|新しいページ|検索|ページ一覧|RSS|@ウィキご利用ガイド | 管理者にお問合せ
|ログイン|

2007.10.18

    
クリフトとアリーナの想いはPart7
818 :太陽の申し子 1/17  ◆XJ3Ut0uuQQ :2007/10/18(木) 18:31:54 ID:3msyz0ss0

ここは、サランの街外れにある医療院。
まだ少年の面影を残す年若い神官が、額に汗を浮かべながら回復呪文を唱えていた。
「クリフトさん、呪文だけでいけそうですか?」
横から心配そうに覗き込んでいるのは、神官よりも幾分か年上に見える、白衣を着た青年。
「はい、何とか…。」
先ほどから、クリフトは、木から落ちて大怪我をした子供に回復呪文を施していた。
クリフトの、繰り返し呪文を唱える澄んだ声が辺りに響き渡る。
それとともに、子供の泣き声も小さくなっていった。
しばらくして、クリフトが
「さ、これでもう大丈夫ですよ。」
と声をかけると、子供は、クリフトに礼を言い、嬉しそうに医療院から駆け出して行った。
「こら、そんなに慌てて走るとまた怪我をしますよ!」
クリフトは走り去る子供に笑いながら声をかけた。

「クリフトさん、お疲れになったでしょう。少し、休憩にしませんか。」
後ろから、白衣の青年に声をかけられ、クリフトは振り向いた。
「レオンさん。午後の患者は、これでおしまいですか?」
「いえ、ここで患者がおしまいになるなんてことはありませんよ、ご承知のとおり。
 でも、無理矢理にでも休憩していただかないと、あなたはいつまでも治療を続けますから。」
レオンと呼ばれた若い医者の言葉に、クリフトは赤くなった。

クリフトは、この春に神学校を卒業し、一人前の神官となった。
神官にとって癒しの技を行なうことは、神に祈りを捧げることとならんで、重要な努めの1つだ。
そのため、クリフトは、城で神官としての努めを行なう傍ら、月に何度か、
主に貧しい医療院を周っては、今日のように治療の手伝いをしていたのであった。

「あれだけの大怪我を呪文だけで完治するなんて、さすがですね。
 クリフトさんのおかげで、いつも本当に助かってますよ。」
レオンは、クリフトのカップに紅茶を注ぎながら微笑んだ。
クリフトは、若年にもかかわらず回復呪文については稀なる能力を持っていた。
その能力に敬意を払ってか、レオンら現場の医者達は、クリフトが嫌がるのもかまわず、
自分達より年下のクリフトに対し、目上の者に対する礼儀をもって接していた。

レオンからカップを受け取りながら、そんな、とクリフトは首を振った。
「こちらの医療院にも、本当はもっと頻繁にうかがえればいいんですが…。」
「いいえそんな。だって、クリフトさんは他の医療院も回ってらっしゃるのでしょう。
 ただでさえ、お転婆姫のお世話で大変だというのに…。」
レオンは不満そうに眉をひそめた。
クリフトが、若輩かつ平民の出自でありながら、国王の一人娘であるアリーナの家庭教師を
務めており、元気溌剌な姫君に常に振り回され気味なのは、皆が知る事実であった。
クリフトは、困った顔でカップを置いた。
「姫様は、一部の心無い者が噂するような、我が侭なお転婆姫じゃないですよ。
 周りが、小さいことに大騒ぎしすぎなんです。」

国王の唯一の実子にして、亡き王妃の忘れ形見。
そうである以上、周囲の者がアリーナの身辺に気を配るのは、ある程度当然と言えた。
しかし、最近の、お付の女官達の反応は、どうも過敏に過ぎるようだ。
アリーナは、今年11歳になったが、ほとんど城から外出することさえ出来ない。
クリフトが見る限り、アリーナの鬱憤はだいぶたまっているようだった。
アリーナのような生気溢れる少女を、無理矢理抑えつけようとすれば反発を強めるだけだ。
―――どうして、そんな簡単なことが、あの人達には分からないんだろう。
心配性の塊のような女官長の顔が目に浮かんで、クリフトは眉をしかめた。

