※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

今までに取り上げた写真関連リスト


写真-覚書


2013-07-16


片山博文「Facts in Flatness 」■アンドレアス・グルスキーが写真をデジタル加工し、コンセプチュアル性を高めているのに対し、彼は写真をパソコンに取り込み、イメージを数値へと変換させ、 写真の姿を借りたコンピューターグラフィックス=「偽物の写真」を作り出します。これ、ベクトルデータなので、いくらでも劣化しないで拡大出来ます。題材は駅の構内やオフィスビルの階段、街中の雑踏など都市のディテール。森山大道が街の匂いまで伝わってくるようなモノクロ写真を撮りつつも、「うすっぺらい」、「スキャン」というキーワードで近年デジタルカラー写真を多く発表していますが、その「軽さ」をさらに漂白し、匿名化を押し進めた作品です。完全に偽物なのに、はるかに既視感をもって鋭く迫ってくる様は、フィクションでこそリアルを切実に描いてしまう伊藤計劃のSF世界のようです。

2013-07-15



アンドレアス・グルスキー展■増田さんのレクチャーを聞いて、結構フォトショップで加工しているのだと知り、その後展示を見て写真における印象派かと。彼の見た現実に響く「コンセプト」を肉付けし、不要なものを省き、その作業がレタッチ。衝撃の根拠は未だ残る真実性で、本物が暴走した錯覚を与える。報道写真を疑わないように、真実性を装う写真を僕らは疑わない。2層が4層へ、3スパンが9スパンになることで世界は「超」資本主義として現前し、過剰さをドライブする狂気に共鳴させるため、画像は大きく高繊細となり、技術力に高められた画面へ没入する鑑賞者を注意する警告音が、そこらじゅうで鳴り響いていた。このため図録は全く迫力に欠け、オリジナルプリントを案内するアイコンでしかないと思った。

2013-06-12

ほとんどの人が日常的に見ているつもりな像が、フィクションのように見えてしまう「現実感」を違和感とともに伝えてくるのが写真

2013-05-05

志賀理江子の『螺旋海岸 notebook』をドトールで読んでいたら、なんか泣きそうになってきた。一見ホラー写真みたいなんだけど、ぐっと引き込まれた鑑賞体験と写真集での追体験と、著書による北釜おじいちゃん、おばあちゃん達との撮影に関するエピソードの語りと、写真家がイメージに向き合う真摯さと、その表徴が醸し出す乖離への驚愕、それら全体の「大きさ」へ圧倒されて、、。

2013-04-24

映画論は映画を見ている時とは違うカタルシスがあり、写真論は写真を見ていた時の感情を揺さぶられ、演劇論は共時性という身体感覚を脳内に覚醒させる

2013-04-08

マリオ・ジャコメッリ写真展での大竹昭子さんと鈴木芳雄さんのトークで、刹那的時間の中へ生の躍動感を覚えて写真という行為を続けたジャコメッリの姿とも重なった。現実をそのまま写す機械によって、時間や記憶を保存するというイメージ概念へ昇華させる写真家、遠く離れた存在と自分との間へ普遍的な繋がりを認める瞬間の歓喜を表現した芝居のクライマックス、どれも現代的な困難を受け止めつつ、生きてることの奇跡を発見せずにはいられない人間の性を描いていると

2013-03-28

アーティスト・ファイルでは志賀理江子の写真が圧倒的で、しばらくぼーっと見てしまいました。トレース・エレメンツ、新進作家展、木村伊兵衛展と見ました。最近は心霊写真のようだと話題にもなっていますが(ごく一部で)、写真のチカラすごい出ていて、ベーコン展にもつながる感じがします。

2013-03-06

野村は、不思議な立ち位置にいる。荒木の弟子としての顔と、自分の作品と撮る写真家としての顔。その二つを同時に持っている写真家は、私が知る限り日本にほかに存在しない。さらに荒木の弟子を務めて、もうじき丸十九年がたつ。一方で、これまでに写真を10冊以上出版し、写真展も途切れなく行っている。さらに言えば、女性で男性のヌードを撮る数少ない日本の写真家でsる。つまりほかに類をみないタイプの写真家といえる。(写真と生活:小林紀晴)

2013-02-01

DOMANI・明日展で一番印象的だった橋爪彩の作品は、勝手な想像だけど実際のモデルを使った写真表現として追及したカットを、写実的な描写力で描き切ったのだと思った。例えば写真を再現描写したゲルハルト・リヒターの作品(「モーターボート 」など)は、描くことで写真につきまとう意味の剥奪を行いつつ、ハケムラの美しさが共鳴した表現だと思うけど、橋爪彩の作品は写真表現によって既に意味から自由になれる現在のアート状況を逆手にとって、再度絵画的な構図を写実的に描くことで少女の肢体を生々しくクローズアップし、形式的な美しさへ批評性を感じさせる作品になっていると。

2013-01-15

たとえば写真家が「意味の世界」へがんじがらめの日常へ「モノ自体」を提示してくれるように、現代アーティストは僕らの生活を成り立たせている様々なルール外へ出ていくことで、もう一つの「あったかもしれない」日常を垣間見せてくれる。

2012-12-22

写真美術館『この世界とわたしのどこか』にて田口和奈の写真にぐっと来て、ヒルサイドフォーラムの『新津保 建秀』はちょっと期待外れで、プロジェクションマッピングは面白いけどパチンコ屋にも見えてきて近所の蕎麦屋で飲んで帰るのでした。

