね」
「いやいや、そんな善い人ではないぞい、ワシは」
 手を振り否定するジライヤ。それをおかしそうに笑い。
「善人でもない人が、二時間も迷い子を肩に乗せて親を捜すかな?」
「ぬぐ………」(ジライヤの心に十五のダメージ)
「さらに、引きこもりだったセドにゃんにパラケルスス特性の肉手袋と肉仮面をプレゼントしたりするかな?」
「のう………」(ジライヤの羞恥心に七十六のダメージ)
「さらにさらに、ホム娘らに自分の時間を潰して、二十四時間もテレビゲームに付き合ったりするかな?」
「……………」(ジライヤの一番敏感な箇所に千四百五十三のダメージ)
 ジライヤはへこんでしまった。


ブリュンヒルドはその様子に本気で腹を抱えて、笑い転げていた。
 しばらく公園には美女のはしたないくらいの笑い声に包まれた。
 そしてジライヤが気力を取り戻し、どうしてそんなことを知っているのか、と聞いた。
「ああ、それはだね……ぷっくくくく」
 まだ笑っていた。おまけに笑いすぎによってシャツが捻れ、右乳が危うい事になっていた。
「ええい、笑い過ぎじゃ!」
 声を荒げ(演技)、眉間にしわを寄せ(これも演技)じっと見入るジライヤ。少しだけ空気が以前の物に戻っていた。
「いや、すまない、話そう……言っておくが、ラブコメのように貴方が好きでじっと恋する乙女のように見ていたわけではない。
 さる情報通からの情報だ。そのさる情報通と言うのは、鉄鼠のことだ。群体である彼らは、かなりの情報通なんだ」
 立つはずだったフラグと伏線を纏めて叩き折ってしまった。本気の本気でラブコメをするつもりはないらしい。
「さらに言えば彼に操を立てているわけではない。彼とは今の関係を何とかしたいとは思っているが、夫婦にまではなりたいわけではない。一言で言えば『ずっと仲の良い友達でいましょうね』だ」
(わー、このおなごすごー)
 そのようなラブコメ展開全拒否の姿勢を見せられて、さすがのジライヤも惚けるほかなかった。
「さて、貴方が善人だからわたしは戦いたい。わたしは今まで色々な者と戦ってきた。しかし貴方のように、どうしようもなく助平で善人である者とは戦った事がない。
で、あるからわたしは貴方と戦いと思いここに参上したわけだ。明らかに言葉が足らず、わたしの心意を慮(おもんぱか)れないだろうが、それは問題ではない。わたしの目的のために、私と戦え」
 それだけ言うと後はむっつり黙ってしまった。
 ジライヤは困惑していた。何しろ意味不明である。義賊団を率いたジライヤであるが、このような心情を持つ者を見るのは初めてである。夫を殺し、自殺し、その事に苦悩している目の前の女を助けてやりたいという気持ちもあるし、何より友人としても助けてやりたい。
 しかし、彼女が望んでいるのは試合ではなく“死合”である。友人と殺し合いをしたくないという気持ちが心のほとんどを占めていた。
 ――つまりは、彼はどうしようもなく“善人”だった。


 そしてジライヤは「わかった……了解しよう。ただし、二つ条件がある」と言い、ブリュンヒルドは「何だ?」とだけ言った。
「まず、互いに一撃のみだ。それ以上やるとこの公園がなくなってしまうからのう」
「了承した」頷く。比喩でも何でもなく、純然たる事実である。
「二つ目に、もうワシの事を善人善人言うな。どうにもこそばゆいんじゃ。善人の称号は赤坊(あかぼん)にくれてやれ」
「了承した。が、善人の称号は赤髪くんには少しばかり合わない。彼は自己欠落者であり、偽善を行動原理にしているからだ」
 二人は同時に、あのどうしようもないくらいの欠落者であり、最高の偽善者である少年を思い浮かべた。二人とも、少年を好いていた。
 瀟瀟と鳴いていた風はいつの間にか凪いでいた。

  To be continued.


 肉手袋:パラケルススが作った、人の手そっくりの手袋。ぱっと見、見分けは付かない。
 肉仮面:パラケルススが作った、肉性の仮面。セドナの場合、左目を中心に貼り付けている。
様式美に凝っていて触っても見分けは付かないが、貼り付けているだけなので左の視覚は取り戻せていない。なお汗腺もない。