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カンバセイション・ピース




  • 著者:保坂和志
  • 本体価格:\1,800
  • 出版:新潮社
  • 発行年月:2003.7


何故か保坂さんの小説を読んでも本の感想は書けない。

久しぶりに保坂さんの小説を読んだ。実はまだ3,4冊程度しか読んでいなくって、半分も手にしていない。それでいて、そんなでもないのは微妙な距離感で、読んでいるときはとても楽しく他の作品にも興味を持つのだが、それなりに疲労もしていて、読み終わることで得られるある種の達成感と引き替えに、読み進む興味を失ってしまっているようだ。

それでも本屋で時折手にすることもあって、パラパラとしてみる。しかし一度失ったものはなかなか戻らなくって、結局新作という別種の動機付けを必要とするのだった。それは読むのが遅いためにあの、のんびりとしたテンポにはまりすぎてしまうからなのかも知れないし、この小説そのものの中に、哲学が入り込んだようなねばり強い印象を受け身構えてしまうからなのかも知れない。なにしろ小説の中で会話が続く内に、会話そのものを問うような、そしてそれを読んでいるこちら側の見方自体を問われているような、なんとも油断のならない状況に追いつめらるのだから。

既に多くの人がやっているように、webを通じて僕は読んだ小説の感想みたいなものを、直後か数日の内にノートするのだけれど、読んだそばから内容のほとんどを忘れ、それでも本を閉じた直後にはまだ自分でもワクワクするような思いで考えを巡らせるのだが、数日後にノートする時はその思考の形跡すらもなく、本から与えられる漠然としたイメージのみを頼りに書く。

だから、あらすじを要約したような事も書けず、かといって本の魅力が伝わるようなエッセンスを目指すでもなく、だたただイメージの残骸を形作っているだけの不毛な作業なのだ。それでもこうしてキーボードを叩くことと、そこから生まれる字面を眺めていることで出てくるなにかがあって、それは時間的にも、この本を読んだことが少なからず影響しているのだろう。

特に作家の文体と言うか受け取られる雰囲気への影響からか、僕の中での保坂さん的な思考をなぞりながら書いているようにも思える。だとすればこのノートは、ある作品から影響された思考形式を、その影響が及んでいる範囲で、日記的に再現したものと見ることも出来そうだ。

読んでいく内に気になったページを折る癖があるが、ほとんどの本を読み返さないために、あまり役に立っていない。むしろその時少しでも印象を深めようとするために折るという行為をしているのだろう。たまに折ったページを引用して感想を書こうとしても、まったくちぐはぐな感じになってしまう。それはこの小説の中で主人公が言う「むずかしい場所に踏ん張って考える」という事からも遠ざかっているように思う。

この小説は重層的な感覚で話が続き、本当に重たいと感じることもあって、会話が作る軽やかさに救われながらなんとか読んでいける。けれど会話と主人公の独白的な部分とは、あまり境もなく、難しい所へあえて進んでいく姿勢が常にある。それでも眠くなるほど難しくないのは日常的であるからで、その事は、小説はどこにあって、哲学はどのように存在してというようなことが、普段の生活のなかに隠れていることを発見させるのだ。

だからこの先、こうしてノートを書いているときに出てくる感覚よりも、電車を降りた時の気怠さや、シャワーを浴びた時の爽快さの中にはいっているものへ、かすかに感じることなどを結びつけながら、断片的にこの小説を思い浮かべることをきっと楽しむのだろう。2003-08-11/k.m

