※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

ある朝スウプは


  • 監督・脚本・撮影・編集・出演:高橋泉
  • 出演者:廣末哲万、並木愛枝、木村利絵、垣原和成
  • 音楽:並木愛枝

ホラー映画が海外モノよりも日本人が出ているリアリティーへ怖さを抱くように、フィクションとして造り込まれたある美しさをもったメジャー映画よりも、自主制作映画の即興っぽさや、役者の匿名性へ、より臨場感を得ることが出来る映画だ。

さらに、パニック障害、ひきこもり、新興宗教、洗脳、カルトなど、現代日本が抱える生きがたい闇の部分へ(それが闇ではないことも含めて)ごく普通に踏み込んでいくことがこれほどにショッキンングだったのかと驚かされた。

メジャー映画やマスコミの描く社会像にはとても制御された姿があって、僕らはそれをどこかで知りながら、安心して見られる程度にコントロールされて届くことをむしろ望んでいる。耐えうる程度の現実感に拠ってこそ、世界平和だとか食品安全性だとかを安心して話題に出来るからだ。

しかし世の中はそれで本当にうまく廻っていくのだろうか。ウソで固められた社会像を生きるのなら、最低限それらが茶番であることをお互い忘れないように振舞わなければいけない。けれど乗ってしまった現実には、置いてきた荷物を見えなくさせてしまう構造が生まれる。妄挙が、どうしてそうなのかも分からないままに、横行してしまう。

そんな時、このような映画は風穴をあけてくるのではないか。ドキュメンタリーが現実感を売りにしている分、かえって眉唾であったりするよりも、ショッキングなフィクションを見せられるほうが遥かに想像力を働かさせる力があるように思う。

この映画は、とても切ない。そして逃げ場のない閉塞感は、とても息苦しい。果たして切実と閉塞感はセットなんだろうか。留まりたい静寂と、かき回したい衝動。救われること、それだけを望むのなら、閉塞した二人の状況よりも、新興宗教がいけない訳を説明できない現実。他人である男女と、家族であるカルト。

関係ないかも知れないが、ゴダールは映画というものを「考えることができないものを考えるためのものだ」と考えているそうだ。2007-08-14m


カテゴリー-映画