personal note内検索 / 「演劇」で検索した結果

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  • 演劇入門
    演劇入門 講談社現代新書 平田オリザ 1998.10 \660 劇作家が自らの演劇理論を優しく解説 演劇についての経験も知識もほとんどなく、ただ漠然と映画を見て感じる「演じること」について興味を持っている程度で、平田 オリザがどんな劇団でどんな演出を手がけているのかも知らなかった。ただそれでもこの著作は僕にとって、とても楽しめた。より一般的で普遍的な立場からそれらを語ろうという著者の試みが、幅広い視野を与え、「新書」の位置づけとしても十分な読み応えがある、まとまりを持っているからだろう。 ここで扱われている「リアル」や「コンテクスト」自体が、日頃から興味をそそるテーマであり、時代性という流れにも十分に当てはまる考察である。人と人とが向き合い、その関係性から自らの混沌たる内面を引き出す。こ...
  • 欲々しい
    ...生じる」なんてことを演劇を見るたびに実感するけれど、今回もまさにその構造が様々なところにあって面白かった。一見殺風景な舞台にやがて手前、中、奥と3つのゾーニングを認識し、瞬時に時間と空間を移動していく、この感じ。 日常生活やTV画面などを見ている状況では余り使われない、役者の演技によってのみ時間と空間を生成させていく能動的な過程。そんな(一種の)思考作業があって、それは演劇を見ていると実感出来る楽しさの一つなのかもしれない。 結果的にTV画面というハコの中で見せている「ドラマ」と似たような展開を伝えてもいるのだけど、見ている側の能動的な作業の大きさから、共同作業となってそれは生まれているのだと了解し、大きな臨場感へと繋がる。プロセスの差がこんなに違った効果を与えるのかと驚く。 役柄=キャラクター=欲望という図式で単純化された演出ながらも、編集された映像のように...
  • レミング/世界の涯まで連れてって
    ...に思えた。 演劇というものを、まったくといってよいほど経験していなかったので、いきなりこのような方向性の作品をみても、それが演劇全体のなかでよって立つ位置づけがわからないし、またそのようなジャンルがあるのかもわからないが、あの時、あの瞬間につくられていたモノが紛れもなく空間という言葉で表現される場であったことは確かだったように思う。建築を考えていく作業は、環境とか、空間と言うモノの創造だと思うが、アプローチや出来た様相の差こそあれ、演劇も環境と空間の創造なんだと思った。 プロセニアムからはみ出し、演技者達が客席全体を巻き込む瞬間、言葉という音記号のシャワーが会場全体を覆い尽くす瞬間、日常の中での「意味するモノ」と、その日常性との関わりを排除されたときの滑稽な姿の「意味するモノ」が自由に戯れ始める瞬間、それらの連続には、シンプルなテーマのなかに世界の縮図を押し込めるよう...
  • マクベス
    ...。 この様に演劇を読むという行為は、イマジネーションの展開が常に「会話」に支えられているという構造に特徴があるのだろう。文脈の細部を、会話から察知する、いやさせられることは、常に「場面の展開」に支えられている映画のそれとはいたって差異が大きい。もちろん演劇的な映画も多いだろうし、分けきれるモノでもない。けれどこの差異に注目し、考察していくことはとても興味深い。 そしてさらに、生の「身体感覚」と「場」の持つ空気感が参入する実際の演劇空間とは、まさに別世界なのだろうか2002.02.26k.m カテゴリー 小説
  • 散歩する侵略者
    ...のになるのだろうな、演劇はそこがまた面白い。 「概念を奪う」という宇宙人による侵略。これだけのテーマなんだけど、このルールがゆっくりとはじまり次第にドライブしていく過程がほんとにスリリングで鳥肌の立つ場面の連続ばかりで。 演劇は役者の芝居とセリフだけで「その場所」をリビングから病室へ変えることも、今という時間を3日前へ移すことも可能だ。原理的には舞台装置はいらない。 それほど抽象化された世界でも、観る側はリアルに状況を感じ取れる。そんな人間の高度な知覚をフル回転させて体験するのが芝居で、それを心地よくドライブさせるのが脚本や演出なんだと思う。 「親族という概念」を奪われた家族思いの義理の姉は、言葉の上で「妹」や「義理の弟」を理解していても、その概念を失っているので、自らの習慣的・家族愛が了解不能な衝動となって襲いかかる。 これほど複雑な「状況」...
  • ドストエフスキー
    ...抱く思想や魂の苦悩を演劇的手法で描いた、時に幻想的作風も見せる都会派のリアリズム作家。 ロシア文学史上、最初の「職業作家(専業作家)」とされている。  引用元 コメントをぜひ 人物紹介じゃなくて、ご感想を言っていただいたほうがいいかと・・すいませんね生意気言って。 -- 名前 コメント ...
