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イタリア旅行記/2000年12月26日


12月26日ヴェネツィア2日目。ヴェネツィア2日目はトレビソへ向かった。スカルパのブリオン・ヴェガを目指した。すでに感じはじめていたが、年末のしかもクリスマス時期にイタリアへ旅行したことは間違っていたかも知れない。25,26日は祝日でほとんどのお店は閉まっている。昨日もヴェネツィアで目指していたお店、飲食店、ことごとくすかされた。やや落ち込み、そして疲れも出てきたところだった。

トレビソへは30分くらいでいける。下調べでは結局行き方は分からなかった。バスを乗っていくことまでは分かったので、とりあえず近いのでいってみることにした。列車からの眺めはとても美しく、冬でも青々と草が生えている風景が、なんだか不思議だった。

トレビソへ着き、ATCVのオフィスを訪ね、紙に書いた文章で、聞いてみた。向こうも英語が分からないようで、困っていたが、一人の女性がとりあえずバスステーションまでつれていってくれた。親切に案内してもらい、何とか行けそうだと思いながら、バスチケットへ向かい再びメモとヴェガの写真を差し出すと、首を横に振られた。どうやら今日はそこまでいくバスが休みのようだ。

時刻表を見せてもらうと、1日数本のバスしかなく、しかも1時間くらい掛かるほど遠いようだった。あまりに遠そうなのと、はたしてタクシーを手配してそこまで本当に行けるのかも不安だし、またそこまでして行く気力もその時はなく、あきらめて帰ることにした。失敗にもやや慣れてきていたせいか、諦めやすくもなっていた。カフェでひと休みする。(日本へ戻ってきて分かったことだが、トレビソにも運河が多く、陸のヴェネツィアと呼ばれる程だそうだ。なにぶん下調べのないまま、おもむろに行ってしまったので、その美しい街並みを見ることは出来なかった。今度行く機会があれば、その時の楽しみにしておこうと思った。)

そんなわけで、ヴェネツィアへ帰った。それでもまだ午後になったばかりだった。相変わらずの曇り空と、昨日訪れたときよりも寒くなってきていた。やはりヴェネツィアも北側には変わりないこと、おまけに海風が厳しいぶん、寒さもより強い気もした。観光客は今日も多いが、街は静まり返っている。サンマルコ広場へでるまでは、誰にも会わない路地裏も多い。

決して美しいとはいえない、朽ち果てた家々。曇り空と相まって、くすんだ色が視界全体を覆い尽くす。石畳の狭い路地を歩きながら、いったいこの街は生きているのだろうかと思うこともままあった。初めてのヴェネツィアにしてはずいぶんとシブイ時期に来てしまったことを少し悔やみ始めていた。反面、歩くほどに、何百年ものあいだ人々を魅了し続けたそのパワーにも、じわじわと感ずる場面があった。

あれほどのオリエントとの関係をもち、異文化との交流の中から独自の都市文化を形成していった街である。早すぎる成熟とそれからの衰弱。世紀末のヴェネツィアに残された時代の足跡から、我々旅行者がどれだけこの街の魅力を感じられるのだろうか。やはり街の魅力とは、そこへ住んだり、訪れたりする人々との様々な印象とあわせて感じるものだ。人気のない殺風景なままでは、それがあまり感じられない。いつかこういった歴史ある街へ長く滞在し、身体を空間や土地にしっかりと馴染ませて、見据えてみたいものだ。

しかしサンマルコ広場では、強く感じられることがあった。この小さな街に、これほどまでのと思うほどの広がり、壮大なスケール感、海へと続く連続感。3日間の滞在中、何度となく訪れ、そのたびにこの街全体を通して見られる、路地と広場のコントラストの激しさを、最大限感じられるのが、この広場であった。

結局この日は、相変わらず静まっているこの街を彷徨い、先日は閉まっていたスカルパのオリベッティーのショウルームを見られる程度であった。このショールームにしても、閉鎖されている2階へ、なんとか見学をさせてもらえたが、残念ながら写真は断られた。スカルパが残したディテールを間近で撮ってきたかったのだけど・・。


カテゴリー-建築旅行