散歩する侵略者



  • イキウメ
  • 『散歩する侵略者』
  • [作・演出] 前川知大
  • [出演] 浜田信也、盛 隆二、岩本幸子、伊勢佳世、森下 創、窪田道聡、大窪人衛、加茂杏子/ 安井順平、坂井宏充
  • 5月13日(金)~5月29日(日) シアタートラム



毎回、奇想天外な発想と演出の素晴らしさ、脚本の造り込みの深さへ驚かされ目の離せない劇団・イキウメ。これは3度目の再演のようだけど、きっと同じ脚本でも演出しだいでだいぶ違ったものになるのだろうな、演劇はそこがまた面白い。

「概念を奪う」という宇宙人による侵略。これだけのテーマなんだけど、このルールがゆっくりとはじまり次第にドライブしていく過程がほんとにスリリングで鳥肌の立つ場面の連続ばかりで。

演劇は役者の芝居とセリフだけで「その場所」をリビングから病室へ変えることも、今という時間を3日前へ移すことも可能だ。原理的には舞台装置はいらない。

それほど抽象化された世界でも、観る側はリアルに状況を感じ取れる。そんな人間の高度な知覚をフル回転させて体験するのが芝居で、それを心地よくドライブさせるのが脚本や演出なんだと思う。

「親族という概念」を奪われた家族思いの義理の姉は、言葉の上で「妹」や「義理の弟」を理解していても、その概念を失っているので、自らの習慣的・家族愛が了解不能な衝動となって襲いかかる。

これほど複雑な「状況」を、イキウメの芝居はなんともシンプルな舞台装置と数人の役者だけで、見事にというか真摯に訴えかけ「親族という概念」の深さや大きさへ観る側を圧倒させてしまう。

「所有という概念」を奪われたアナーキーで退廃的な青年は、所有が生み出した収奪の世界である資本主義を正面から批判し、共産主義と言うユートピアへまっしぐらへ向かってしまう。

言葉は、なんて軽いのだろう。それが意味する「もの」を失うことの重さへ比べたら。「概念」は言葉で置き換えられない。どんなに熱く情熱的に語ろうとも、「概念」の全貌は表現できないし、人それぞれ心の中へ仕舞い込んだ大きさを、言葉は定量化できない。

そして、「概念」の大きさを伝えてくれるこの芝居はとてつもないスケール感を持っている。SFが思考実験であり、人間の思考の深さの一端を見せてくれるフィクションであるならば、イキウメの芝居はSFによって人間の思考の深さを一時的に泳ぎ回ることのできるアトラクションのようだ。2011.05.21k.m


カテゴリー-演劇
最終更新:2011年05月26日 11:24