  • アンリ・カルティエ=ブレッソン
    ...タイリシュな写真は、演劇的にすら見えてしまう。決定的瞬間とは、そうして乗り越えられていったのかも知れないけど。図版は1800円にしてはよく出来ていると思った。 一見すると人間をとらえているようなんだけど、フレームにおさまった姿は石畳や陰影と同じようにそこへ定着しきっている。今にも動きそうな感じではなく、瞬間的にポーズをとっているような。 スペインとメキシコの写真が印象深い。というか好きなものが多かった。2007-07-01/k.m コメントをぜひ 名前 コメント ...
  • クワイエットルームにようこそ
    ...を思い出した。やはり演劇的な作り込みなのだろうか。映画的だと思ったのは、時間の飛躍というか、空間の飛び越えのような場面が多かったことで、それは主人公の乖離した精神状態を表していた。 自己再生していくドラマとして良かったのは、内田有紀の演技があったからだと思う。クスリに溺れるシーンと、終盤ダンスを踊り再生のきざしを見せる場面とは、妙に重なってスリリングでもあった。大竹しのぶがクセのある精神破壊役、蒼井優のリリィシュシュ以来かと思った痛々しさ、などのキャスティングもマル。 2008-03-31/k.m コメントをぜひ 名前 コメント ...
  • 乱暴と待機
    ...おなか一杯だけれど、演劇から小説へ、そして映画化(冨永昌敬!)と変化していく表現を確認してみたい。 2008-05-31/k.m カテゴリー-小説
  • 隠された記憶
    ...中には哲学、心理学、演劇を学ぶ。カンヌ国際映画祭にとても強い監督。『ベニーズ ビデオ』は衝撃だった。 オープニングもそうだけど、それが「監視された映像」だというのは、与えられた文脈であって、映像からはうかがえない。その事実を巧みに利用して見る側を惑わせる映画だ。 それは人物間の内面を繊細に描くとか、ストーリーの緻密さで惹きつけるとか、いわゆるサスペンス映画とは違った魅力だ。アルジェリアとフランス、中産階級と移民。パリ暴動など最近でも話題なだけに、この地域の抱える困難について、「監視された視線」はとても考えさせる映像だと思う。 映画を見て考えるというのは、結局これら映像そのもの、というか視点の構造というか、映されたままの印象なんだと思う。ラスト近く生家での「隠された記憶」が表情まで捉えきれない遠景であるのは、生々しさをフレームの中へ納めてしまうような文脈と切り離...
  • どん底
    ... まぁ。大小色々演劇は奥深い、まだまだこれからですね。2008-04-23/k.m
  • 社会派すけべい
    ... カテゴリー-演劇
  • 黒いインクの輝き
    ... カテゴリー-演劇
  • あれから
    ...へ混乱を強いないのが演劇の面白い点だと思う。 複雑な情報量をクライマックスへむけて収斂させ、セリフによって2つの時間を繋いでいく。ケラリーノ演出にはいつも映像を写す対象があるのだけれど、今回は斜めの柱へ「ト書き」のように文字を浮かべていた。無声映画における活弁のようでもあり、テンポの良さを作っている。2008-12-22/k.m カテゴリー-芝居
  • ヤンヤン 夏の想い出
    ...は美しいのだと思う。演劇には共時する時間があり、写真にはかつてあった時間がある。そして映画には両者がある。 「ヤンヤン 夏の想い出」には様々に対象が映り込むシーンが多い。この演出は元々固定アングルの多いエドワードヤンの作品でも際立っていると思う。そこが何処であるのか、次第に写りこんでくる対象によって明らかになっていく時間がとても美しい。 一歩引いたアングルは画面で起こっている事態を客観的に眺める視点を与えるが、音声によって対象はっきりと限定される。没入していくのは役者の演技ではなく、あくまでもそこにある時間に対してで、演劇の空気感にも近い。 約3時間という長い映画だけど、誕生から死までを描く壮大なスケール感が背景にあるので、小さなエピソードに安心して没頭出来る。部分の集積から果てしない全体を想像させる。その流れの中で小さなヤンヤンがつぶやく哲学的なセリフは、あ...
  • しとやかな獣
    ...れから」よりも好きな演劇だ。というかケラリーノ見すぎ・・。2009-02-09/k.m カテゴリー-芝居
  • リチャード三世
    ...さを出している。現代演劇でこの演出をおこなうのだから、結構アレンジするのだろうと思いきや、ほとんど脚本はいじられていない。役者のセリフばかりが気になってしまう。早口に吐き出す呪文のように過剰さを感じた。 俳優にサイケ風の服を着せ、独白部分は小型マイクでつぶやかせ、舞台各所のテレビ画面にせりふが字幕で流される。色々と面白い演出だ。リチャード三世は身内をだまし、殺した相手の妻をも口説こうとする狡猾な悪役。1000人超えの大型劇場で、さらに後方の席だったので、古田新太のお芝居もほとんど表情が見えなかった。安田成美などはどこへ出ていたの?という感じ。 爆音のBGMとエレベーターの演出がとても良かった。 赤坂サカスへはじめて行った。意外とこじんまりしていた。開場前はホワイエにも入れず、芝居客が飲食店ゾーンに溢れ返り全てのソファが埋まっていた。どこも高そうなお店ばかりで夕飯を...
  • たみおのしあわせ
    ...く。このあたりに昨年演劇も体験した岩松了の緻密な演出を感じた。セリフが多く、とても観念的な部分と不可解なまでに情念的な人間像をあぶり出す。 話は終盤に向かって急転直下していく。息子は父の再婚相手が裏切って伯父と付き合っているのことへ激情し、父は麻生久美子が「妙な贈り物」をくれたことが脳裏から離れない。結婚式へ向かいながら、頭の中は激しい感情で掻き乱されていく。ついに「誓いの言葉」の途中で会場を脱出・・。 このラストシーンを見て、ゴダールっぽいかな。ミケランジェロ・アントニオーニの『砂丘』かな、確かあれは映像美あふれる時間の最後、ドドーン!と爆発して終わりだったな。なんてアート系映画と言われる作品を思い浮かべた。それくらい前衛的でもあって、不可解な突き放し方だ。けれど直前までの優雅な時間が心地よく、父と息子の濃密さも悪くないなという映画。2009-02-09/k.m...
  • 笹本晃「ストレンジ・アトラクターズ」
    ...講義にも聞こえるし、演劇にも見える。しかし自分の常識へ重ね現前の行動に検索をかけても、安心できる回答へは辿り着かない。そのギリギリな所に「アート」があるのだろうか。 油断していると、要するに危ない人(理解出来ないという意味で)と至近距離で過ごす40分間となる。けれど一方で息をのむくらい皆が真剣だった。時に笑った。これぞアートか、圧倒された。あと2回やるようです!。 ところで、NYを拠点に活動しているアーティストさんのようだけど、いったいこのジャンルはどうやって食べていくのだろうか。いくつかオブジェがあったけれど、インスタレーションという文脈以外でモノとして購入されるのだろうか。ギャラリストの方に聞いてみたい。 パフォーマンス・インスタレーションと同時に、4時半から5時までの東京タワーが観たかった。ちょうど緊張感ある40分を解放され、見上げると夕空に赤く染まった...
  • シャープさんフラットさん
    ...るクレジット。映画と演劇が融合したようでとてもカッコ良い。 様々な要素が入れ子になっていて、面白かった。主人公・大倉孝二の演じる役は劇作家で、劇中で彼の脚本が演じられる場面も多い。それは妄想や幻覚のように登場し、そのなかでツッコミを入れる姿は自己言及を可能とさせているようで、結局は堂々巡りしている。 両親は死んでしまったのに、サナトリウムに療養するある夫婦の妻役を演じている犬山イヌコは母でもあった。彼女は彼の創作したキャラクターとしても登場する。犬山イヌコのようにキャラの強い役者が何役も演じてしまうとそれだけでややこしい感じもするが、もはやその程度ではあまり気にならない。マギーも同じように2役だし。同一の役者はどこか本性は一緒じゃないか、そんな思い込みが妄想や幻覚を増幅し、現実との境を彷徨う主人公と共鳴していく。 ほかにも、精神病患者を世話する坂井真紀の...
  • ベニーズ ビデオ
    ...中には哲学、心理学、演劇を学ぶ。卒業後はドイツのテレビ局で脚本家として活躍。1970年にテレビドラマを初監督、同時に舞台監督としても多くの作品を演出。最新作『ピアニスト』は今年のカンヌ国際映画祭で、グランプリはじめ3賞を受賞。ウィーン在住の巨匠。 東京フォーラムでの上映。ここで映画を観るのは初めて。ストーリーだけ言うと、とても衝撃的である。惨殺映像に惹かれる少年が実際に知り合った少女を殺してしまう。これだけでも十分に怖い。ありそうだというリアリティーが余計に恐怖をさそう。この作品は10年くらいまえのものだ。当時のオーストリアの状況は分からないが、今の日本を取り巻く状況からはけっしてあり得ない話ではないとも言える。 作中少年はとても乾いた表情と行動をとっている。殺した行為自体をも自らのビデオ映像となって、観賞の対象となっていた。なによりも両親へばれたのも、その映像を何気...
