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「彼女たち」の連合赤軍

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  • 「彼女たち」の連合赤軍サブカルチャーと戦後民主主義
  • 角川文庫
  • 大塚英志〔著〕
  • \667

70年代からはじまった消費資本主義的な社会現象が、その時代に生きていた男女の行動へどのような影響を与え続けていたのか、そんなテーマに沿って、連合赤軍の悲劇をたどっている。

この著作によって、70年代、80年代の流れ、そしてバブル崩壊へと続くあたりまでの現代日本への変化していく構造を読みとれるような気がした。バブル崩壊後も早10年以上経つ。そろそろバブル後自体も、この著作のように「歴史的」に分析してくれるものが登場するのではないだろうか。

ここで与えられた男女に関する分析は、現代への様々な視点へと繋がっていく可能性があるように思う。特に「自己表現」という焦燥の果てに・・と題された、「フェミニズムのようなもの」の分析は興味深い。消費行為と自己実現があたかもパラレルな現象のごとく踊らされた80年代を、女性の自己表現意欲を満たす材料として、消費や社会参加がやや欺瞞的に押し進んでしまったものとしてとらえている。その後90年代に入り、フェミニズムはそれらの現象を引き受けないままに、社会化しきれていない状況を見落としてきたのだと。

これは、「ある」社会現象と「ある」イデオロギーが明確に繋がって見えないほど、高度に消費化させれた社会が陥ってきた様々な困難の一部を、とても象徴的に表しているのだと思う。女性の焦燥に限らず、現代の細分化した社会では、明確な因果関係などもはや見いだせない。そのために起きている様々に二次的な困難がある。全てが事件であり、全ての事象を僕らは事件として日々目の前に突きつけられている。それらには繋がりなど見いだせないし、どんな理由ですらウソっぽさを伴う。

しかし人々は常に「コア」な世界を持ち、「べた」な日常に生きる。国家や共同体を経てきた人々が、いかに細分化した社会に生きようとも、あの「W杯」に見る異常なまでの盛り上がりには、その二重性を行き来し、バランスをとっているかのようで、実はかなりアンバランスな社会に生きていることを表してはいないだろうか。今ほど明確な発言が求められ、またそれに流される危険性をもった時代もないのではないだろうか。そして、どこかでハッキリとつかまえてくれる明快さを探して、見極める決断を迫られているのが日常なのではないだろうか。2002.07.07k.m

カテゴリー-エッセイ社会思想サブカル


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