※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

ツィゴイネルワイゼン




  • 監督:鈴木清順
  • プロデューサー:荒戸源次郎
  • 脚本:田中陽造
  • 撮影:永塚一栄
  • 出演:原田芳雄、大谷直子、藤田敏八、大楠道代、樹木希林



1980年に公開された鈴木清順監督作品。

ツィゴイネルワイゼンってこんな映画だったっけ?。ほとんど覚えていないことへ愕然としながら、昔見た時は単に前衛的な!、という括りでしたが、今見てみればとっても良く出来た作品なんだと。そして、なんて奇妙な映画なんだろうという興味は尽きなくって。とりあえず気になった所をメモ。

大谷直子がちぎるこんにゃくがあんなに量がおおかったこと、大楠道代はいつも何かを食べているシーンばかりで、最初に登場する藤田敏八との食事シーンでは、何を食べているのかよくわからないけれど、お椀のような食器がすごくたくさん並んでいること、そのあとの腐った桃を食べるシーンがなんともエロティックで怖いこと。

原田芳雄はずっと片目に髪の毛がかぶっていて傷でもあるのかと思ったけれど、最後のシーンではしっかり顔全体が出ていてあたかもキリストのように砂漠で苦しんでいたこと。


藤田敏八と原田芳雄は同じ教授なのに、真面目と破天荒のように二人は対照的に描かれていたけれど、「僕は一度だって正常だったことはないよ」という原田芳雄のセリフあたりから、どうも二人の性格が実は入れ替わっていたようにも、あるいは鏡像のような関係かもしれないと思ったこと。

大谷直子は二役だけれど本当は三役ではないか、妻が死んだあと乳母となって雇われたのは芸者の小稲ではなくって第三の女性ではないかということ。

大楠道代は原田芳雄と浮気をしていたのか、藤田敏八の妄想なのか、芸者の小稲を装った第三の女性による藤田敏八への誘導なのか、そもそも藤田敏八は死んでいたのか、もうよくわからなくなってきた頃に、ふと終わってしまったこと。

原田芳雄の家は伝統的な日本家屋なのに、そのアプローチは険しい岩山を登り鍾乳洞のような洞窟を抜けるという、とんでもない場所にありそうで、藤田敏八は普通の家かと思えば、アイコンのように家形をした洋館で、何故か部屋からは海がそれもかなり近くに見えるという、まったく特定の場所を感じさせなくって、どちらも必ず差し込まれる同じカットによって次第に見慣れてくるという始末で。

原田芳雄の訃報を知らせる大楠道代との電話シーンでは、桜吹雪が下からせり上がりまるでわざとらしい演出で、そのうすっぺらさはテオ・アンゲロプロスが『霧の中の風景』ふらせた雪のようで、紙芝居のような二人の演技はロベール・ブレッソン的で、そもそもこの映画全体に流れる演出の無表情さは、黒沢清の映画と似ていて、昔見たとき寺山修司っぽいと思ったのとは全然違うことを考えながら見ていた。とにかく興味は尽きない。2011-08-16/k.m


ここからは、10年前に見た感想

連休中のシネセゾン渋谷。鈴木清純特集へ行きました。

渋谷の映画館は何時でも混雑しているからと、はりきって朝一番の回(9時半)の1時間前にいったら、一番乗りでした。しかも映画館自体やっていない・・・。じっさい始まっても半分くらいの客席でした。20年以上前の映画とはいえ、あの鈴木清順ですから、映画通がごっそり・・などと想像してみたものの。

CMが終わり本編が始まると、何故か暗幕が内側へ動いたので驚きました。スタンダードという四角い画面。テレビよりも四角に近い比率です。その閉塞感に襲われてしまい、とっても窮屈な気分、どこかへ閉じこめられた不快な感じでした。時期慣れましたが、この閉塞感は画面の形だけから来るものではなく、作品全体に流れるシュルレアリスム的な空気から来るものだと思いました。