  • ペンギン村に陽は落ちて
    ...登場する。しかし前衛演劇なのか、よく分からないけれどその不可解さが、いらだちとかよりも、かっこいいモノをながめるような感覚につながっていく。 キン肉マン一家を描いたホームドラマは、あたかも小津の描いた世界を逆なでするように、一方でそれを思い出させるのだった。るせえな。んだよ。・・・。ケンシロウのせりふは一発芸よりも、ある種の恐怖感すらともなう緊張を呼び起こさせていた。2003-11-30/k.m コメントをぜひ 名前 コメント ...
  • カテゴリー
    ...スケープ 空中庭園 演劇入門 スペイン-ポルトガルを探る場所-映画編 不良少女モニカ 吉田修一 FormattingRules 音楽 展示 2003問題
  • わたしたちに許された特別な時間の終わり
    ...ションの映画を見ると演劇みたいだと思い、戯曲を読んでいると台詞ひとつにも舞台俳優の張り上げる声が浮かぶようだ。この小説はそのどちらでもない体験を与えてくれるもので、例えば今日の帰りに電車のなかでボーッとしていた自分は、明日の午前中に打ち合わせ資料を準備する姿を思い浮かべていた。 そして午後の打ち合わせで話すことを考えながら、こうして落ち着いた態度でむかえたのも準備が整えばこそで、そうは言っても事務所でバタバタしちゃったのはS君が要因してもいた。そもそも彼の作業ペースに対し、どのように向えばこっちの予定にあうのかを考えさせられる時点でそのペースにはまったことを意味してもいて、彼を基準に自身を矯正しているかのような煩わしさに襲われる。 打ち合わせを終え帰宅ラッシュにまみれながら事務所へ戻ってくる間も、次の打ち合わせがまったくノーマークだったことを思い出し、もちろんそれは自...
  • 柴崎友香・喜安浩平・ジャコメッリ
    ...時性で表現してしまう演劇のカタルシス、日常のすべてに意味を与えがんじがらめになった自家中毒状態の僕らを、ものごとはただそこにあるだけで自分がいてもいなくても、何十年昔でも何十年先でも、それは続いていくのだと残酷さではなく了解させてしまう小説、どれも同時代的な困難を受け止めつつ、生きてることの奇跡を発見せずにはいられない人間の性を描いているのだと思った。 2013-04-07/k.m カテゴリー写真、展示、小説
  • シルバーウィークにアレコレ・感想4つ
    ...パリのスナップには、演劇的(シアトリカル)に振舞うことがアイデンティティーの形成においてもはや不可欠となった「時代の空気」が感じ取られていたこと、その後60年代の「振舞うことがコード化された」時代を経て、北島さんが撮った80年代前半のNYには、エイズの影があり、80年代後半のPC(ポリティカル・コレクトネス)的な社会性の反映された作品へと向かう兆候となっていた。たぶんこんな感じ。2時間、とても静かに写真論の語られた興味深いトークでした。 2009-09-23/k.m コメントなど 名前 コメント ...
  • 近況
    ...目だが、1)、3)は演劇的要素も多く、歌舞伎初心者にはとても楽しめる内容だった。スタンダード演目は長丁場。お約束を理解し、休憩時間も満喫できる、歌舞伎ファンのおばさま達に圧倒された。初心者には厳しいものがありますw。 今回の「NINAGAWA十二夜」はとても斬新でコミカル。尾上親子は楽しんで演じていて、それが伝わってくるのが良かった。鏡張りの背景に映り込むきらびやかな衣装の数々はとても幻想的で、鈴木清順が80歳をこえながらも狂気的な色彩感覚でつくりあげた「オペレッタ狸御殿」を思い出した。蜷川幸雄の演出したお芝居は初めて見たけれど、蜷川実花の毒々しいまでの妖艶な色彩写真といい、色に対する感覚はやはり通じるものがあるのだろうか。次はコクーン歌舞伎を見に行く予定で、こちらも楽しみ。 2009-06-15-都内を転々 週末から状況が変わりここ数カ月停滞していた...
  • 写真
    ...の感情を揺さぶられ、演劇論は共時性という身体感覚を脳内に覚醒させる 2013-04-08 マリオ・ジャコメッリ写真展での大竹昭子さんと鈴木芳雄さんのトークで、刹那的時間の中へ生の躍動感を覚えて写真という行為を続けたジャコメッリの姿とも重なった。現実をそのまま写す機械によって、時間や記憶を保存するというイメージ概念へ昇華させる写真家、遠く離れた存在と自分との間へ普遍的な繋がりを認める瞬間の歓喜を表現した芝居のクライマックス、どれも現代的な困難を受け止めつつ、生きてることの奇跡を発見せずにはいられない人間の性を描いていると 2013-03-28 アーティスト・ファイルでは志賀理江子の写真が圧倒的で、しばらくぼーっと見てしまいました。トレース・エレメンツ、新進作家展、木村伊兵衛展と見ました。最近は心霊写真のようだと話題にもなっていますが(ごく一部で)、写真のチカラすごい出て...
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