つれづれ > スポーツ観戦と日本人の心


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(2008/06/02)

 山崎ナビスコカップ予選ヴィッセル神戸対浦和レッズを昨日(いつの間にか一昨日になってしまってます)見に行ってきました。
 ヴィッセル神戸のホームグラウンド「ホームズスタジアム神戸」での試合です。

 さすがサッカー専用グラウンド。
 最前列からサイドラインまではなんとわずか9m。ベンチの屋根は手を伸ばせば届きそうなぐらいです。
 昨日は雨が降りそうだということで大屋根は閉まっていましたが、晴れた日には屋根をあけて楽しめる全天候型の、天然芝(!)のグラウンドです。試合前とハーフタイムには整備員のおじさんたちが掘り返った(といってもスタンドからは全く傷んでいるようには見えませんが)芝を丁寧に手直しをしていました。

 本当にすばらしいスタジアムです。
 すばらしく手入れされたピッチ。専用スタジアムですから、ピッチとの間に複合スタジアムのようなトラックなんてありません。選手が手が届きそうなところで必死でプレーしているところを見ることができる。でも、対戦相手がガンバ大阪と浦和レッズのとき意外はかなり観客席が空いているそうです。また、その2チームのときは、ビジターチームの席から売れていくとのこと。

 観戦位置はセンターよりちょっとビジターよりの場所。浦和レッズのサポーターの応援はすごいと聞いていましたが、聞きしに勝る応援です。ヴィッセル神戸のホームスタジアムであることを忘れるぐらい、常にサポーター先からは応援の歌が聞こえていました。ヴィッセル神戸のほうはその声にかき消されてほとんど聞こえないぐらいです。

 神戸の皆さん、どんどん応援に行きましょう!

 試合は、開始4分で日本代表から調子が悪いということで外れている高原選手がゴールを決め、浦和レッズペースで進んでいたのですが、途中で同点になり、最後は逆転。そのときはさすがにそれまで静かだった私のまわりのヴィッセルファンも立ち上がって叫んでいました。

さて、
 サッカー観戦は(多分)初めてです。
 そこで気になったことを一つ。

 自分が応援するチームを応援することはすばらしいことです。浦和レッズのサポーターの皆さんの常に声を出し、手拍子をし、時にはジャンプもし、応援し続けることには本当に頭が下がります。

 でも、相手チームに敬意を払わないような応援は、私にはちょっと奇異に映ってしまいます。

 相手チームであっても選手紹介のときは拍手をして欲しいと思います。ゴールをされたシーンではさすがに相手チームの選手をたたえる気持ちにはなれないでしょうが、それぐらいの気持ちが欲しいと思うのですが、いかがでしょうか。

 今朝の「サンデーモーニング」で横綱朝青龍関と同じく横綱白鵬関の取り組み後の小競り合いを取り上げていました。

 「相撲はもともと神事だから他のスポーツとは違う、だから品位が必要だ」

という話が大勢だったように思います。

 大相撲の前には、土俵を清めるための神事があり、各取り組みの前の両力士が行う四股などの所作にも意味があるそうです。それをおそらく力士たちに伝えてこなかったから横綱になってまで、あのような見苦しいことが起こるのでしょう。
 それらを徹底して教えることに関しては大賛成です。

 ただ、「相撲は他のスポーツとは違う」ということに関してはちょっと疑問が。

 コメンテーターとして時々出演される中西さんが

 「相手チームの選手や審判がいてはじめて試合ができる。
  その人たちに敬意を示さないでどうする」

というような意見を述べておられました。

 「そのとおり!」
と私はテレビに向かって叫んで(というほど大きな声でもなかったですが)いました。

 確かに相撲は神事で特別なのでしょう。百歩譲ってそうだとしても、他のスポーツも相手選手や審判やスタッフに対して敬意を表すべきだと思うのです。

たとえば、柔道。
 スポーツとしてのJUDOにどんどん変わっていってしまっています。日本の柔道関係者はそれを嘆いていますが、基本を伝えることを忘れたところにその変化のきっかけがあるように思います。

 「礼に始まり、礼に終わる」

 ここの部分を伝えきれていないから、柔道がJUDOに変わっていったのではないでしょうか。

 「柔ちゃん」こと谷亮子選手。確かにすごい選手ですね。でも、相手を倒したあと、ガッツポーズ。残念ながらあれでは柔道ではないと思います。

 柔道人口は世界的に増えているそうです。JUDOでなく、柔道です。
 単なるスポーツとしてのJUDOではなく、心技体を重んじる柔道です。

 あるテレビ番組で、ヨーロッパかどこかの国の柔道教室(?道場?)を取り上げていました。そこでは技を教えることがメインではなく、礼も含めて、柔道そのものを教えていました。その柔道を教わった彼ら、彼女らにとって、世界選手権などで行われているJUDOはいったいどのように映るのでしょうか?

 日本は古来から相手を思いやる気持ちを持ってきました。その相手は、「人間」だけでなく、自然全体に向けられていました。「日本は」と書きましたが、これは日本には限ったことではないようです。世界各地の昔の生活の中に(あまり詳しくはないのですが)アニミズムと総称される生活と結びついた一つの生き方があったようです。アニミズムを原始宗教として、宗教の一つと考える考え方もあるようですが、そうではなく、あくまでも生活の中に根付いた生き方と考えたほうがいいのではないでしょうか。

 それが日本では神道と結びつき(このあたりの細かなことについては全くの素人なので、間違っているかもしれません)長く日本人の心に住みついてきたのではないでしょうか。その分、他の先進国と比べると、相手を思いやる気持ちは、まだ、少しは強く残っているように思います。

 ただ、相手を思いやる気持ちは、人の基本の資質としてほんらい誰でもが持っているはずです。
 だからこそ、柔道が世界各国で受け入れられるのでしょう。

 “The Last Samurai”という映画がありました。
 渡辺謙さん演じる「勝元」が官軍に追い詰められ、もはやこれまでというときにTom Cruiseさん演じる主役に介錯をしてもらって自害をします。その立派な最期に官軍の兵隊たちは帽子を取って黙祷をささげるという非常に印象的なシーンが出てきます。
 これを武士道と呼ぶのでしょうが、ほんらいすべてのひとが持っている本当の心のあり方なのではないかと私は思っています。

アメリカのオリジナルのポスター には「武士道」の文字が日本語で3ヶ所に入っています。

話が飛んでしまいましたが、

 スポーツは、相手を倒すためだけのものではないと思うのですがいかがでしょうか。
お互いの力を出し切って戦い、その結果として勝敗が決まるということだけのような気がします。

 すばらしいプレーには敵味方関係なく、惜しみなく拍手をする。

 マラソンで、最後の最後にゴールにたどり着いた人には皆さん惜しみない拍手をしているではないですか。それはその人を哀れだと思ったり、見下しているからではないはずです。その長い距離を走りきったということに対するあたたかい気持ちのこもった拍手のはずです。

 それと同じことを、サッカーなどの勝ち負けが決まるゲームでもやればいいだけのこと。というのは変ですかね?





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