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小説、世界の奏でる音楽



  • 出版社: 新潮社
  • 保坂 和志 (著)


「小説は読んでいる時間の中にしか存在しない」、そんなことを書いている著者なので毎回楽しく読んでいるのに何がよかったのかを伝えようとすると戸惑ってしまう。一方で、そんな風に伝えようと言葉を探すこと自体がふさわしくない考えであることへさっきまで了解していたにもかかわらず、このような状態となってしまうことで保坂和志の思考をなぞっているのだと確認したりもする。

自分の携わる建築のように、人のお金や労働力を使って物を作るような場合は、すべてを説明し、またそれが義務であると自覚し続けることで次第に説得力がでてくるのだと思っている。しかしデザインや形の意図するものをすっきりと説明出来るなど実際可能なのだろうか、それは何かごまかしているのだという気分もぬぐえない。

何かを創作している時間の中には、常にゆらゆらとした言い表せない状態があり、ひらめきのような瞬間もそれまでに費やした時間の量や、それら全体とは無縁ではない所にあるという実感。のめり込むように読んでいる本の中へ発見する心に響くセンテンスは、出会ったと思う随分と以前から高揚した精神と共に存在していた全てを指すべきであるということ。

つまり、ここだと思う瞬間に覚醒した何かを言い表そうとする明確な一言などなくって、それが可能だと思っていることは誤解をしていることへ自覚できていない訳で、しかし無理もないことでもあり、何故ならば一言で解決できないその時間を共有するなかで確認できるような認識を随時行っていれば物事が一向に先へ進まないし、停滞を許さない経済のように、僕らは一方で常に決断を迫られているのだから。

説明し尽くせるという幻想と、決断を常に強いられるという立場で、二重にがんじがらめであることは、建築を不自由な存在としているだろう。だから表現行為に忠実であろうとする作家たちが、前者二つを確信的に裏切っていく強かさというか、無頓着さとして闘っているさまを見ると、いつも恨めしくながめてしまう。保坂和志は常に「作り手」として語っているから面白いのであって、だからこそ共感し得る部分を少しでも自分の中へ置き換えてみたいと思う。2008-11-13/k.m