序章 「美崎恵理」
・・・。私は、リュックサックに必要なものを詰め込むと、そっと、家を抜け出した。
それが、夜六時のコトだった。
(親なんて、キライ・・・兄弟なんて・・・、もうキライ・・・。
夢を諦めろと言われるのは、とても・・・私には、辛すぎるよぉ・・・
なら、せめて、私には・・・。)
・・・。
(大丈夫・・・私には・・・あの人が、い、る。)
私の名前は美崎恵理。
親と弟と私、の、四人家族の一人だったのよ。
何で「だった」なんて過去形なんだ、って?それは、聞いちゃ、ダメダメ!!
だって私は・・・今日、この住み慣れた東京を離れるんだから。
・・・駅で、あの人に電話しようと思ったけど、止めた。
ふふっ、驚かせちゃうんだから。
今、私が言った「あの人」、とは、私のメル友のこと。
HN「コリス」こと、本名「月島大樹」さん。
HNの事が出たから言わせてもらうが・・・私のHNは「カチュカ」。
変なHNだけどね。
チャットにはいるとき、メチャメチャに入れたらそーなったんだもーん。
・・・そんな訳で、コリスとは、チャットで知り合った関係なのです。
私は彼を「コリー」と呼び、彼は彼で、私を「かちゅ」と呼んだ。
そんな関係だった。
丁度・・・彼氏とつきあっていた頃だった。
そして・・・彼氏に嫌気・・・いや、自放自棄になっていた頃、だった。
コリスのトークは私の考えを180度変えてくれたんだ。
それだけ・・・たった、それだけだったんだけど。
気づいたときには、もう遅くて。
私はコリスを、愛して・・・。ううん、ちょっとオーゲサかな。
(好きになってた)
それまで、私を縛っていた、彼氏からも、何とか別れることができた。
アイツ、泣いてたけどさ。
(その涙は嘘だ。本気なんかじゃない・・・)
もう、アイツなんて知るものか・・・―――――――――。
そして、コリスへの想いは確信へと変わっていった。
「好き」という想いが、止められなくなってた。
・・・暴走、とか?とにかく、壊れてしまいそうだった。
だから、言っちゃったんだ。
「好きって言ったら、何て言う・・・?」って。
言ってしまったコトは後悔してない。それでも、
「私とコリスの関係は変わらなかった」
―――――・・・ごうごうと大きいような音がしていた。
身体に、軽く痺れるように振動するのが、心地良い。
水が流れる様に、周りの風景が変わっていった。
緑や、黄色や、黒々とした物や。
それらが、様々な形を形成し、水の様に流れて、窓の外に消えていった。
(コリー、家にいるかなぁ・・・。)
新幹線に乗り込んだ私は、そんな事を考えながら、ずっと、
流れていく窓の外を見つめていた・・・。
* * * * *
「ん・・・。」
新潟駅に着く。コリスの家は、住所を見る限り、ここからそう遠くない。
大荷物を持ち、てくてくと私は歩き出した。
(・・・眠い)
歩き出して我に返った瞬間、ふと眠気を感じた。
それもそのハズだった。何気なく腕時計を見ると、なんと、既に22時を回っていた。
(多分、あともう少し・・・)
頑張って。10分後、何とかコリーの住んでるアパートの三階に着く。
足が痛くて堪らなかった。
『ピンポーン』
ベルを鳴らしたけど、人が出てくる気配はなかった。
もしかして私・・・、ここでコリーを待たなくてはいけないのだろうか・・・。
(そんなぁ・・・)
絶句した。もう一回、ベルを押したが、やはり出てくる気配はなかった。
ここで立ちつくしていても、仕方がない。
私はドアの横に座り込んだ。
そして、持ってきた、―――というより、着ていた―――上着を脱いで、
掛け布団のように身体に掛けかけた。
こうすれば、少しは・・・暖かい、や・・・―――――。
夢うつつで、誰かの声を聴いた。
優しくて、それでいて、厳しいような、包み込んでくれるような声を・・・。
『・・・・・・起きなよ、おい、・・・しっかりしろって!ねぇ君起きて!』
「ん・・・」
ぱち。視界の扉が開いて、私は夢から覚めた。
二十歳くらいだろうか。若い男の人が目の前にいた。
「あ~よかった、死んでなかったかぁ・・・」
ほっ、と胸を撫で下ろす男。
どうやら私、本当に眠っていたらしい。
この男の人が、私を起こしてくれたようだった。
私は軽く身を起こし、男に礼を言った。
「あ・・・あの、起こしてくれて、ありがとうございます。」
男はまた軽く笑顔を浮かべて言った。
「まぁ・・・。それにしても、吃驚したよ。だってウチの前で寝て居るんだものなぁ」
その言葉に私はハッとした。・・・まさか?