コメントをぜひ

  • k.m>保坂和志さんの、小説を書くという冒険。:http://www.1101.com/hosaka/SIZE(10){2003-08-13 (水) 17:21:57}
  • クロダ>こんなの(作家に聞こう):http://book.asahi.com/authors/を発見。この小説を読むと日本のプロ野球を応援チームのホーム側外野スタンドで観戦する歓びが伝わってきますね。私にとってはそういう小説でした。こうした歓びを一般化してしまうと、とてもつまらないことになってしまうわけで(代償行為だ、とかね)、かといってまったく一般化してないわけじゃないんだけど(ファンというものは、とか言ってるし)、このへんの線引きの位置が、たぶん私にとってしっくりくる部分が大きいので心地よいのかもしれないなあ、と(読後しばらくしてから)思いました。でも、違うかも。まあいいや。SIZE(10){2003-08-15 (金) 11:47:08}
  • jun>クロダさんのおっしゃてる点が、「偽日記」でも問題にされていました ●:http://www008.upp.so-net.ne.jp/wildlife/yorinuki-c.s.o.a.h.c.html#Anchor321975SIZE(10){2003-08-15 (金) 21:01:15}
  • k.m>カンバセイション・ピースの中では 「鴨居」と「私」のあいだの空間を見て、抽象さが具体性のなかからある手続きを介在させることだけでなく、直接感じとることもありえるのでは そんな考えを巡らしている所が好きです。このように具体的に思い出せないもの「ばかり」なんだけど、どこか本を開くとすぐに「たどり着ける」箇所で、つまりほとんどの部分がそのように出来上がっていますよね。驚くことにそれらほとんどが、新しい考えの発見を持っていて、こんなに盛りだくさんでいいのだろうかって思いますよホント。SIZE(10){2003-08-16 (土) 00:14:18}
  • jun>『新潮』9月号に出ている、高橋源一郎×保坂和志対談「タイムマシンとしての小説」も高橋さんが(わたしたちと同じように)楽しみ・考えながら読み込んで対話相手をつとめているのでお勧めです。SIZE(10){2003-08-16 (土) 00:32:11}
  • jun>あー、権藤さんってこんな風にも思われている監督だったんだーとか分かるのもスゴイ気がします。SIZE(10){2003-08-16 (土) 00:48:30}
  • k.m>僕はハッキリ言って野球はあまり興味ないのですが、あの観戦の所を読んで、見に行きたくなりました。わずかな記憶として2軍の試合を見に行った(中学のころ)時のことを思い浮かべました。なぜかTV中継ではなくて、中学の時の記憶なんですよねー。考えの連鎖が、いわゆる一般的な小説の描写に取って代わるモノ。それが保坂さんなんでしょうかー。SIZE(10){2003-08-16 (土) 00:55:46}
  • クロダ>最後の年の権藤監督は非道かった。やる気がないのと放任は紙一重だけど、うまくいってないのに手を打たないのは、大人げない意固地さを感じました。(別にベイスターズファンじゃないけど一時期は全チームのレギュラーとローテーション投手はほぼ把握してるくらいのプロ野球好きだった時期があったりします。)SIZE(10){2003-08-16 (土) 20:16:31}
  • クロダ>「偽日記」の人は、これだけ言葉で説明できるのはすごいですね。ただ、この小説で披瀝されているベイスターズ豆知識はそんな特殊でマニアックな知識とは思えなくて、外野スタンドでユニホーム着て応援する人なら、誰でもこんなかんじじゃないかなーと思いながら、私はこの本を読んでましたが(笑)。SIZE(10){2003-08-16 (土) 20:21:00}
  • k.m>球場の話(クロダさん詳しいんですね!)と、猫の話以外の所では、共同体の話というのも気になります。吉田修一や角田光代など、ゆるい共同体意識のようなものを描いた小説のおおもととしても保坂さんは位置づけられているように思いますが、今回の大きな家に集まる人たちも、家族とも友人ともつかない、不思議な関係のようで、どうして小説の中ではこのようなつながりが繰り返し描かれるのか、そしてそれは魅力的なんだろうか。紹介されていた新潮の対談(今日立ち読み)でも、保坂さんは小説は本当のことを本当に言うためにやるんだみたいなことを言っていて、フィクションはそのためにあるとか、評論ではそれが出来ないとか言っていますが、このこととゆるい共同体を描くことはどうつながっているのなろう。ひとつは、色んな人がいて、時間にとらわれずに色んな話を繰り返し行えて、色んな考えが出てくる状況。もうひとつは、色んな考えが、色んな形のままで、まとめられずに進んでいくことの出来る関係。など?。SIZE(10){2003-08-16 (土) 23:33:29}
  • k.m>日曜日のBSでやっている「週間ブックレビュー」に保坂さん出ていました。勢いよくしゃべるおじさんなんですねぇ。かなり押していました「売れてます!」って。司会の藤沢周さんが、意外とサラリーマン風にキビキビ話す。しかもちょっとあれっぽいし・・。SIZE(10){2003-09-09 (火) 22:56:19}
  • クロダ>「横浜 松原氏の来季入団認める 」(報知新聞)だそうです。カンバセイション・ピースでも出てきた松原です。http://www.yomiuri.co.jp/hochi/baseball/sep/o20030909_80.htm
SIZE(10){2003-09-12 (金) 14:31:00}
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