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シンポジウム「U-35のポテンシャル」をめぐって



  • 7月19日(土)18:00~20:30
  • 司会:千葉学
  • パネラー:五十嵐太郎、西沢大良、宮本佳明
  • (以下、『建築文化』特集中の「現代建築の5原則+」執筆者)、勝矢武之(日建設計)、金田充弘(ARUPJAPAN)、ジン・ヨハネス、すわ製作所、田中浩也、藤本壮介、松川昌平(OOOstudio)
  • 会場:カッシーナ・イクスシー;イベントスペース「SPAZIO 1」


その後建築文化でも 議事録 がUPされたが、続編のWEB上討論はみかけない(と思ったらはじまっていた)。けれどようやく興味深い意見も見かけるようになった(他を知らないだけかもしれないが)。round about journalはいつも読み応えある日記として拝見している。そこで今回のシンポジウム議事録の感想が載せられていた。 「モノとしての建築にどう還元するか」という千葉さんの還元主義的な問題設定が議論を決定的につまらなくしていると思う。 という指摘からはじまる問題提起はとても興味深い。まずは。2003-10-08/k.m

「この先の建築」 というギャラリー・間が行った5世代を集めた講演録を読んでいた。初回分の講演時間が4時間に及んだというのを見て、さすがに5人も集まれば長時間にもなると思いつつ、はたして今日のU-35は2時間半の予定になんと11人パネラーがいた。予想通り「不完全燃焼」と言うよりも、まだなにも始まっていないというもどかしさのまま時間切れとなった。「この先の建築」はU-35が一人に対し、4人の上世代が構成されてしかも4時間という規模であって、その完成度には差がある。しかし今回のようなシンポジウムは同様に注目されてもいると思う。

わずかながら同世代の今後活躍しそうな建築家がどんな人なのかという、ぼんやりとしたキャラのようなものはつかめたかもしれない(それに意味はあまりないとしても・・)。席順に簡単な印象を書けば、
  • 金田充弘;アラップジャパンという組織に属する彼は、おだやかな口調で話す。表情には常にかすかな笑顔が刻まれ、そこに貫禄すら感じた。7000人という規模でありながら、そのフラットな組織体制をざっと説明し、あげられたテーマも作り手のそれというよりも、客観的な観察眼であった。
  • 勝矢武之;彼も日建設計という大規模の組織事務所に所属する。こちらは一人「4分間」という与えられたプレゼ時間に対し、言いたいことが沢山あるのか早口に様々なことを話し、ゆうに倍ほどの時間を使って見せるとう図太さを持ち、組織事務所のプレゼ力を見せられたような気がした。伝わる量との兼ね合いで言えば、かえって印象が薄いのではと気になったが、東浩紀の引用などは、五十嵐さんにも指摘されていた。
  • ジン・ヨハネス;海外仕込みの彼は一番「場慣れ」していて、今回のムードメーカーのようでもあった。しかし自分の事へは必要以上に語らず、少し物足りない(時間のこともあってか)。プレゼは4分間のBGM付きスライドショーにあわせてDJのように語っていた。うねったスチールの家具が印象深い。
  • すわ製作所;いい意味で、つくり手の不器用さそのもので、一番口べたな感じ。味がありそうだが、そんなキャラも出せずじまいか。他のメンバーの方も来ていて、等身大的な語りがあったように思う。
  • 松川昌平;一人なのにスタジオと称する彼は、例のワインバーについて語る。その流ちょうなしゃべりは、西沢大良さんにも「営業的」とつっこまれるほど。結果的には彼が一番「祭り上げ」られることになった。それほどに時代的だという印象が大きいのだろう。
  • 田中浩也;松川氏と仲のよい彼も、ソフトウェア開発までしてしまうPC使い。講師的なしゃべりは、長年の大学生活、ワークショップなどの経験からだろうか。ジン氏から、松川氏とあわせて「メディア派」と括られ、それに対しては拒否反応を示していた。フラードームを追求しているという側面も説明されていた。
  • 藤本壮介;今回のメンバーのなかでは一番落ち着いて見え、プレゼ内容も従来の建築家スタイルの流れにのる彼は、千葉さんはじめ、上世代に最も理解されているようだ。特に宮本佳明さんは熱い視線を寄せていた。しかしその真っ当さが、あまり発言につながらないという結果を生んでいたが、もっと話を聞いてみたい気もした。