「…さん。クリフトさん、もう一杯お茶をいかがですか?」
レオンに声をかけられ、クリフトは自分が物思いにふけっていたことに気がついた。
「も、申し訳ありません、ぼーっとしてました。ありがとうございます、いただきます。」
レオンはクリフトに紅茶を注ぎながら笑いかけた。
「アリーナ姫のことをお考えだったのですか?クリフトさんは家庭教師の鑑ですね。」
意味ありげにからかいを含んだレオンの口調に、クリフトは赤面した。
最近、城の者にも同じような口調でからかわれることがある。
しかし、クリフトにとってアリーナは、いまだに初めて会った頃と同じ、小さな姫君であった。

―――遅くなってしまったな。
城に戻り、廊下を急ぎ足で歩いていたクリフトは、いきなり後ろから飛びつかれて喉を詰まらせた。
「がほっ、姫様、お手をお放し下さい!」
「あれ?何で分かっちゃったの?」
ひょい、と後ろから覗き込んだのは、太陽色の髪をした少女。
「…城の中で、このようなマネをされるのは姫様以外におられません。」
クリフトは、襟元を正しながら、アリーナを厳しい目で見据えた。
「お城の中を走ってはなりません、と何度も申し上げたはずでしょう。
 ましてや、人に後ろから飛びつくなんてとんでもないことです!」
腰に手を当ててアリーナに説教するクリフトと、それをふくれ面で聞いているアリーナ。
城の中では既におなじみの光景で、人々は微笑みながらその横を通り過ぎていった。
「…だって、最近、クリフトってば忙しいばっかりで全然遊んでくれないんだもん…。」
アリーナは、頬を膨らませた。
「あ…。」
―――そういえば、最近は、姫様とゆっくりお話しする機会もなかったな…。
クリフトはアリーナの様子を見て反省し、ふと、今日のレオンとの会話を思い出した。
―――レオンさんにも、姫様がどんな方なのか、知っていただきたい…。
「姫様。今度、姫様も一緒にサランに行けるよう、女官長様にお願いしてみましょうか。」

「えっ、ほんと!?」
クリフトの言葉に、顔を輝かせたアリーナを見て、クリフトも自然と笑みが浮かんだ。
―――姫様には、本当に笑顔が良く似合う。
太陽の申し子のような少女。
アリーナには、いつも笑顔でいて欲しい―――クリフトは心からそう思った。

「何をたわけたことを言っているのですか。アリーナ様を場末の医療院に連れて行くなど!」
ある程度は予想はしていたことではあるが、女官長の返答はけんもほろろであった。
「場末の医療院」という女官長の言葉に、クリフトは思わずかちんときたが、
クリフトが致命的な発言をする前に、後ろから渋い声がかかった。
「エマ殿。今のお言葉は聞き捨てなりませんのう。」
「…ブライ様!」
いつの間にか、後ろには宮廷魔術師のブライが立っていた。
城の中では大臣に等しい地位を有するブライに、女官長は慌てて礼の形を取った。
「王国の実情を知るということも、王位継承者として欠くべからざる勉強ですぞ。」
あごひげを撫でるブライに、女官長が忌々しげな目を向けた。
「…分かりました。ただし、私の選んだ女官を1人同行させていただきますからね!」

「え~、イーダが付いて来るの~。」
アリーナの元に報告に行ったクリフトに、アリーナは顔をしかめた。
「これ、そう文句を申されますな。これでも、随分苦労したんですぞ。」
隣でアリーナを諌めるブライに、クリフトは改めて頭を下げた。
「ブライ様、先ほどはどうもありがとうございました。」
「いや、最近の女官達は、さすがに行き過ぎじゃと、わしも思うておった。」
ブライは、アリーナに聞こえないよう小さな声で答えると片目をつぶった。
「わしも同行したいところじゃが、都合が悪い。姫様の御身の安全、しっかり頼むぞ。」

当日の朝、クリフトは苛々しながら城の広間でアリーナ達を待っていた。
既に、太陽は高く昇っている。
―――急患が出てなければいいけれど…。
クリフトは、心配そうにサランの方角に顔を向けた。