2012-12-11

綿矢りさ『夢を与える』■綿矢りさを読むのは久しぶりで、たぶん3回目程度で、そんなに興味もなかったのだけれど、家にあったしタイトルにもちょっと惹かれたので読んでみた。俗っぽい出だしは軽いのだけど、すぐに記録写真のような文体になり、そこにあったことをただ書き連ねていく感じで。

2012-12-10

昼から夜へ移ろう時間帯に自然光と人工照明が混じり合う光景をリバーサルフィリムで撮影し、フィルムに生じる色のずれを意図的に生じさせることで、強烈な色彩を持つ独創的な作品となっている、ルイス・ブラガや、1978年生まれのジョアン・カスティーリョの旋風(写真)など、資生堂ギャラリーで行われている、「神話のことば ブラジル現代写真展」は素晴らしい!。12月23日(日)まで。資生堂初代社長の福原信三さんは写真家でもあったのですねー。世界最大の日系人居住地として約150万人の日系人が生活しているブラジル、あー行きたいなー。

2012-09-09

ヒカリエにてライアン・マッギンレー個展。傷だらけの裸、砂漠を駆ける裸、狭い浴槽へぎゅうぎゅうの裸、どれも生々しいヌード写真ではなく、はかない刹那を捉えた幻のように美しく痛々しく、アメリカのアートシーンで受けそうな、同時代として悔しいほどカッコ良い作品だと思う。清澄も行かないと!。

2012-08-20

『幼少の帝国 成熟を拒否する日本人』阿部和重著■この本もまた3.11を挟んで書かれその動揺を隠さずにいられないことが前後の変化でハッキリと分かり、書籍としての一貫性など捨ててしまったようですらあって、その事が震災当時の臨場感として自分の中にも蘇って来た。昨日の情熱大陸でもノンフィクション作家が取り上げられていたけど、阿部和重のあとがきにもあるように、ノンフィクションという形式には、新たなフィクションの可能性がまたまだ埋蔵されているのだろう、ノンフィクション界で新世代の旗手、石井光太がTVで熱く語り仕事へのめり込んでいる姿にも感じたけど、フィクションが現実を鋭くあぶり出すように、ノンフィクションにこそ、物語を投影する余地が多く、それはまるで写真の魅力と同じベクトルにあるのではないかと、。

2012-08-13

ヒカリエでの企画展「517-529」浅田政志さんの写真は、ちょっと泣きそうなくらい素晴らしかった。

2012-08-06

ブックファーストでようやく普後均の写真集「ON THE CIRCLE」と、パトリック・ツァイ「MODERN TIMES」を見ることが出来て、私には普後均はコンセプチュアルすぎまして、パトリック・ツァイのみ購入しました。路上スナップにはシャッターチャンスという「神」があってそれを捉えるために歩きまわることと、それを逃さないで踏み込む図太さによるんだと思うけど、、もはやパトリック・ツァイの写真集に励まされることは「写真」に限らないです。

2012-07-31

生きて呼吸しているあいだ、わたしたちは目の前にある現実を追うだけではなく、すでに起きたことの記憶や、それをもとに加工した虚構や、まだ起きていないことのへの想像や妄想などが複雑に錯綜した時空間を行き来しているのだ、大竹昭子さんの普後均・写真集への批評、東京プリズンにも当てはまると、

2012-06-23

竹橋近代美術館での、写真の現在が素晴らしかった。図録を買ったら、前回はもう6年も前だった。恵比寿の写真美術館も好きだけど、ここの写真展がやはり一番ヒットが多いと思う。

2012-06-17

東京都写真美術館で川内倫子展を見て阿蘇の大草原を守る「野焼き」へとても興味が出て実際に見たくなって、8000人もの人手を要し火の温度は800℃近く、延焼速度は毎分180mなどで、草原の害虫が駆除され、健全な放牧が守られ山火事も防ぐとか、ほかにも宮崎県で天地の神々を奉る行事、「夜神楽」の夜通し踊る光の帯とか、日本の風土・文化を独自の映像スタイルで再現前させるジャーナリズムの感覚は広く写真家にあると思う(いや、ジャーナリズム自体が写真家的欲求の一面にすぎないのかも)、その中へさらに同時代の感覚が反映されているから面白い。

2012-06-15

アメリカで生活している友人の写真が素晴らしくて、なんか励まされたw

2012-05-28

トーマス・デマンドは撮影された現実の事件を紙で精巧に製作して、展示せずに写真へ撮る。裏返された現実は「作られたモノ」として再度あらわれる。写真はありのままの真実を伝えるっていうリアリズムを逆手に取った考えだとすれば、リアル感を煽るほどその皮肉さも強調されるという感じでしょうか。

2012-05-10

森山大道、10月にテート・モダンにて写真家ウィリアム・クラインとの展覧会を開催かー、、、見たいなー、ロンドン、もう10年以上行っていないなー。

2012-05-07

写真家・石元泰博は桂離宮の第一印象をミースのレイクショアドライブ・アパートメントのようだと言っていたように、彼の切り落とした構図によって確かに桂離宮はモダニズム建築へと生まれ変わっている。ただ、あまりにも没入した切り落としによって水平と垂直ラインが含まれたギリギリの写真も多い。もはや建築でも素材でもなく、なにかテクスチャーが構成した幾何学的美学をそこへ発見したと言わんばかりの写真だ。余計なものを排除し対象それ自体の姿を現前させるモダニズム写真の手法をとりつつ、切り取った姿はあまりにも造形的に見えてしまう。きっと石元さんもその点を省みていたのではないか。写真家は反省を繰り返すことを宿命としているのだから。とはいえ緊張感みなぎる構図ばかりではなくパースペクティブと陰影の効いた叙情的なカットや、微妙に違うアングルで何度も捉えているカットなど、対象へのエネルギーへ圧倒された。(石元泰博写真展 桂離宮)

