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アンドロイドは電気羊の夢を見るか?



  • フィリップ・K・ディック(著)
  • 浅倉 久志(訳)


多くのパロディを生んでいるこの有名なタイトル(潜水服は蝶の夢を見る、とかも)けれど、何故こんなタイトルなのか分からなかった。もちろん映画『ブレードランナー』は見ているのだけど、レトロフューチャー的な街並みとハリソン・フォードが出ていた程度しか覚えていない。今回この原作を読んで見なおしたくなった。

小説世界において「感情移入能力」というものが決め手となって、アンドロイドは人間と区別されている。ただしそれは脱走したアンドロイドを処理する主人公(賞金稼ぎ)をはじめとする一部の者にしか意識されていない。この微妙であまり世間に認識されていない(時にはアンドロイド本人ですら知らない)「差異」に基づいて、両者は決定的に主従関係にあるせいで、奴隷制度のようでもある。

一方で、この世界では自然が壊滅的打撃を受けているために、生物は昆虫一匹と言えども法によって厳重に保護されている。脱走したアンドロイドは発見即廃棄というのに。静かで文学的なせいか、ディックの小説は思考実験のようだと言われているけれど、まさにこの逆転したような関係はスリリングな状況をいくつも差し出してくる。

「感情移入」出来ることが人間のあかしであるのに、見分けるのが困難な、あまりにも人間らしい「アンドロイドへの感情移入」は許されない。他者への共感の度合いを測定するテストによて判定したとたん、目の前の「人間だった存在」を「機械」だと認識しなおす。そして殺す。それが賞金稼ぎの仕事であって、法律だ。主人公は、高価過ぎて模造でしか手に入らない「生き物」を(建前的に)愛でる。けれど本物を欲し、カタログを常に持ち歩く。

ほかにも「ムードオルガン」や「マーサー教」といった、感情を機械的に操るもの、アンドロイドによってつくられた共感宗教など、倒錯を膨らませる素材ばかりだ。そんないくつもの混乱した世界に読む側も翻弄させられる。それは、何故かどれも「あり得る景色」として現前されてくるせいで、翻弄させられるのだと思う。

自分の感情、その心の動きだけを信じて行動していこうとする終盤の主人公の姿は、死生観を乗り越えていく一つの答えのようでもある。けれどそれは結論だけでは理解の出来ない、プロセス全てを共有することで体感され得る、「小説自体」のような貫禄あるものだった。 2009-01-06/k.m

カテゴリー-小説