○月×日
 
 
――今日もあの人は私を呼ぶ。
ああもう、全く…――私はっ、この大量の詩の整頓で忙しいんだってばっ。
露骨に嫌な顔をした私の顔を、見たのか見なかったのか、
あの人は構わず頭を撫でようとしてきた。

「……やめてってばっ」
伸ばされたその腕を振り払うように、頭をぶんぶんと振って、
…それでもこの手は執拗に頭を撫でようとしてくる。

「やめて、って」
手が触れる。温かい。
「言ってるで、しょっ!」
その手を思い切り振り払った。

………何故そんな、寂しげな顔でこちらを見ますか。
やめてよ、それじゃあまるで私が…



…あれ?

いつもなら、しつこくまとわりついてくるはずの手は、
急にその勢いを失ったのか、いつのまにか視界上から消え失せていて。

しばらくすると、ふっと――世界が薄暗くなった。
「…え?」

―――アイコン化。

それと同時に聞こえてくる、別の子の声。
…私に嫌がられたから別の子と遊ぶ、か。まぁ、順当だと思う。
だけどなんでこんな。……交代させてくれればよかったのに。

急に一人にさせられて、ふと現実に帰る。
整理整頓の続きでもやればいい――
慌てて手元の紙を一枚手に取って、読み取り始める。
「触れて壊れてしまう想いなら
最初から、無ければ…」

……読みづらい。
当たり前だ。

この薄暗さでは手元は当然のこと、手に取ったとしても、
顔を近づけないと文字が読めない程だ。

「…やーめたっと、…んもぉー…」

持っていたそれらを全てをほっぽり投げて、ごろんと寝転がった。
待とう、こんなんじゃ何も出来やしない。

遠く聞こえる、誰かのはしゃぐ様な声をBGMに、やがて私の意識は落ちて――





『――――……ぇえ!?』

ふと目を開けると真っ暗だった。


声を上げたつもりが何故か口から出たのは、はぁ、はぁ、と荒い息で。
そして、上下に動く手足。
一瞬自分が別の誰かになってしまったのだろうか、と思ったけれど
そうじゃないらしい… なんで私、走ってるんだろう――?

『…いった、い、どこに、いって……はぁっ、』

何か。何か探してる、私、一体何を?

…多分、大事なもの。
きっと、おそらく、私にとって大事なもの。
でも、私にそんなものはなかったはず――



もうどれくらい走っているのだろう。

真っ暗な空間の中を、方向も、
何処へ向かっているのかもわからず、ただひたすら走り続けて、
きっと立ち止まってしまってもいいはずなのに、立ち止まれなくて…

その時、遠くの方に人影が見えたような気がした。
――誰か居る!

確かにそう思ったのに、口から出た叫びは意思とは違い、

『…返して!』

(何を!?)
そこで私は初めて気づいた。これは…夢、…夢の中…?



『私の想いを返して!』

私であって私でない、私の声が真っ暗な空間内に響く。
暫くして、やがて人影―どことなく見覚えのある姿―の近くまで駆け寄ると、
こちらに気づいたのか、ゆっくりとこっちを向くように振り向いて―

――こちらを見たのは私だった。

私と同じ姿形をした獣人が、こちらをじっと見つめる。
…その手には、くしゃりと手紙のようなものが握られていて。

それを見た瞬間に理解した。
私がずっと、探していたのは…


「これを返して欲しいの?」
私と同じ姿を、私と同じ声を持つ誰かが、手紙をぎゅうと握りしめながら。

「返してなんて、あげない

…それに、同じ私なら、『あなた』より私の方が、ずっとあの人を好きなんだから」

彼女はそう言って、まるで勝ち誇ったように笑う。
それが無性に悔しくて、私は思わず。
『そんなの可笑しいわ。なんで自分自身にそんなこと言われなきゃならないのかしら?』