2012-05-01

都バスの最後部へ座って写真を撮りまくったりするのでw、ニコンサロンの第31回土門拳賞・高梨豊さんの路線バスから撮影した「SILVER PASSIN’」はとても面白い。09年・国立近代美術館での個展もよかったけど、一瞬で捉えるスナップにおける構図の選定が大変練られている。

2012-05-01

リコーの写真展「マグナム・コンタクトシート」も良い。何が選ばれたかという写真家の思考がみられるもの楽しいし歴史的な写真がまとまっているのも良くって、大きな写真集が15000円というのに驚いた(買わないけど)。版権が切れているからだろうか。

2012-05-01

恵比寿・リムアートの展示が面白かった。ポートレイトを3分間300枚の連写で撮影し、重なった300枚を等高線のようにカットし(建築でつくるコンタモケイのよう)、モデルの微妙な「動き」がズレとして表現されるという、見てみないと分からないかなw。

2012-04-30

土曜日ナディッフでの佐内正史・ラレー展トークショーは、さすがに見たこともないくらいの大人数だったけれど、佐内さんのゆるい話しっぷりになんか感動すら覚えた、写真家として生きていくことの、、川本真琴が後半から参加して、最後に3曲歌ったけど、事前の調整が良くなくてぐだぐだな感じで、最後の曲は佐内さんがポエットリーディングして川本さんが歌うみないに妙な空気になって突然終わった。カレーの写真を前に「ライスの皿がカレーのとせっている感じ、この部分がよくて」みたいに独り言のようなくだりがだらだらと続いて、シャッターを押しているときは何も考えないけれど、写真集が出来上がった後に考えるという下りがとても興味深かった。編集を嫌う佐内さんは、プリントした順で本にするようで、構成的になることを避けるのだという、恣意性を排除する、それ自体も作家の恣意性なんだと思うけど、作り手特有の意識だと共感。

2012-04-23

最近ようやく日常を取り戻しつつあって放り投げていた小説も読んだりしてミエヴィルの『都市と都市』。地理的にほぼ同じ位置を占めるモザイク状に組み合わさったふたつの都市国家という設定は常に抽象的な思考実験の中を歩かされているようなストレスを感じ、さらに不条理で先の見えないカフカっぽさへ通じイライラしながら楽しむ小説だけれど、全体が警察小説の緊張感に満ちているので飽きずに最後まで行けて、お互いを「見ない」ようにして生きることを国家的に強いている想像を超えた息苦しさはどうにも現実の世界をそこへ補うように投影してしまい、実際には良く知らないイスラエルとパレスチナ、コソボのセルビアとアルバニアの困難などを感じたような気になってしまうのは、フィクションを通じてしかある種のリアルに通じ得ない高度情報化の薄っぺらい世界共時性の中を生きているからか。

2012-04-23

どこにでもある風景が、そのような「どこにでもある」ように見えない写真の世界。トタン屋根の水平ラインと、汚れたブロック塀の水平ラインと駐車スペースを示すラインすべてがきれいにパースペクティブを描いているとか、曇った空の下で中和されつつも陰影の深い像がじわじわと心へ定着していく時間を感じられるとか、普段見ているのは「どこにでもある」という意味であって、トタンそのものを見ることは一切なかったことを、北島敬三の『ISOLATED PLACES』という作品は教えてくれます。

2012-04-18

広尾の現場帰りに近くのナディッフで 佐内正史のラレーを見てきた。カレーとラーメンの写真がずらり、かなり辛そうなカレー、ぎっとりなラーメン。時間がなかったのでデカイ写真集をじっくり見られなかった、残念。

2012-04-15

社会生活というのはすべての時間に意味を与えていくわけで、その意味の世界に組み込まれていれば、いくら街を歩いていてもなにも見えない。無意味な時間が必要です。(大竹昭子)写真によって無意味に対峙する瞬間があって、それは自分の経験としても、人の写真でも同じように衝撃的です。

2012-03-20

ヘレン・ファン・ミーネ 、植田正治、荒木経惟 、新井 卓、細江英公、堀野正雄、川久保ジョイ、上田義彦 、ERIC 「Look At This People」、柴田祥子、中西 祐介 、中野正貴 、ジム・オコネル、、今の仕事が終わりしだい駆け込みたい写真展を妄想した、

2012-03-18

写真に救われるってことはその写真がとらえる日常があまりにもトリミングされていることで補おうとする想像力が一瞬にして捉えるリアル感をごまかすようにその陰影へ心を止めようとするロマンチシズムによるのでしょうか

2012-02-06

昨年、東京国立近代美術館の常設展で石元泰博さんの桂離宮を改めてみました。それ自体アンシンメトリな均衡関係へ簡素性が結びついた構成美を実現した桂離宮を、石元さんの写真はさらに大胆に切り取り、モンドリアンの抽象画を超えたミニマリズムで、その緊張感はすかったです、、、。