随分待たされた後に現れた、正装姿のアリーナと女官を見てクリフトは絶句した。
レースのドレスに包まれたアリーナは、完全な仏頂面だ。
女官のイーダは、クリフトがいつもの神官服を着ているのを見て眉根に皺を寄せた。
「行き先が貧しい医療院だとしても、王族の訪問を軽々しく考えてもらっては困りますね。」
クリフトはむっとしたが、言い合う時間も惜しく、キメラの翼を取り出すと2人に声をかけた。
「では、参ります!」

医療院に着いた瞬間、クリフトは、体をこわばらせた。
辺りに漂うのは、紛れもなく血の臭い。
「レオンさんっ!?」
医療院のドアを開けたとたんに飛び込んできた、目の前の光景に立ちすくむ。
そこにいたのは、全身血まみれになって呻いている大勢の子供たちだった。
「遅い!クリフトさん、何やってたんだ!!」
両手を血に染めて患者を治療していたレオンが、いつもの敬語も忘れて怒鳴った。
「すいません!一体何が起こったんですか!?」
クリフトは、レオンに駆け寄ると、目の前の少女に全力で回復呪文を唱え始める。
レオンは、隣の少年の血に染まったシャツをメスで裂きながら、荒々しく答えた。
「魔物だよ…!くそっ!サランの周辺は、まだ安全だと思っていたのに…!」
レオンの向こうでも、何人かの医師が忙しく治療を続けていた。
「こいつらが、いつも魚を捕ってる川に、魔物が出たんだよ。」
「…!」

貧民街では、親の稼ぎだけで家族が食べていけるような家はなく、
働く年齢に満たない幼い子供たちでさえも、木の実や魚を捕るなどして家族の口を養っていた。
今日もそうやって子供たちが魚を捕っていたところに、魔物が襲撃してきたというのだ。

ふと、レオンは目を上げた。
「…なんだ、えらい場違いにちゃらちゃらしてるのがいるじゃないか。」
クリフトは、そのとき初めて、アリーナ達を連れてきたことを思い出した。
「おい、あんた、そんな格好でそこに突っ立っていられたら治療の邪魔だ!」
レオンがイーダに向かって怒鳴った。イーダの顔が紫色に変わる。
「ななな、なんて失礼な…!クリフト、姫様に向かってこのような扱い、許されませんよ!」
イーダの言葉に、レオンの手が止まった。
「姫様…?クリフトさん、あんた、王女をここに連れてきたのか…?」
「す、すいません、事前にお伝えしなくて…。却ってお気を使われると思って…。」
「―――王女様のご準備で、こんなに遅かったのか。そのために…。」
クリフトは、レオンの視線を追って、息を飲んだ。
奥のベッドに蒼白い顔で横たわっていたのは、先日、クリフトが治療に当たった子供。
「…ついさっき、息を引き取ったよ。」
レオンが、クリフトの後ろから声をかけた。
「教会の医療院に運ぼうかとも思った。でも、あんたを待った方が早いと思ったんだ…!」
レオンの口調が乱れた。
「―――ちくしょう!何で今日に限って、あんた、こんなに遅いんだよ…!
 所詮、あんたも、お気楽なお城の人間だったのかよ!」
涙ながらにレオンが叫んだ言葉に、クリフトは答えるすべもなかった。

「…クリフト。もう我慢がなりません。姫様をお城に連れて帰ります。」
クリフトに、怒りに震えた声でイーダが告げた。
クリフトは、はっと我に返り、アリーナを振り返った。
アリーナは、こわばった表情のまま、何も言葉を発しなかった。
「申し訳ありません、イーダ様、姫様…。」
クリフトが言い終わるのを待たず、イーダはキメラの翼を宙に放り投げた。

レオン達の適切な治療と、クリフトの懸命の回復呪文で、他の子供達の命は何とか助かった。
全てが終わった後、クリフトは、先ほどの子供の亡骸の前に佇んでいた。
そのときになって、クリフトは、子供の名前さえ聞いていなかったことに気がついた。
クリフトの頬を涙が伝い落ち、治療の際の返り血と混じって服に赤い染みを作った。