さて、こういった建築パネラーにおける議論の流れは、最終的にモノ作りに対する独自の意見表明となっていくのだが、まだ実作の少ない彼らは、観念や理念によって本題から迂回していくようなそぶりともなった。あるいはそれは本位でないのかも知れないが、世代的な特長としてこのような場面ではまず取っ掛かりとされるものが「ネットワーク」であったのも、抽象さが出てしまう要因だったように思う。

しかしこれは「建築講演のシキタリ」とも言える、モノにたいする「語りようの特異さ」をも示しているようであった。具体的なデザインや事象に対して、より実質的に「言葉で」語ること、それも「建築的言語」に基づいてそれを示すのは独特なセレモニーではないか。内面的な問題から社会性のあるものとが同列に語られる、混同との狭間でそれは成立しているように見える。

きっと彼らも各々の場ではそのような「語り」を培っているのかもしれないが、何年も経験を積んだ上世代を前に、「モノそのもの」を語ることは勇気の要ることではないだろうか。遅れてきた北山恒さんが、最後に感想を求められ、「僕らが若いときは、いかに自分をアイデンティファイさせるかに必死だった」と言われていたが、モノから迂回するメディア派(あえて使用させてもらえば)は、そのことによってアイデンティファイしていたように思える。

松川氏、田中氏共に、「解決型」から「提案型」へと建築家の職能を拡張し、若手自ら仕事を獲得していく道筋を述べていたが、実際にかつての「野武士以降」しかり、ゲリラ的にのし上がっていくという文脈は今までも常に語られてきたことではないだろうか。手段としてメディアが切り口になるのであれば、むしろその可能性を引き出したいと思うのは会場にもあったと思う。そのときモノを括弧にいれた語りが建築講演においてどのようなリアルを獲得していくのか、そんな意味でも興味のあるメンバーだったと思う。

休憩を挟んで後半がはじまると、僕の脇にイスが出され、一人の女性が座って来た。なにやら独特な空気をもつ彼女は、最後にマイクが回ってきて今回の誌面にも登場する乾久美子さんだと分かった。マイペースなしゃべりを聞いていると、プチ妹島という印象をもってしまった。女性だからというだけで結びつけている訳ではなく、ペースにどっしりとしたねばり強さのようなものを感じたからだ。

不完全燃焼だったこの議論は、今後建築文化のWebサイトで続きがあるようだが、今日の空気とは違ったものになるだろう。やはり活字では得られない場の強さ、ライブ感はメディア派時代にこそ、しつこく展開されるべきではないだろうか。恐らく作り手の語りとは、入念に練られた論文よりも、その場の空気から感覚的に発せられるほうが理にかなっているように思えるので。そして「場」の空気をつかみ「その時」を盛り上げるというエンターテイメント性も、益々求められる職能のひとつだと思った。2003-07-19/k.m

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  • 321>う。こんなシンポジウムがあったんですね。で、タイトルであるその「ポテンシャル」については議論されたんでしょうか?SIZE(10){2003-07-20 (日) 02:02:10}
  • 321>改行しようとしたら投稿になってしまいました…。そういえば昇平さんは私の同級生のお兄さんなので、彼がまだ学生のころにおうちに遊びにいったことがあって、いっしょに「みんなのゴルフ」したんですけど、そのときにコースの背景のCGのできのよさに関心していたのを覚えています。「メディア派」ねぇ…。SIZE(10){2003-07-20 (日) 02:06:18}
  • k.m>「ポテンシャル」という意味では・・。上世代の方はやはりU-35の方が実作が少ないなりに、例えばCAD化によって直ぐに製図技術がマスター出来るというような表現に向かう技術的な短縮が、一方で道具としてのそれらが概念・思考に与える影響としてどうカタチにフィードバックされているのか、というあたりを聞きたそうで、会場もそんな雰囲気だったと思いますが、いかんせん時間切れという感じです。SIZE(10){2003-07-22 (火) 00:04:29}


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