2012-01-08

年末に京都へ行くと、お寺には真っ赤な紅葉時期のドラマチックな写真が並んでいて、けれど枯れた樹木と対比的なグリーンの苔はむしろ鮮やかで、適度な空き具合と寒さの合わせて、趣があるのだと思いました

2012-01-03

姉が席を外している間に祖母の家から見つけた私と姉の小さい頃の写真を母が出してきて、余りにも不機嫌な顔をしている姉の写真を義理の兄(年下)が面白がってからかったので「もっとマシな写真だしてよ!」」と本気で怒る姉を見て和む私、とか(お正月の風景)。

2011-11-27

カメラやレンズを新しく買いたい、そうやって機能性の更新へ頼っていてはいつまでたってもいい写真が撮れないのだと自分へ言い聞かせてるけどw、実際使うほどに発見が多いのは事実。今日も色々と発見した。


2011-11-03-日写真展三昧


今日は1日写真展三昧、、畠山直哉展、写真新世紀 東京展 2011、朝海陽子展、春木麻衣子 + 狩野哲郎 + 三嶋安住 「自由について」などなど、、もうクリスマスツリーなんですねー、、

今年の写真新世紀は、良くも悪くも「上手い」作品が多かったように思います。畠山さんの展示で疲れてしまって、あまり集中してみれませんでしたけどw。不器用だけどゴリ押し、というよりもスマートでスタイリッシュなものが多く、畠山さんの力強さを逆に感じました。

昨年グランプリの佐藤華連さんの新作はあまり面白くなかったです、、。やはり無心になって向かっている時期に対して、オファーへ答える作品のせいかスランプなんではないかとw。勝手な印象ですけど、写真家を続けることの難しさを感じました。

ナディッフアパート3Fの「自由について」は面白かったです。視点を意識させる構図とそれをずらしていく展開など。ただココの3Fって何時も営業しているのか分からない中途半端な状態で、、、なんなのでしょうか。

朝海陽子さんは今とても注目の写真家ですが、彼女のランドスケープ作品には畠山さんに近いものを感じました。

「sight」という写真集では、室内でくつろぎながら映画を見ている人物のポートレイトへ対象となる映画自体が明かされないために、演出的なポートレイトから没入させる写真へと動的に変化していくのが見ていて感じられます。

ランドスケープ作品にはそういった動的な印象は感じられませんが、演出的な絵葉書とは違う、光や風を定着させる力強い写真家の意思のようなものへ、見る側を誘導する感じは畠山さんに近いと思いました。

2011-10-15

BLDにて、柴田敏雄さんの写真がさらに進化していて感動、ホンマタカシよりはるかに現代アートだと思う。

2011-10-10

ソフィア・コッポラ『SOMEWHERE』の映像は、長島有里枝の写真集『SWISS』に似ていると思った。それは人と触れ合い感じあうままに生きることで抑えきれない孤独を感じる表現者ならではの視点というか。見ることによって、起こり得る他者との関係性。

2011-09-26

土曜日は代官山でSDレビュー(もう30回目!)→広尾の1223現代絵画で長島有里枝写真展→恵比寿のMA2 Galleryにて和田みつひと展→ナディッフ アパートにて高松次郎展と原久路展、後半の3つは歩いて廻れます。和田みつひと展よかった。

2011-09-25

土曜日、たまたま恵比寿のナディッフでやっていた写真家・原久路さんの個展へ行ったらナツミさん (よわよわカメラウーマン)を見かけた!

2011-09-19

笑った表情のない被写体が1.5m角程度の大きな写真で密度高く並んだ展示。表情はとてもクローズアップされている。けれどみな神経症的な表情ばかり。白い空間へ浮かぶそれらは緊張感を持ちすぎてもいる。憂鬱な表情だけれど報道写真のような事件現場ではなく、ごくありふれた都市的日常の一部ばかり。それらはニューヨーク、ロンドン、マドリッド、モスクワ、イスタンブール、東京など、近年テロ事件の起きた世界各地の都市を訪ね、ストリートスナップの手法で撮影された写真とのこと。ほとんどの人が日常的に浮かべている表情が、逆にフィクションのように見えてしまうこの現実感を、違和感とともに同時代性として与える写真展は、アートのジャーナリズム的側面なんでしょうか、、。レオ・ルビンファイン 「傷ついた街」、東京国立近代美術館。

2011-07-30

今日も渋谷川を激写してしまった。写真好きの聖地だと勝手に思っているw。

2011-07-27

(1)「ありえたかもしれない私が/ここに生きている/あるいは/私を通り越した何者かが/先にその生を生きているのかもしれない。」 荒木時彦の「letter」という詩の冒頭。この感覚は写真に近いのではないか。(大竹昭子)両者を見て、自己言及を行い続けているのは、小説や詩だけではなく、写真にも言えることだと思った。写真家とは、まさにその狂気な作業の繰り返しを生きている人。


2010-03-22-北野謙個展「溶游する都市」


ヴィレム・フルッサーは現代社会を、写真に代表されるテクノ画像の受容者とその生産者とによる、プログラミングされた全体主義的な社会であると見ている。写真は支配的なコードとなって見る側の観点を限定しすぎてしまうのだ。偶像崇拝、テクスト信仰、広告媒体、、、。

しかし写真装置がおこなう具象化に盲目的に従うのではなく、被写体をシンボル化し、純粋な情報として画面上にデザインする「新しい可能性の提示」を成し遂げるのが写真家であるという。北野謙個展「溶游する都市」には、そんな写真家の挑戦するゲームを見る気分か。


2009-07-03-写真論×2



■写真空間3 /特集 レクチャー写真論!

