つれづれ > すべてそれは「愛」だった


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(2008/05/24)

ちょっと大げさなタイトルでしょうか?

 私が勤めている会社の後輩Fさん(男性)が書いているメルマガに 「小説上杉鷹山」
の感想文が載っており、気になったので私も買って読みました。「よかったよね」というメールの返信としてきたのが下記のメールです。
 読んでみてください。



Mさん。

読まれたんですね。
ありがとうございます。

僕のお付き合い先や知り合いも
買うといってくれてます。

なんでこれをもっと早く読んでなかったんだろう。
とか
なんでこんないい本があるのに多くの人は知らないんだろう。

そんな風に思うとき
それはそれで必要必然なんですよね。

僕が出会って、僕が伝えていく。
それは続けていきたいです。

それにしても
最近の若い○○の社員(註:ウチの会社です)はあんまり「いい本」読んでる人少ないですね。

上杉鷹山。
  • すべてそれは「愛」だった

ってほんとグサっときました。



すべてそれは「愛」だった

というのは最終章のちょっと手前に出てくることばです。
 今でも恥ずかしい気がちょっとだけするのですが、この本が最初に書かれたのは1982年ごろ、山形新聞に1年間連載されたものを単行本上下二巻としてまとめられたものです。その山形新聞に読者からたくさんの「泣けた」という当初が届けられました。

 「日本人の美しい心」を書きたかったと、文庫版に向けてのあとがき(1995年11月初版発行)に作者の童門冬二さんは書かれています。
 単行本の発行は83年、これからバブルに向かうぞ!という時代です。おそらく童門さんはバブルに向かいつつある社会や政府や公共団体がやっていることを嘆きこの「小説」を書いたのではないでしょうか。山形の人たちは「泣けた」ものの、時代はその「日本人の美しい心」を忘れ去る方向に進んでいきました。

 そして、約20年の月日が流れ、たまたまFさんの目に触れ、それに触発されて私をはじめ多くの人が「小説上杉鷹山」を読んだり、読もうとしています。

 私が属している会社の創業者が
  「すべては必然必要ベスト」
と言います。

 大きく(金融)資本主義に振れたからこそ、「すべてそれは『愛』だった」と言われても多くの人が素直に感動できるようになったのではないでしょうか。以前触れた「隠れた人材価値」(Hidden Value)のような本も注目を集めるのでしょう。経営学者でありコンサルタントであったピータードラッカーさんも日本的な経営のよさが薄れていくことを残念な気持ちで見ておられたように思います。


さて、
 上杉鷹山は皆さんご存知のように米沢藩の養子として迎えられ、17歳で藩主になり瀕死の状態の米沢藩を立て直しました。その半生を描いたのがこの小説です。

 小説ですからいろいろ脚色はあるのでしょうが、鷹山の人としてのすごさが描かれています。心があたたかく(熱く?)なる本です。

 江戸時代の後期、全く戦がなくなった世の中で武士がやっていることは「しきたりを忠実に守り、お城で公式文書のテニオハを議論し、要職についた人は賄賂を要求し・・・」であり、藩民のためには何一つ役に立つことをしていませんでした。藩主として何ができるかをとことん考え抜き、出した答えが「藩民のために政は行うべきだ」です。

 はじめて米沢の国に入るときに、あまりに荒れ果てた町と人を見て沈んだ気持ちになったときに発見した灰の中のちっぽけな残り火。その炭のちっぽけな火を新しい炭に移しているうちに彼はこれだ!と思います。人の心の中に残っているかすかな火を大きくするんだと。物語の後半はこの移した火が人の心の変化の象徴として扱われています。

 やさしく人を見守り、絶対に私は裏切らないと言い切り、藩民のため(もちろん武士も含みます)に政を行った上杉鷹山。政治を行う人たちはぜひとも見習って欲しいと思います。また、経営者も是非その心意気を感じていただきたいと思います。

 すべてそれは愛だった

 より多くの人がこの「小説上杉鷹山」に触れ、「日本人の美しい心」を感じ、日々の活動に変化を起こしていただきたいと思います。




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