静かなヴェロニカの誘惑




  • 愛の完成・静かなヴェロニカの誘惑 (岩波文庫)
  • ムージル/作 古井由吉/訳


その一文一文へ惹かれ、そして言葉が流れるように運ぶため、読むリズムが出来てしまうのだけど、気がつくと1ページも自覚的に読めていないことになっている。つまり数行読んでいるともう何が何だか分からなくなってしまうのだ。

こんなに美しい文章なのに(それだけはしっかりと感じる)、何でだろうと悔しくなる。それでもと、再び読み進んでいくうち確実に気持ちは遠くへ行ってしまう。

視野が・・息で満たされる、空気が・・体臭を帯びはじめた、想像が・・・冷たくつかんだ、思いは・・ぬかるむ地面に落ちたように、その声が・・どんな音をたてるのか、独特なふうに心を苦しめる魅惑、どこまでも埒を知らぬ頭脳の快楽だった・・。

こんなふうに主語が入れ替わり立ち代るので、追いかけようとするそばから姿を変えてしまい、一向に近づけないまま辺りををじたばたと喘ぐことに陥ってしまう。

ほとんどが主人公の内面を描いているのだろうけど、主体はむしろまわりの環境であって、物が動き空気が軋みそんな一々を細かく積み重ねていく先に主人公が立っている。同時にそれは読んでいるこちら側を写し取られていて、私を通り越したもっと遠くの対象へも向けられているようでもある。

そういえば古井由吉の作品に触れることを、酒を飲む行為にたとえていた人がいたけれど、秋の夜長、彼の著作を肴にちびちびと読み進むことは理にかなっているかもしれない。2008-10-27/k.m
最終更新:2009年02月20日 01:33