腕時計を見ると、11時半を過ぎていた。
・・・もしかしたら。
思い切って、私は男に尋ねた。
「あっ、あのっ!この・・・312号室に住んでる人、ですか?」
「ええ。そうですが、何か?」
訝しそうに顔を傾げる男。
「お、驚かないでくださいね・・・私、カチュカこと美崎恵理、です。」
そう言って、ぺこりと頭を下げた。
・・・ばさっ。
男が、手荷物を落とした。
大当たりだった。
「マジ?」
男は笑いながら、
「・・・驚いたよ。それじゃぁ、一応俺も。」
そう言うと、頭を深々と下げて、言った。
「コリスこと、月島大樹です。よろしく。」
しばらく、二人は黙ったままだった。
「・・・とりあえず、あがりなよ。寒いから。」
コリーがそう言った。
* * * * *
かちゃん。
「おまたせ。お茶、飲みなよ。」
そう言ってコリーは、私の横に座った。
だけど、精神的に疲れていたのか、私は飲む気にもなれず、黙ったままだった。
「・・・とりあえず聞くけど」
コリーが口を開く。
「何でまた、俺の家なんかに来たの?」
お茶を飲みながらコリーは聞いた。
私は即答した。
「家出した」
ぶっ。 よく漫画とかに出てくるような、お茶の吹き出し方をするコリー。
「おい」
「・・・。」
それでも私は、黙ったままだった。
「親が心配するぞ」
「別にいい」
心配なんて、してもしなくったっていい。
あの人たちは、私のこと何て・・・。
コリーの言葉は続いた。
「自分の夢は?」
「諦めるからいい」
「いいのかよそれで。」
ぴりぴりとした空気が、私たちを包んだ。
私は口を開いた。
「もう、別にいいんだ。夢を諦める、ってさ、すっごーく辛いと思うけれど。
だけど・・・コリーと一緒にいたい、っていうのも一応、私の夢なんだよ?」
・・・コリーの顔がゆるんで。心配そうな顔に変わる。
「かちゅは・・・本当に、それでいいわけ?」
うつむいたまま、私は答えた。
「いいの。少なくとも、今の私はそう思ってる。」
「『今は』って事は、もしかしたら変わるかもしれないんだな?」
「まぁ、そうなるかな。」
しばらく、沈黙が続いて。・・・やがて、コリーが口を開いた。
「・・・わかった。いいよ、ウチにいても。俺は止めないから。そのかわり・・・」
「『そのかわり・・・』、何?」
「かちゅが、家に帰りたい、って言っても、俺は止めないから。」
「うん・・・!」
心の中で、希望の風が吹いた気がした。
・・・・・・。
いきなり、コリーが、着ていたTシャツを脱ぎ始める。
「ちょっ・・・!?いきなり・・・」
思わず、激しく狼狽える私。顔が熱くなる。
コリーはこちらを向いて、ニヤニヤしながら。
「~~~一体何を想像したんだぁぁぁ~っ!かちゅぅっ!?」
「いやぁ~~~ぁぅっ!何でもないってばぁぁっ!」
確かに一瞬ナニを想像してしまったけど。
「まったく・・・。オレ、これから寝るけど、かちゅはどーするか?」
・・・この家は、それほど広くもないし、狭くもない。が、寝るところはここしかない。
そして、布団を二枚敷くには、ちょっと狭いスペースだ。
・・・ひょっとして、ここで一緒に寝ろっ、って事なんだろうか・・・?
「ばっ・・・。ね、寝るに決まってるでしょ!」思わず赤面する。
「布団を二枚以上敷けるスペースは無いって解ってるよね?」コリーは笑いながらそんなことを言う。
・・・どうしよう・・・。どきどきしてる。私。
今度こそ、と言わんばかりに、私の心臓はバクバクし始める。
思い切って聞いてみる。
「ねぇ・・・・・・いい・・・の・・?」
「ん?何が?(笑)」
「一緒に・・・寝てもいいの・・・っ?」
どきどき、どきどき、どきどき。
コリーは・・・大樹さんは、私がコリーのことを好きだということを知っている・・・。
それを知ってて、こんな事言わせるなんて・・・もう・・・っ。
「俺は別にいいよ。・・・ほら、来いよ。」
笑いながら、胸の前で腕を広げるコリー。
「いいよ、別に・・・」
一緒に何か寝たら、きっと一睡もできなくなる。
そう思った私は隅っこの方に逃げようとする。が、コリーに首根っこを掴まれる。
「うぅにゃぁ~ぅ~っ!私猫じゃないよぉ~っ!ていうか恥ずかしいってばぁぁぁ・・・」
抵抗できない私。そんな私と対照的に、コリーは笑って。
「だーいじょーぶだって。寝てるときは何もしないよ。約束する。それとも」
コリーは、真顔で私の顔を覗き込んで。
「かちゅは俺のことキライ?」
どっきん。胸の鼓動が、半分上がった気がして。
思わず、私は言った。
「そっ!そんなこと、無いけど・・・無いけどぉ・・・・無いけどぉぉ・・・。で、でも」
私はコリーの顔を見上げて。
「一緒に寝たら、きっと私眠れない!ドキドキして!」
「そうか・・・」
そういって、コリーは手を離すと。ぐっと私の身体を引き寄せると。
「じゃあ俺はかちゅがもっとドキドキするような事をしてあげよう」
「もぅっ!」
思わず反抗の声を上げる私。
「ははは。・・・じゃぁ、寝るか。ほら、かちゅは俺の横!・・・じゃ、おヤスミ。」
結局コリーの横に寝かしつけられてしまった私。
・・・これで・・・本当に眠れなかったらどうするのよ・・・。
外側を向いて眠る私。理由はもちろん、コリーがこっちを向いて寝ているから。
し、しかもぉ・・・。コリーは上半身ハダカなのだから。
んなモノ見ていたら、ときめいてしまう。
そんな事を考えながら、一生懸命目をつむっていると。
「・・・恵理」
いきなり名前を呼ばれた。しかも、思いっきり耳元で。
思わず躯をびくっとさせてしまう。
・・・やだ、躯が反応しちゃうって事は、「まだ起きてますよ」って言ってる様なものじゃない!
返事は、しなかった。もしかしたら、放って置いてくれるかもしれない、と思ったからだ。
だけど・・・。攻めてきた。いやぅっ!
「かーちゅーぅー?こっち向けぇ~っ!♪」
「うにゃぁぅっ」
無理矢理向かされた。もぉ~。
コリーは私の顔に手をやる。そして、私の顔を覗き込んで。
「・・・今、すっげー顔赤くなってるだろ・・・?
暗くても、ハッキリ分かるよ。」
かぁっ、と、顔が熱くなった。
「んもぉ~っ!言わないでよぉっ、自覚してるんだからぁ!」
図星だっただけに、思わず、ポカポカとコリーを軽くたたきつける私。
「いたいいたい(笑)」
しばらくじゃれ合って。ふと、コリーは真面目な顔つきになって。
「なぁ、かちゅ。お前が・・・本当に覚悟してるかによっては。どれだけ、俺に本気なのかによっては。
・・・かちゅとの、その・・・。本気で考えてやっても・・・いいんだぞ・・・?」
そう。今回の恋に限って、私の感情は、特別な中のもっと特別なモノだった。
「愛してる」と、言ってみたくなることさえあった。
でも、言わなかった。それは、私がまだ成人ではないし、私が言うべき言葉ではないと思ったから。
だけど、コリーは、そんな私の気持ちを何となく察してくれているのか、
私に対して、ほぼ本音をぶつけてくれる。
それが、私にとっては嬉しかった。
だから、今度は・・・今は、私がコリーに本音を、ぶつけてみることにした。
「かちゅは、本当に自分の夢を諦めるつもり、なのか?」
「・・・本当はね。まだ、よくわかんない。自分の気持ち。私、まだ子供だからかな。
夢を叶えたい、とも思っているし、好きな人と一緒にいたい、っていう気持ちもある。
でも今は、コリーへの気持ちが・・・強いのかな。
『夢を諦めてでも、コリーの側にいたい。』今はそう思ってる。」
「そっか」
また、しばしの沈黙が続いた。
「まだ、迷ってるんだな。」
「そうかもしれない。」
「でも。・・・ここに居ても、いいよ。そんな風に、自分の気持ちを素直に言えたかちゅは、いい子だからな。」
そういってコリーは、ぽんぽんと、私の頭を軽く叩く。
「えっ、私、家出してきたんだよ?それでもいい子なの?」
笑いながらコリーに問う私。
あっ、とコリーもそれに気づき。
「ま・・・・まぁ、『それ』以外はいい子だ、って俺は言いたいの!」
うふふ、と少し笑った。
その時、ぽーん、と掛け時計が12時の合図を鳴らした。
「おっと。ちゃんと寝ないとな。今度こそ、おやすみだな。」
コリーの左親指が私の唇を撫でる。そして
ちゅっ、と柔らかな感触が頬に触れた。
「へっ?」
呆然とする私。今、一体何を・・・!?
コリーは笑いながら言った。
「今夜は、頬に。&それじゃあ、オヤスミ。」
私が呆然とする中、寝付きが良いのか、コリーの寝息が聞こえ始めた。
くー・・・くー・・・――――――――――――。
「~~~~~~~~~~~っ」
ぶちまけようのない怒りと、恥ずかしさが込み上げる。
自分の頬に手を触れる。
途端に、さっきの感触を思い出して、思わず赤面する。
(ま、いいか・・・。)
掛け布団をめくって。私はコリーに、囁くように小さな声で言った。
「おやすみ・・・明日も・・・。」
こんな感じ。ちょっと怪しい事なんかも言ったりするけれど、
これだから、コリーと一緒にいるのは止められない。
彼のそんなところが、私にとっては凄く魅力的だから。
・・・さてと、明日は何が起きるかな。
序章 end