  • 第1章 ヴァルター・ベンヤミン
  • 第2章 ロラン・バルト
  • 第3章 アンドレ・バザンからケンドール・ウォルトンへ
  • 第4章 ヴィレム・フルッサー
  • 第5章 ジョン・シャーカフスキー
  • 第6章 スーザン・ソンタグ
  • 第7章 ロザリンド・クラウス
  • 第8章 アラン・セクーラ
  • 第9章 ジェフリー・バッチェンと「写真への欲望」

この雑誌、毎回購入しているけれど、やっと読みはじめた。しかも最新号から。今回は有名な写真論の解説集。読んだものもあるし、読んでないものもあるけれど、すべてにおいて衝撃的。MOMAのジョン・シャーカフスキーが現代写真の批評軸をつくったところが写真論の大きな転換期となっているのか、とか。ヴィレム・フルッサーの本はとても個性的で、写真家を特別な存在として定義している点も面白い、など。後半は難しくてよく分からなかった。写真論には常に「写ってしまった現実」や、「リアルとは」の話が登場する。モノ自体に向き合う態度を考察する、まるで禅・思想のようにストイックだ。


■日々是写真 /清水穣 著

マイケル・フリードのアブソープションとシアトリカリティ―という概念を使って、モダニズム写真から、ポストモダンへの動きを解き明かす清水さんの写真論。とっても刺激的。彼の著作はどれもキレ味がスゴくって、あまり理解できていないかも知れないが、その鋭利さが読んでいて面白い。

  • 眼と被写体 柳宗悦・青山二郎・土門拳

などは、「スナップ写真」と「民芸」を対比。モデニズム写真のディスクールへ民芸理論は反映出来る、とした野心作。これ自体が芸術のように創造的な批評だと思う。

2009-06-08-写真展×3


■張照堂 Chang,Chao-Tang
Place M
台湾はやっぱり昔の日本のようだと思い見ていたら、1980年代の写真ばかりで、実際にも古い時代だった。けれどもう一歩昔の雰囲気がある。寺山修二・映画のように前衛的で懐かしい。カッコ良くて滑稽、哀愁があって痛々しい。


■「人間国宝」/岡正也
TOTEM POLE PHOTO GALLERY
ほんと、写真ギャラリーってへんな所にあるよな、の代表選手のような構え。ところで、新宿に集中しているのはなぜだろう。沖縄米軍基地の風景。集合写真が妙に迫力があってよかった。米兵と日本人女性の2ショットは、スナップなのか演出なのか微妙な距離感だと思った。


■ 「be above ground」/渡辺友規
ニコンサロン bis
野口里佳の写真家と思うような、限りなく白く焼いた写真。けれどその透明感と、現実への関与感みたいなものが、彼女と決定的に違うようにも。逆に彼の写真には現実が持ってしまう生々しさを排除していくことで得られるユートピアを感じた。それでも完全にフィクションとならない写真が面白い。

写真-覚書-2004-2005

2005-06-05-不在の眼差し


写真はその初めから人間を瞬間的に死の遺物として形象化し続けた。写真の出現は明らかにひとつの死であり、不在の眼差しの表明であった。(20世紀写真史:伊藤俊治) ●これは写真を「見る」ことでも、「撮る」ことでもあらわれる関係性のようなものらしい。自分を撮られた写真を見ることでより顕著にあらわれるのだ。死への眼差しに敏感になるというよりも、写真がそういった死そのものの観念をつくってしまったのではないか・・。などなど。

2005-06-03-身体感覚とでもいうべきもの

都市写真とは単なる都市を写した写真なのではなく、その撮影者がどのように都市と対峙し、いかに都市を通過したかという身体感覚とでもいうべきものの痕跡を明確に残してしまうのだ。(20世紀写真史:伊藤俊治) ●なるほどねー。無意識のあらわれという文脈で写真をみていくとなんでも出てしまうんだなー。恐ろしい。写真論が恐ろしい・・。

2005-05-29-木村伊兵衛写真賞の30年

amazon plugin Error : amazonから画像データを取得できませんでした。時間をおいて再度実行してください。また、image=(画像URL)パラメーターを利用することで、画像データを取得せず表示することができます。
時代を切り開くまなざし●開催期間 2005年04月23日(土)~2005年06月19日(日) 、会場 川崎市市民ミュージアム 企画展示室+ギャラリー●木村伊兵衛写真賞の30年軌跡。36人、400点!。すごいボリューム。しかも面白い。こうしてみるとこの賞がいかに時代を切り取ってきたかがよく分かる。会場は4ブロックに分かれていて、第4展示場ではじめてチケットを切られた。それはちょうどホンマタカシ以降90年代の写真家達で、出版されたカタログで飯沢耕太郎さんも書かれているようにそれまでの流れとは違った空気感があった。自分が特別興味をそそられるのもこの時代からの作品が多い。今日30年の軌跡をみてさらにその空気の差を感じ取ったように思う。それは表面的でもあり、根深いものでもありそうだ。それをはっきりできるまで、まだまだ興味は尽きない。

