死の棘


  • 監督:小栗康平
  • 原作:島尾敏雄 
  • 脚本:小栗康平
  • 出演: 松坂慶子/岸部一徳/木内みどり


事前に原作を読んでおきたかったけれど、すっかり忘れていた。以前に小栗康平の「NHK人間講座」を見たのがきっかけだった。動きのない静かな演技で、機械的な冷たさは同時に滑稽な空気を醸し出していた。それが意図する所をうまく言い表せないけれど、結構笑いながら見てしまうほどだ。

女性の激情という、自身を興奮へ導いてしまう堂々巡りが笑ってしまうほど酷い。それは一方で締め付けられる思いになる。頼りなく男性がそばへ佇むばかりなのは、映画にはよく見られる状況だ。しかしこの作品がやや違ったふうなのは、夫も次第に妻の堂々巡りへ引き寄せられ、二人とも精神病院へ入ってしまうことだ。

競い合うように気のふれをおこす二人。それは防衛手段のようだった。世界を閉ざすことで問題の解決をさらに困難とし、一方で解放をさけることが互いの防衛手段にもなっているという、なんとも抜け出しがたい輪の中を彷徨っている。

二人の子供達が面白い。奇妙に閉じた世界にいる子供という他者。その存在は自由気ままで、時に小道具のように転がって、時に腹話術のように互いを代弁する。まだ「他者=自らを写し取る存在」には至らない未熟さとして、閉じた世界をかき回しているのだ。

激情の原因は夫の浮気にあったのだろうか。彼の機械的な態度にこそ認められ、妻自身を卑しめる堂々巡りがそこへ隠されている。ただし不自然な二人の空気は、激情によってガス抜きされているようでもあった。そう見れば精神病院行きは不自然な解決方法で、やはりそれは(いつも映画や文学に登場する仕方で)不条理な環境として機能し、望まれない終末を生むだけだった。2003.06.14/k.m

原作との対比

  • Mitsuho>『死の棘』って、映画化されてたんですね。昔、小説のほうを読んで、この繰り返される救われない状況に辟易としつつも読まされてしまう、不思議な衝撃をうけた作品でした。二人のあいだで閉じてやりどころのない激情、身のすりへらされるような心持。って小説のほうの感想になってしまいましたが、映画のほうも見てみたいですね。SIZE(10){2003-06-16 (月) 02:46:17}
  • k.m>映画でも似たような感想を持ちました。手法としてはとても変わった演出でしたが、あのように特殊な技法によって、かえってみえてくる世界というのもあって、映画はそういう所が面白いですよねー。SIZE(10){2003-06-16 (月) 20:32:15}
  • りえ>熱烈な島尾ファンの間ではこの映画はあまり評判がよろしくなかったようです。作品の出来ではなく「トシオ」と岸辺一徳のイメージが合わなかったというのが理由のようですが。私もちょっとイメージ違うなーと思いましたが(岸辺さんは吉行淳之介の作中人物などが合いそうな気がします)映画は映画として楽しめました。映画の呼吸に自分の呼吸が合ったように思いました。SIZE(10){2003-06-19 (木) 15:12:50}
  • k.m>りえさんは両方に触れていらっしゃるのですね。2つを意識的に比較するのも楽しい考察になりそうですね。さっそく買っておこうかも。岸辺一徳のイメージは松坂慶子よりも強烈でした。彼自身のキャラクターが醸し出すものを監督が狙っていて、それがあの映画の特徴でもあることを思えば、やはりあれはあれで楽しむものなのでしょうね。原作があくまでインスピレーションに過ぎないことはクロエの監督も言っていましたような。SIZE(10){2003-06-20 (金) 01:30:22}
  • りえ>k.mさんが感じられた「滑稽な空気」ですが、島尾敏雄自身「救いのない小説ですがその底にある滑稽なおかしみのようなものを感じとってもらえれば…」と語っています(記憶が曖昧なので正確な言葉ではないですが)。してみると映画におけるそれも狙いだったということになるのでしょうか。SIZE(10){2003-06-20 (金) 21:29:04}
  • Mitsuho>小説と、翻案された映像を比較するのって面白いですよね。。/「滑稽な空気」ですか、、たしかにそういったものがあったのかもしれません、ある種、あたたかみと言えるような、、、そういったものがあったからこそ興味深く読みすすめられたのかもしれません。。。SIZE(10){2003-06-25 (水) 00:31:15}

吉田修一「突風」との対比

  • k.m>今日、吉田修一の「熱帯魚」に含まれている「突風」を読んでいたら、「死の棘」にちかいような感情を抱きました。それは女性にたいするとても切ない感情といいましょうか・・。最後の仕打ちがなんともやるせない気分にさせられて、最近こういうのあったな、それが「死の棘」でした。吉田修一の場合、救いのない行き詰った場所というよりも、果てしない交通の過程に含まれる不条理感といった、ある意味対極な場所を通じて同様な感情を伝えているようでしたが。SIZE(10){2003-06-20 (金) 23:00:43}
  • りえ>『死の棘』は出口のない閉塞的な状況にありますが、場所として考えるにそれは苛烈でありながらも強い存在理由を持つに至るのではないかと思います。『突風』は衝動的な移動で「対極な場所」にあると私も思います。実は今実家にいて読み返すことができないのですが、『突風』の最後の仕打ちは、悪意にまで至らない冷えた感情がよく出ていると思いました。『熱帯魚』は吉田修一の本の中でいちばん好きです。クールで切れている、と思いました。SIZE(10){2003-06-22 (日) 09:22:30}


カテゴリー-映画
最終更新:2009年03月30日 12:13