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2000年2月2日-パリ最終日


本日17時でパリは最後。朝から、パリの外れ、ラ・デファンス地区を目指す。ここは、地下へ自動車交通を流し、地上の人工地盤には散策の場をもたらすなどの、かつてコルビュジェが提案した「300万人の現代都市」への強い模倣が見られる。もっとも、コルビュジェの生前から始められたにも関わらず、この開発へ声が掛からないほど、当時のフランス官僚へ嫌われていたようだ。

コルビュジェ自身も、パリ博覧会で「現代都市」を発表した頃とは、考えも、目指す建築にも変化が出ていたので、あまり興味は無かったのかも知れないが。ヨハン・オットーらによって設計されたグラン・アルシュ。ここから始まり、エトワール凱旋門を抜け、シャンゼリゼを通ってルーブル美術館へ至る軸線は、パリの都市軸として、強烈な印象を与えられる。



バスへ乗り、アラブ世界研究所へ。アラブ的な模様のダイヤフラム窓で有名な建物。ジャン・ヌーベルの名を世界的にした作品でもあるが、協同のアーキテクチュア・スタジオも見逃せない設計集団だ。ダイヤフラムもアーキテクチュア・スタジオのロド・ティスナードの発案。彼らの徹底したテクノ・ヒューチャー的作風には、ジャン・ヌーベルとは違った魅力がある。



しばらくセーヌ河沿いを歩き、ノートルダム寺院と、サント・シャペル寺院を見学。特に後者のステンドグラスは見事。マドレーヌ寺院やコンコルド広場では、ジャン=ジャック・ベネックスの「ディーバ」、エッフェル塔や地下鉄のストと言えば、ルイ・マルの「地下鉄のザジ」、メトロの怪しさは、リュック・ベッソンの「サブウェイ」、そしてここセーヌ河を歩けば、レオス・カラックスの「ポン・ヌフの恋人」。パリを舞台にした、ヌーベル・バーグの映画のシーンが思い浮かばれる。



ホテルの近くへ戻り、コルビュジェの救世軍難民院を見学。サヴォア邸とほぼ同時期に造られたこの建物は、第一次世界大戦後のホームレスを収容し、「救済の家」とも呼ばれていた。全面ガラス張りの上に、開口部のないため、のちにブリーズ・ソレイユが設けらた。カラフルな色彩は、コルビュジェの死後加えられたもの。カーテンウォールの均質なエレベーションの手前で、キューブと円柱の2つがブリッジで結ばれたコントラストは、ブリーズ・ソレイユの付く以前の方が、よりはっきりとしていただろう。



フランク・ゲーリーのアメリカン・センター。ゲーリーの作品を間近で見るのも初めて。ビルバオの迫力には及ばないだろうが、なかなかインパクトのある建物。以外に大きかったとにも驚く。施工段階に、見学してみたい建築家。しかし、デコン系の建築家では、一番成功しそして期待されているのではないだろうか。



バスティーユの広場と新オペラ座を見て、ホテルへ戻る。新オペラ座の評価はあまり高くないが、その大きさには驚かされた。やはり、革命勅発や監獄の跡地として有名な、バスティーユ広場の方が印象深い。