2005-05-24-写真美術館へようこそ


飯沢 耕太郎・講談社● 人間は謎であるとともに”驚異”でもあります。そのことをはっきりと感じたのはダイアン・アーバスの写真を見た時でした。 写ってしまった驚異として感じるこれらが、リアルにすくってしまえるそのクオリティーにあるのだとすれば、映画と変わらないはずだ。けれど写真はもっと生々しい。それは静止しているからだろう。この当たり前のことを「見る」という行為は何度も訴えかけてくる。写真は止まっているから、いくらでも想像を掻き立てるのだろう。逆に言えば、人間がその思考をいくらでも投影したい対象として、写真は止まっているのだろう。もうちょっと歴史的な流れから勉強になった一冊です。

2005-05-21-眼から眼へ


飯沢 耕太郎 (著)●いきなり写真論やらバルトやらを読んでみたけど、この本のように、もっと写真の楽しさを基本的な所から語ってくれるものも楽しい。そういうわけで飯沢さんのはもう少し読んでみよう。ここでは36もの写真展についてレビューが載っている。幾つかは聞いた事のある写真家だったけど、まだそんれほど興味のなかった時期(3年前くらい)の展示なのでどれも行っていない。いまだ写真そのものに直面したときよりも、書かれたものを読むほうが楽しい。これは映画やアートと比較しても、自分的には変わったアプローチかもしれない。

2005-05-15-写真の狂気

映し出された写真のなかへ自己を投影していく。なるほど人間は不思議な生き物だ。自分が撮影した写真の中へ意味を見出したくなるのだ。無意識の現前化。シュルレアリスト達が繰り返してきたその活動とは、普通に写真を撮る人たちにも共有されていく。裸の自分になって、対象へとぶつかっていく。その時何が写っているのか、それは言葉で表現できない「何か」なのか、だとすれば思考とは言語でされ得ないものなのか。かつて中平卓馬と森山大道がぶつかっていった言葉と写真の関係とは、投影を内面へ向けるのか、あるいはモノとしての対象へ向けるかの試練だったのだろうか。他者をかえしてのみ感じることのできる自分というモノは、写真という対象物を生産した本人によって分析の対象になったのだろう。自分を対象化し、分析すること。それは自覚的でなくとも繰り返し撮影し、確認することのなかに入り込んでしまうのだ。ある日突然、目の前にさらけだされた自分というモノ。その生産へ、耐え難さを覚えるのだろうか。

2005-05-15-飯沢耕太郎の個展

  • 写真評論家・飯沢耕太郎の個展/紙百科ギャラリー第14回企画展/2005年4月12日(火)~2005年6月18日(土)/飯沢耕太郎の写真評論活動を通して選ばれた/写真家の作品集18点を展示し解説。
  • ギャラリートーク /第1回5月14日(土)15:00~16:30/対談「60年代以降の日本の現代写真」/大竹昭子(文筆家)+飯沢耕太郎

文章のキレがすばらしく、きっと本人も強かな雰囲気を持っているのだとう、最近すっかりお気に入りの文筆家、大竹昭子さんを目当てに行きました。もちろん飯沢さんにも興味はあり、まだそれほど探っていない方なのでちょうどよい企画でした。結果は正解。とても楽しいトークで満足。

「眼の狩人」 /この著作についてたくさん話が聞けました。写真という行為にひそむ狂気性。その恐ろしさでなぜか盛り上がり、何人もの崩壊寸前、してしまった写真家のエピソード。大竹さん自身が写真に魅了され、スナップ写真にはまり、そして撮り続けていくことへの恐怖心の芽生えを語り、飯沢さんが同時に解説をくわえていくという展開。前の方に座っていて分からなかったのですが、終了して振り返ると、若い方がどっさり来ていました。いやー。皆さん、写真好きなんですねーw。

2005-05-15-楢橋朝子写真展


楢橋朝子写真展「half awake and half asleep in the water 04/05」ZEIT-FOTO SALON ●水辺の写真。というか半分もぐった感じ。通常のアイレベルで想定される海の画だと、中間あたりに水平線がある。けれどこの展示にある写真はほとんどが8:2、9:1くらいで「水」のほうが大きい。不安定な波に揺られながら泳いでいるようでもあり、溺れているようでもある。つまり風景写真という了解されたバランスを裏切っただけでなく、動的なものをむりやりおさえこんだ暴力性がある。水は景色を安定させるキャンバスではなくって、山とその周辺の街を「浮かべている」。そんな力強さでもってアピールしているのだ。

2005-05-13-明るい部屋


明るい部屋―写真についての覚書ロラン バルト (著),Roland Barthes (原著),花輪 光 (翻訳) )● ストゥディウムとプンクトゥムの関係(この後者が見出される場合)に、規則を定めることは不可能である。重要なのは、両者が共存するということであり、言えるのは、ただこれだけである。 うーむ。また厄介な言葉だ。シニファン、シニフィエみたくごちゃごちゃになりそうだ。とりあえずストゥディウムはコード化された、とか、常識的な志向かな・・。後者のほうがやっかいそうだ。 「ART IT」での大竹昭子・小崎哲哉の対談では、「グッと来る」写真ということだった。ベンヤミンのアウラとも違うかな・・。たとえば「追憶のロード・ムーヴィー」(エスクァイア マガジン)で、見開きいっぱいに「イージー・ライダー」の一場面が掲載されているのを見ていると、ピーター・フォンダの「あの」衝撃的なラストが、こんなに生々しい血の色と輝く緑の対比に満ちていたのかと驚く。これは映画では気づかなかった発見であるというよりも、写真そのものがもっているものだ。このあたりにプンクトゥムのヒントがありそうか・・w。

