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『グミ・チョコレート・パイン』と『切腹』



  • ■『グミ・チョコレート・パイン』
  • 脚本・監督:ケラリーノ・サンドロヴィッチ
  • 原作:大槻ケンヂ
  • 出演:石田卓也/黒川芽以/柄本佑/金井勇太


  • ■『切腹』
  • 『無間道』に掲載
  • 星野智幸・著
  • 集英社刊


ケラリーノ・サンドロヴィッチの映画と星野智幸の小説。どちらも青春を描いている。そして痛々しい。日常をやり過ごすマジョリティーの顔と、自分らしさを追及したいマイノリティーの内面との間で葛藤している姿がある。

80年代初頭と現在という時代に開きがある。けれど「オレはアイツらとは違う」と思いながら、結局のところ「何をやればいいかは全然わからない」。そんな毎日を過ごしているという点では、まったく同じではないか。

一方、物語の向かうエンディングには明暗の差がある。希望の持てる映画と、絶望的な小説。この開きの中へ描かれた時代の差を読めるような気もする。けれど、二つは同時代に作られた作品でもある。現代における創作の動機付け、そこへ向かう意味などを考えると言いたいことはやはり同じベクトル上にあるとも思う。

映画では、女性から主人公へ送られた不可解な手紙の真意に、想像とは違った彼への想いが詰まっていた。けれど送り主が自殺しているという事実も忘れることが出来ない。一方小説では、主人公が好意を抱く女性へ対する想いの中へ、彼自身のコンプレックスが拭えない苦しみが重っていたが、最後にそれらを昇華させる瞬間がある。けれどその表現が彼自身の自殺という形だった。

こうして並べるとやはり似ている。どちらも死を境にして永遠に結ばれないすれ違いの関係として終わっている。それは彼女という他者に対してでもあり、自分という存在にたいしてでもある。ギリギリで分かり合えるか、死を境に了解するか。その痛々しいほどに残酷な現実を前に翻弄する間もなく、まっすぐにぶつかって終わる。

誰もが純粋だった頃を想いうかべ、その純真さに溺れていく自分の姿を重ねる。そして、フィクションを通じて幻想の大きへ戦慄する。それが青春という記号なのだろうか。そんな2作品。2008-07-23/k.m