――私、何言ってるんだろう。
確かにあの人の事は、それなりに好きだけれど。
…それでも、自分の想いは自分で伝えたい。

例え、それが、今目の前にいる、私と全く声姿をした、もう一人の私だとしても…。


私の言葉を聞いた彼女は、しばしキョトンとしてから、くすくすと笑い始め。
その仕草が、いかにも『余裕ありげ』で悔しくて、私はきっと彼女を睨む。

「…貴女になんて、渡さないよ?」

『なっ』
急に目を見据えられて、戸惑う私に、彼女は言葉を続ける。

「貴女は――振られたら、また次を探すんでしょう?
そして待ち続けるんでしょう?
振られて、まだ好きでも、何も言えずにずっと待つんでしょう?」

まるで金槌で殴り付けられるように、言葉が心に突き刺さる…――
『ちっ、…ちが…っ、私そんな…っ…、嘘っ!』

嘘じゃない。
本当。
「そう、貴女は嘘つき」
私の声が、私の心をぐさりと

「自分に素直にならないから、チャンスを逃すのよ。
詩を読んで、誘い受けして、あの人の反応をただ待つだけ―」
言葉は、ただただ私の心をえぐって

「私はね、そんなの、もう…いやなの」
無意識のうちに、身体はがくりと、地に膝を着いて自身を抱いていて。


『…私、だって』

「後悔なんてしないわ…私は私の想いを肯定し続ける。
あの人以外の人なんて認めない…!

――私は、私の望むままに」


彼女は確かに私だ、私だけれど。
…だけど、それでも私のこの気持ちは、私自身しか伝える事はできないよ。
他の誰にも伝えさせない!

『私だって、好きだよ。好きだもの!
だけど貴方が私の気持ちを伝えるなんて嫌…!

この想いは…私のものなんだから』
ぎゅ、と自身を抱きしめ。
顔を上げて叫ぶと、いつの間にかすぐ目の前に私と同じ顔があった。
「だから?」

『――だから、手紙を返して。…あの人への。』
聞き返されて、きっぱりと言い放つ。

「どうして、かな?」
『私があの人を想って、あの人に宛てて書いた手紙だから』

「恥ずかしくないの?」
『は、恥ずかしい…けれど、恥ずかしく何て無い!』
こんな単純な事を聞いてくる、彼女の思考がわからない…
…それを理解しようとして、もし自分が同じ立場になったら同じ事をするかもしれないな、と思い当たり
何だか可笑しくなった。

「ふぅん、じゃあ、これ、破って無かったことにしちゃおうか?」
『やめて』
悪戯っぽく笑いながら、手紙を破るジェスチャーをする彼女に即座に突っ込むと、
あはは、と屈託のない笑顔でさも可笑しそうに笑い、

「はい、返すわ」
と、丸められた手紙を差し出された。
『…ありがとう』

受け渡すなり彼女はそっぽを向き、後ろ手を組んで
「昔の私に、そんなに強い想いがまだあったなんてねー」
『…昔?』
オウム返しに聞き返すけど、彼女は答えずに。

「……何も、聞かないんだ?
私はもう止められないんだよね、この想い。
あの人の事―……が好きだ、って気持ち…」
虚空を見上げながら彼女の紡ぐ、静かな声が空間に広がり、吸い込まれ消えていく。
『貴方が未来の私だ、って言うんなら――聞かない理由は判るはずだけれど?』
皮肉めいた返答をすると、彼女は振り向き笑って、

「―――――」


あれ、聞こえない。
何て言ったの、と問おうとして…――






「―――ろって、――……から」
ノイズが聞こえる。あれ、聞き取れないや。
ねぇお願い、もう一度…

「……起きろって、なぁ、……俺が悪かったから」

…あれ?
この声…――私の声じゃない、あの人の!?
思わず飛び起きた。周りが明るい。
あぁ、先の子達は…帰っちゃったのかな。

「なぁ、――」
「…何?言いたいことがあるなら早く、」
「さっきはごめん!」

あの人が叫ぶなり、PCの向こう側の姿が消える。
えっ、えええ?土下座!?
「え、やだ、やめてよ……」
困惑した私の声が届いているのか居ないのか。
「あーもう…! もう気にしてないからっ!
好きに撫でていいから!」
あまりにもあの人が必死すぎるから叫んでしまった。
途端に伸びてくる手。

「ひゃっ!?」

そのまま頭を撫でられて。
「あ…」

「本当にごめんな、うん、―――」
なでなで、なでなで。
さっきとはどことなく違う、優しく温かい手に頭を撫で回されて…。

―――好き。

ふとさっきの夢とも言えない夢を思い出して、顔が熱を持ち始める。
「顔…、赤いよ?」
悪戯っぽく、夢の中の私がしたみたいな笑顔であの人が笑って言ったから。
何だか嬉しくて、だけど頬を膨らませながら、
「…知らない、もん。」


くるりと回って、あの人に聞こえない、胸の内だけで呟く。



「――…君のせいだよ」


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最終更新:2008年07月16日 02:08