2005-05-11-写真論


スーザン・ソンタグ (著), 近藤 耕人 (翻訳) ● 写真術のためにおどんなお題目が並べられようと、それの主な効果は世界をデパートか壁のない美術館に変えてしまうことで、そこではあらゆる主題が消費物と堕すか、美的鑑賞の対象物に高められる。 これって、写真を受け止める側の心構えが、ある形に出来あがっていることを示しているのだろうか。どんな些細なことでもワイドショー化し、どんな事件でも矮小化してしまう。つまり、写真にすることで、すべてを一定のレベルに拡大・縮小して認識させる働きがあるということだろうか。レストランで食事をするときにデジカメでパチリ。車の衝突事故を目撃したらデジカメでパチリ。恐らく70年代にソンタグが言っていたようなことは、携帯やデジカメ世代の今、究極的に近い状態としてなぞられているのではないか・・。半分も理解できてないと思うけど、センテンスに含まれるものが今の世の中で焼きなおされるのを待っているかのように楽しい本です。

2005-05-04-ウナセラ・ディ・トーキョー


ウナセラ・ディ・トーキョー残像の東京物語1935~1992(世田谷美術館)●'''自分ではなにも説明できない写真は、推論、思索、空想へのつきることのない誘いである。(スーザン・ソンタグ) '''1935~1992年の東京が写真家の目を通して見られた。知っているところも、そうでない場所も。懐かしむ人、驚いている人。昔はとても元気があった。エネルギーを感じる人物がたくさん。都市というものが、たくさんの記憶の集積としてあるのだと実感した。写真とは、記憶のアーカイブとしても機能的だ。今はどうか。砧公園にはたくさんの人。必死で遊ぶ姿。

2005-05-03-MoMA巡回建築展


ニューヨーク近代美術館(MoMA)巡回建築展「谷口吉生のミュージアム」カラースキームパネル、実施図面、VTRなど資料豊富。谷口さんの路線で勝負しても一生かなわないだろう。けれど自分にも出来そうに見えてしまう。正攻法でいて、ものすごく知的な建築。槇文彦さんにも言えることだけど、決してプランが明快なカタチをしているわけではない。けれど空間から感じられるものはとても明快だ。必ず配置される入れ子のような吹き抜け。そこを何段にも横断するブリッジ。障子のように重なるカーテンウォール。今日もまた建築を続けることを元気づけられました。

2004-11-14-フィリップ・ガレル


「愛の誕生」を3回に分けてみた。ほとんど音楽のない映画だけど、時折入るピアノの音にやられました。

2004-11-14-ヴォルフガング・ティルマンス展


やっと行けた。とても良かったw。カタログを買った。カタログはお得だ。これだけの内容で、この値段だし。家でなんども見返した。大きさがやはり重要だ。あの大きさが。「泳ぎ出るもの」っていいタイトルだ。写真もいい。あれはとてもよい。ポートレイトと風景とミニマムなものとスケール感をずらした展示は、それ自体にこだわりを感じ、インスタレーションになっていることと、写真という枠にとらわれない彼のスタイルをよくあらわしていると思った。

2004-10-13-現代写真集=青木淳作品集



面白い建築作品集だ。とくに各地のヴィトンは米田知子、蜷川実花、杉浦邦恵、久家靖秀、ホンマタカシなど著名な現代写真家に撮らせている。それだけで充分に楽しめる。蜷川実花の六本木などは建物の構成ではなく心象風景のようだし、ホンマタカシの銀座は空虚さを表してしまっている。画期的だ。

2004-08-28-ウィリアム・クライン展


今日は仕事に行くつもりだったが、朝早くからの予定があって疲れたのでやめた。そこで出先から恵比寿に行き、本日から始まったウィリアム・クライン「PARIS+KLEIN」展を見た。すごい!。かっこいい!。よかった!。正直60年代や70年代の濃いモノって、写真集でみるとその生々しさへちょっと引いてしまうのだけど、今回のように展示会で接するとまったく違う。それは写真との距離感を自分なりに保てるからだろうか。とにかくあの大きさと、ほの暗いなかでスポットライトのあたった写真一つ一つはとてもスバラシイ。やはり空間体験として、写真展も在るのだろう。

2004-08-22-本音トーク?


フォトグラファーの仕事(平凡社)太陽レクチャー・ブック ●写真家の本音トーク。佐内正史さん軽い!。薄着がいいんじゃない。ってぇ。これからの写真家へのアドバイスで。たぶん女の人みんな30になったほうが、気が楽だと思う。っと長島有理枝さん。デジカメはすぐみれちゃうから良くない。っと蜷川実花さん。幻想系、耽美系、禁断系の作家がすきだった。っと藤代冥砂さん。 でもそんな中でひときわ発言のすわっているのが野口里佳さんだ。会話が生まれたことで、そこの現実が変わってしまったように感じて。・・うーんストイック。同い年としてもリスペクト。

2004-08-21-眼の狩人


東松照明、森山大道、中平卓馬、荒木経惟、篠山紀信など戦後を代表する写真家へのインタビューがまとめられているのだけれど、読んでみると写真家がいかに沖縄へ魅了されているか。それが気になって、沖縄行きたい。そればかり膨らんでくる。しっかし。大竹昭子さんの文章は切れが良い!。