「ツィゴイネルワイゼン」とは、サラサーテの曲。そのサラサーテ自身演奏のレコードから微かに聴こえる、録音中に紛れ込んだという声。そこへ執拗に惹かれたふたりの男。そして、そこから始まる奇妙な世界・・。

いきなりレコードが回り続けるシーン。冒頭の長くて空間の広がらない世界。未知の監督、未知の作品、未知なる演出。得体の知れない作品の「現れぶり」にしばらくの間、頭が真っ白になる思いでした。ゴダールの作品をみて感じるような、映画が視覚芸術であることを、日本の作品でここまで感じさせるものは初めて見たような気がします。抽象的な演出。物語が分からなくなるような、ギリギリのモンタージュではないでしょうか。映画空間のなかでは、監督のモンタージュが世界を認識する作業を代行しているのだとも思うので、自分の存在が不思議な感覚に包まれていきます。記号的な主題の配置、役者の「しぐさ」のコラージュ・・よく分からない印象は言葉になりません。

それでも主題的なものを上げるとすれば、生と死の世界を鮮やかな映像が行き来し、混ざり合い、反転させることでしょうか。「生」の世界だと思っていたものこそが「死」の世界であったり・・。美しさの先に存在するような恐怖感を感じました。他の作品も追ってみたいです。

2001.05.13k.m

コメントをぜひ [#dc0a5e7f]

  • Mitsuho> ツィゴイネルワイゼンも、ポォちっくな不思議な雰囲気でよかったです。モンタージュもよかったですね。サラサーテのCD、映画を見てからしばらく、部屋で流してました。。まぁレコードの擦り切れたかんじの音でないと情感はいまひとつではあるのですけれど。盤をイメージしつつ。。SIZE(10){2003-06-13 (金) 00:28:43}
  • k.m>サラサーテのCDですかぁ。聴いてみたくなりました。これは内田百ケンでしたっけ。大正ロマンですかね。あの独特な豊かさにはとても憧れてしまいます。SIZE(10){2003-06-13 (金) 02:02:29}
  • ちゃーりー>高橋葉介という漫画家が『ツイゴイネルワイゼン』から作品のヒントを得たと知り、この映画を見て、その後で内田百?を読み始めました。何とも言えない雰囲気がいいですよね。悪夢の世界なのに魅力的な。SIZE(10){2003-06-15 (日) 01:14:00}
  • k.m>なるほど色んな所で繋がっていきますね。勉強になります。SIZE(10){2003-06-15 (日) 17:40:35}
  • Mitsuho>ツィゴイネルワイゼンからヒントをえて描かれた漫画なんてのもあるんですね。内田百?の小説は今年は、ちくまから文庫で結構出ましたねぇ。これを機に読んでいないのを読もうと思いつつ、まだあまり読んでません。彼の「山高帽の男」という短編が好きでした。抜けるようなふしぎな読了感が好きです。大正ロマンといえば、鏑木清方さんの絵なども情緒深く、惹かれるものがありますね。。 SIZE(10){2003-06-16 (月) 02:37:25}
  • k.m>なるほど。鏑木清方記念美術館とういのがあるのですね●:http://kamakura-arts.or.jp/kaburaki/SIZE(10){2003-06-16 (月) 20:28:39}
  • k.m>「サラサーテの盤」読んで見ました。映画の世界にくらべて、ずっとシンプルでいて、そのぶん恐怖感があります。やはり清順作品に漂うエロティシズムではなくって、極小の美意識というミニマルな死の隣接感のようなものを覚えました。SIZE(10){2003-06-21 (土) 13:46:12}
  • Mitsuho>小説はシンプルな短編なのですよね〜。ここでも原作と映像化作品との違いの話が。鎌倉の鏑木清方記念美術館もよいですよ、、機会があれば是非寄ってみて下さい(^^;。SIZE(10){2003-06-25 (水) 00:31:52}
名前:
コメント:

カテゴリー


関連リンク