クリフトが帰るときも、レオンはほとんど口をきかなかった。
クリフトも、レオンにかけるべき言葉を見つけられなかった。

クリフトは城門の前に降り立つと、疲れた体を引きずるようにして城門をくぐった。
部屋に帰ると、クリフトは、ベッドの端に座り、頭を抱え込んだ。
体は疲れ切っていたが、横になろうという気にならなかった。
先ほどの、小さな骸が目に浮かぶ。
あの子が生死の境で必死に戦っているとき、自分は城で、のんびりと立ち呆けていたのだ。

―――所詮、あんたも、お気楽なお城の人間だったのかよ!
レオンの言葉が脳裏に蘇った。

―――やっと正式な神官になったというのに…こんなんじゃ、失格だ。

そのとき、部屋のドアが小さくノックされた。
のろのろとドアを開けると、そこには肩を落としたアリーナの姿があった。

アリーナは、無言でドアの前に佇むクリフトをすがるような目で見上げた。
「クリフト…ごめんなさい。」
クリフトはアリーナから目をそらした。
「……姫様が謝られることなど、何一つございません。」
正直なところ、今は、アリーナの顔を見たくなかった。
クリフトはアリーナに背を向けた。
「もう夜も遅うございます。お部屋に、お戻りください。」
背後では、しばらく沈黙があった。
「…あの子、私のせいで死んじゃったんでしょ…。」
アリーナの言葉に、クリフトははっとして振り向いた。
アリーナの目には、涙がいっぱい溜まっていた。
「本当に、ごめんなさい…!」
クリフトは何か言おうと口を開いたが、アリーナはそのまま夜の闇に走り去っていった。
「…!」
クリフトは、拳でドア枠を強く殴った。
―――そうか、レオンさんの言葉を、姫様も聞いていたんだった…。
今日の出来事にアリーナがショックを受けなかったわけがない。
なのに、自分はアリーナにあんな態度をとって…こともあろうに泣かせてしまった。
アリーナの笑顔を守りたい、と思っていたはずなのに…。

―――ああ、もう、何もかも、最悪だ…!
クリフトは、やけくそな気分でベッドの上に倒れ込むと、いつの間にか眠ってしまった。

翌日、重い気持ちで城に上がったクリフトは、アリーナが部屋から出てこないという噂を聞いた。
―――昨日のことが、原因に違いない…。
クリフトは、後悔の念に苛まれながらアリーナの部屋に向かったが、控えの間で女官達に阻まれた。
「クリフト。何をしに来たのですか。」
息せき切ったクリフトに、イーダが冷たい視線を向けた。
「…姫様が、お部屋に篭られているとお聞きして…。」
「姫様は、お可哀想に、昨日の無礼な振る舞いに心がお疲れになってしまったのです。
部屋には誰も入れないよう仰せつかっております。特に、クリフト、あなた。」
イーダの視線が冷たさを増した。
「あなたは、今後姫様に近づかないよう。もう、家庭教師もしていただかなくて、けっこうです。」
クリフトは女官の顔を凝視した
「…どういうことでしょうか?」
「姫様のご希望です。姫様は、あなたの授業をお受けになりたくないそうですよ。」
クリフトは、自分の耳を疑った。
―――姫様が、私に、会いたくないと…?
「分かったら、とっととお下がりなさい。」
イーダはクリフトの表情を見て満足そうな笑みを浮かべると、控えの間の出口を指差した。

結局、アリーナは1週間ほど部屋に篭り、その後、通常の生活に戻ったようであった。
しかし、クリフトは、女官達の壁に阻まれ、アリーナにひと目会うこともままならなかった。
生憎、頼りになるブライは王命でエンドールに行っており、1ヶ月は帰ってこない。
―――姫様は、完全に私をお見限りになってしまわれたのだろうか…。
今までも、アリーナがクリフトに対し感情を爆発させることは多々あったが
最後はアリーナの方からクリフトに仲直り(?)を申し入れてくるのが常であった。
―――今回は、いつもとは違う。私は、姫様のお心を傷つけてしまったんだ…。
クリフトはため息をつくと、机に突っ伏した。

アリーナに会えないまま日々が過ぎ、再び例の医療院の訪問日が巡ってきた。
クリフトは、最後に会ったときのレオンの表情を思い出し、憂鬱な気持ちで城を出た。

医療院の前に降り立つと、クリフトは、深呼吸して医療院の扉を開けた。
扉の開く音に、治療をしていたレオンが振り向いた。
「あ、あの…。」
とっさに言葉に詰まるクリフトに、レオンが満面の笑みで駆け寄った。
「クリフトさん!よく来てくれました!」
クリフトは、ぽかんと口を開けて、レオンを見返した。


「あのときは、大変失礼しました。余りの出来事に動転していて…本当にお恥ずかしい。」
クリフトに紅茶を勧めるレオンに、クリフトは、おずおずと尋ねた。
「あの…レオンさんは、私のことを怒ってらっしゃらない…?」
レオンは頭をかいた。
「考えたら、クリフトさんはこちらの状況を知らなかったんだから、どうしようもないですよね。
 そもそも、クリフトさんには善意で来ていただいているのに…申し訳ないったらない。」
クリフトに向かって頭を下げるレオンに、クリフトは首を振った。
「いいえ、レオンさん、やはり私がいけなかったんです。
 我々の奉仕活動は、神に対する義務であって、気まぐれな施しであってはいけないのに。
 …なのに私は、心のどこかで、善意の奉仕活動だからと甘えていたように思います。」
神官失格です、とうつむくクリフトに、レオンは
「相変わらず真面目なんだから」と、笑った。

「…ところでね、クリフトさん。最近ちょっと気になることがありまして。」
レオンが、ふと気がついたように話題を変えた。
「…気になること?」
「ええ。先日、子供達が襲われた川のほとり、
 あの辺りで、最近、魔物の死骸が頻繁に見つかるようになって。」
「それは、また物騒な…魔物同士の縄張り争いでもあったんでしょうか?」
いぶかるクリフトに、レオンは首を振った。
「魔物同士の争いであれば、勝利した魔物が徘徊していると思うんですが…その様子もない。
子供達が言うには、最近、あの辺りはめっきり魔物が減っているそうです。」
「…不思議ですね…城の兵士が周辺を見回っているという話も聞きませんが…。」
2人は、首をひねって顔を見合わせた。

レオンに許されたことで、クリフトはだいぶ明るい気持ちになって城に帰ってきた。
城門をくぐったクリフトは、そこではっと足を止めた。
アリーナが、兵士達の鍛錬場から帰る途中らしく、珍しく1人で城内を歩いていた。
クリフトはしばしためらったが、アリーナに声をかけるチャンスは今しかない。
思い切って、アリーナに呼びかけた。
「姫様…!」
アリーナが振り向き、クリフトの姿を見てにこやかに手を振った。
―――あれ…?
アリーナは、自分のことを避けていたのではなかったか。
困惑するクリフトに、アリーナは駆け寄ると大きな擦り傷のできた腕を差し出した。
「ちょうど良かった、クリフト、ホイミお願い!ちょっと派手にやっちゃって。」
条件反射的に回復呪文を唱えながら、クリフトはアリーナをこっそり観察した。
アリーナの表情からは、クリフトに対する何の屈託も見られない。
クリフトは、それに力を得て、アリーナに小さな声で呼びかけた。

「姫様…先日は、大変申し訳ありませんでした。」
「え?なんのこと?」
アリーナがきょとんとしてクリフトを見上げた。
「先日、姫様が私の部屋にいらっしゃったとき、大変失礼な態度を…。」
「あ、そんなこと。いいよ、私が悪かったんだもん。」
何でもないことのように答えるアリーナに、クリフトは、解せない気持ちで尋ねた。
「では、姫様が、私の授業をお断りになられたのは…。」
アリーナがぎくりと体を強張らせ、口の中でもごもご呟いた。
「いや、別に、それは、なんていうか…。」
と、そのとき、クリフトは、アリーナの上腕にかすかな傷跡があるのを発見した。
ほとんど消えかかっていたが、優れた癒し手であるクリフトは、それを見逃さなかった。
「その傷は…。」
アリーナは、はっとしたように腕を隠すと、じりじりと後ろに下がった。
「姫様、そちらの腕を見せてください。」
「だ、大丈夫!この間、ちょっと鍛錬で張り切りすぎちゃって、もう治ったから!」
そして、慌てて空を見上げると
「わ、もうこんなに暗くなってる!部屋に戻らなきゃ!クリフト、回復呪文ありがとう!」
そう言って、クリフトに二の句を告げる暇を与えずに走り去っていった。

―――姫様のあの傷。兵士との鍛錬でできたものではない。
癒し手としていろいろな傷を見てきたクリフトにはよく分かる。
薬草で治療をしたようだったが、あれは、確かに、鋭い牙による咬み傷の跡だった。
―――川のほとり、あの辺りで魔物の死骸が見つかるようになって―――
クリフトの脳裏に、先ほどのレオンとの会話が閃いた。
―――姫様、何てことを…!
クリフトは、息を飲んだ。

その日の夜、クリフトはアリーナの部屋の外壁の下に息を殺して潜んでいた。
しばらく待っていると、夜の闇の中を、太陽色の輝きが降ってきた。
アリーナは音もなく地面に着地すると素早く周囲を見回し、
懐からキメラの翼を取り出して空に放り投げた。
―――まったく、キメラの翼など、どこから調達したんだか…。油断も隙もない。
クリフトも、苦笑しながらキメラの翼を取り出した。


クリフトは、サランの近くにある川のほとりに降り立った。
案の定、そこには、川岸を行ったりきたりしているアリーナの姿があった。
―――本当に、無茶をされるお方だ。
クリフトは、ため息をつきながらアリーナの方へ踏み出した瞬間、ぎょっと足を止めた。
闇に光る2つの目。
アリーナの前に、つちわらしが現れたのだ。
しかし、アリーナは臆する風もなくつちわらしに向き直ると、見事な飛び蹴りをかました。
そして、よろめくつちわらしに、休みなく手拳を叩き込む。
―――姫様、す、すごい…!
クリフトは恐怖も忘れ、アリーナの技に見入っていた。
アリーナの攻撃に息も絶え絶えになったつちわらしは、大きく口を開けて上を向いた。
―――まずい、確か、つちわらしは仲間を呼ぶ習性が…。
クリフトは思わず剣を手に、前に飛び出していた。

「クリフト!?」
アリーナの目が驚愕に見開かれる。
「姫様、お気をつけ下さい!新手が来ます!」
クリフトの言葉が言い終らないうちに、新たに、つちわらしが2匹現れた。
「くっ!」
アリーナが、弱っていた1匹にとどめの一撃を加えると、新しい1匹に向き直った。
その間に、クリフトはアリーナの背後に回り、もう一匹と対峙する。
クリフトも、今までに何度か魔物に遭遇したことはあるが、一対一で魔物と戦った経験はない。
情けないと思いながらも、足が震えて止まらなかった。
つちわらしは、威嚇するように口を開けると、両腕を上げて攻撃をしてきた。

ざしゅっ

何とか直撃は免れたものの、右腕に痛みが走り、思わずひるむ。
アリーナが、クリフトを振り向いた。
「クリフト、大丈夫…きゃっ!」
よそ見をしたアリーナに、もう1匹のつちわらしが攻撃を仕掛けてきた。
「姫様!!」
クリフトは叫んだ。
―――姫様を傷つけるなんて…!
目の前の魔物に対して激しい怒りがわき、恐怖が消えた。
クリフトは、つちわらしに向かって剣を構えた。
後ろではアリーナが反撃に転じた音がする。
―――早く、こいつを倒して、姫様に回復呪文を唱えて差し上げなければ…!
つちわらしが、再びクリフトめがけて突っ込んできた。
必死に繰り出したクリフトの剣は、つちわらしの心臓を貫いていた。

全てが終わった後、川のほとりは今までの喧騒が嘘のように静まり返っていた。
聞こえるのは、川のせせらぎと、風に揺れる芦のそよぐ音だけだ。
「やっぱり、今日会っただけで、クリフトにはばれちゃったんだねー。」
クリフトに回復呪文を唱えてもらいながら、アリーナが明るく笑った。
「姫様…1週間お部屋に篭られていたのは、壁に穴を開けるためですか。」
「あたり。さすがクリフトだー。やっぱり、部屋に呼ばなくて良かった。」
「では…私を家庭教師から遠ざけたのは。」
「女官達はごまかせても、クリフトには、すぐにばれちゃうと思ったの。」
クリフトは、空を仰いでため息をついた。
「姫様…。どうしてこんなことを。」
「だって、魔物がいなくなれば、あの子達も、もうあんな目に合わないじゃない。」
アリーナは平然と答えた。
「だからと言って、姫様ご自身が、こんな危険なことをなさらなくても…。」
「だって、エマに、お城の兵にサランの周りを見回って欲しいって頼んだのに、
 エマったら『そのようなこと、姫様がお考えになる必要はありません』って、
 全然聞こうとしてくれないんだもの。」
アリーナは、憤然とした顔でクリフトを見た。
「だったら、自分でやるしかないじゃない!」
クリフトは、アリーナをまじまじと見つめた。
―――このお方は…。
幼い頃からこうだった。
アリーナは、どんな大きな壁に突き当たっても、絶対にへこたれない。
必ず自分の力で解決しようと立ち向かうのだ。
―――なんて、お強いのだろう…。
まるで、太陽の申し子のように、強く、明るく。

この少女の成長を、自分はこれからも身近で見守っていきたい。
クリフトは心からそう思った。

これは、光り輝くものへの、純粋な憧れ。
その想いは、まだ、恋と呼ぶには余りにも漠然として。

「…姫様。私は、これからも姫様のお側で、お仕えして良いのでしょうか…。」
クリフトは思わずそう口に出していた。
アリーナは、ぱっと顔を輝かせた。
「当たり前じゃない!ずっと前からそう約束してるでしょ!」

クリフトはアリーナに微笑み返すと、ふと表情を改めた。
「ただ、姫様。夜抜け出しての魔物退治は、おやめくださいね。」
「え…。」
不満そうなアリーナにクリフトは諭した。
「来週には、ブライ様がお戻りになられます。そうしたら、ブライ様から兵の見回りを
お願いしてもらいましょう。それまでは、私が、こちらを見回りますから。」
「えええー、クリフト、1人で大丈夫なの~?」
疑わしそうに見上げるアリーナにクリフトはムッとした顔をした。
「こう見えても、剣の扱いはけっこう得意なんですよ。」
アリーナはまだ疑いの残る目をしていたが、クリフトは、決めの一言を放った。
「これを納得していただけないようでしたら、壁の穴の件は公にせざるを得ませんね。」
「ひどーい!それって、脅迫っていうんだよー!」
クリフトはにやりと笑った。
「脅迫けっこう。さ、お城に帰りますよ、姫様。」
クリフトは、ぶつぶつ言うアリーナの手を取ると、キメラの翼を取り出した。

しばらくして、サランの周囲を兵が巡回するようになり、魔物の出現は激減した。
同じ頃、クリフトは家庭教師の任に戻り、同時に、女官長が更迭された。
多分、ブライが後ろで動いたのだろう、とクリフトは推測したが確かなところは分からない。
女官長直属の女官達も一掃され、アリーナは以前よりも自由に外出できるようになった。
今では、ときどきクリフトと2人で医療院を訪れ、治療を手伝ったりもしている。

クリフトは、幸せそうなアリーナを見ながらも、心ひそかに思っていた。
―――いつかきっと、この方は、もっと広い世界に飛び立とうとされるだろう。
そのときも、やはり、自分は、アリーナの側にいたい。
この輝く太陽の申し子を、できる限り側で支えていきたい。

クリフトの中の気持ちが、別の形に変わっていくのはもう少し後のこと…。