2004-08-15-鉄火-COYOTE創刊号


森山大道は今年何度も企画されているような・・。とにかくラッキーだったのは、「短編 新宿ヨドバシカメラ 阿部和重」だった。これが掲載されているのは知らなかった。いやー。面白い。やっぱし阿部和重だ。シンセミア的なドキュメントタッチもあり。彼にもっと「都市論」を書かせたい。

2004-08-15-鉄火


うわー。紀伊国屋書店へ14歳からの哲学を買いにいったついでに、佐内さんの写真集買ってしまったぁ。まあ欲しかったし。お盆遠出しなかったし。(自分への言い訳しても)コヨーテも買ったし。あーあ。

このページについて

こちらはカテゴリーであると同時に写真について興味を掘り下げていくページ。まだ何にも知らないので、見たり・読んだり・感じたりして積み重ねて行きたいです。

あまり写真展へは行っていませんでしたが、最近になって佐内さんの「鉄火」を買いました。先日、野口里佳さんの「飛ぶ夢をみた」へ行きました。そして写真美術館の「世界は歪んでいる」なども。特別思い入れある写真家などはまだいません。写真論にも興味があります。実は「明るい部屋」をだいぶ前に購入したきり読んでいません。ロラン・バルトは好きなんですけど。今は大竹昭子さんや深川雅文さんの書かれるものを読んでいます。

東松照明、森山大道、中平卓馬、といった戦後を代表する写真家にもとても興味あります。ただ漠然とした印象ですが、川内倫子さんなどのような現代のやわらかい写真にたいして、濃くてハードな写真が生々しく感じられます。一方で、川内さんよりも野口さんや佐内さんの写真のほうが好きです。その差がどこにあるのかまだうまく言えませんが、後者のほうがモノにたいして素直に向かっていくような清々しさを感じます。今のところそのような「清々しさ」が興味の対象です。今後ウィリアム・クラインや、ヴォルフガング・ティルマンスなどの楽しみな展示がありますので、もっと探りたいと思います。2004-08-16/k.m

お聞きしてみたいこと

写真に関してあなたの印象に残っているモノ・コトを教えて下さい。

  • >どうもはじめましてです。SIZE(10){2004-08-26 (木) 20:11:46}
  • niki>間違えちゃった・・。写真については無知なんですが先日『日常』という写真集をなんとなく買ってみました(古本屋さんで)。その中に鈴木清順の撮った写真も載っていて自転車に乗った女子学生の通学風景を撮っているだけのそれが妙に面白かった。SIZE(10){2004-08-26 (木) 20:20:17}
  • k.m>nikiさんはじめまして。それはひょとして「日常生活」というタイトルでしょうか。SIZE(10){2004-08-27 (金) 00:59:09}
  • niki>『日常生活』です。佐内正史氏とかも参加してますね。SIZE(10){2004-08-27 (金) 11:06:34}
  • ふじた>音楽や写真って僕にとってはダイレクトに心の中に入ってきます、文章の想像力がイマイチないかも...SIZE(10){2004-09-06 (月) 01:36:29}
名前:
コメント:

あなたの注目する写真家を教えて下さい。

  • cafe>私は川内倫子さんが好きです。日常風景にある生と死。私たち現代人が忘れている光景を、彼女の透明感ある作品によってより鮮明に心に響いてくる。繊細で清らかで温かみのある印象を受けつつも、胸の奥を抉り取られる様な衝撃を与える、そんな彼女の作品が好きです。SIZE(10){2004-09-20 (月) 14:48:36}

ギャラリーリスト

京橋・銀座


  • ZEIT-FOTO SALON
    • 日本の現代写真を中心とした展覧会が中心。
    • 東京都中央区京橋1-10-5 松本ビル4f
    • http://www.zeit-foto.com

  • gallery Archipelago
    • 東京綜合写真専門学校の卒業生を中心とした自主運営ギャラリー。
    • 東京都中央区京橋1-8-11 田口ビル4F
    • http://www.archi-pelago.net

  • PUNCTUM Photo+Graphix Tokyo
    • 後藤繁雄プロデュース、仲條正義、服部滋樹らが協力。
    • 東京都中央区京橋1-6-6 ハラダビル2F
    • http://www.punctum.jp

  • コダックフォトサロン
    • 東京都中央区銀座 6-4-1 東海堂銀座ビル3階

新宿

  • PLACE M
    • 大野伸彦、瀬戸正人、中居裕恭、水谷幹治、森山大道による自主運営ギャラリー。
    • 東京都新宿区新宿1-2-11 近代ビル3F
    • http://www.placem.com

  • photographers' gallery
    • 北島敬三ほか若手写真家たちによる自主運営ギャラリー。
    • 東京都新宿区新宿2-16-11-401
    • http://www.pg-web.net




その他都内



  • art & river bank



  • Roof
    • カフェ&バー・ギャラリー(オーダー制)。
    • 東京都国分寺市本町3-12-12
    • http://www.roofhp.com

  • Art Photo Site Gallery
    • ポータル・サイト「Art Photo Site」と連動したギャラリー。
    • 東京都目黒区下目黒6-20-29
    • http://www.artphoto-site.com

  • 再春館ギャラリー

  • Photographic Gallery Jy

  • DAZZLE

名前:
コメント: