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沖縄「戦後」ゼロ年




  • 目取真俊著
  • 生活人新書


沖縄戦から六十年。戦後日本の「平和」は、戦争では「本土」の「捨て石」に、その後は米軍基地の「要石」にされた沖縄の犠牲があってのもの。この沖縄差別の現実を変えない限り、沖縄の「戦後」は永遠に「ゼロ」のまま。(書籍紹介文)

沖縄戦のことや基地の問題など、なんとなくは知っていてもそれについて真剣に考えたり、誰かと話し合ったりすることなどなかった。そんな僕らの態度が、一方で沖縄に生まれ、家族らの戦争体験を聞いて育った人たちから見れば、日本の安全保障が、ある意味で彼らの犠牲の上に成り立っていることへの、無自覚な黙殺でしかないことを、この本を読んで知った。

著者は一貫して僕ら本土の人間と彼らとの間にある「温度差」を強く批判している。ここ数年の「癒しの島、沖縄ブーム」が意図的にお膳立てされ、これらの問題を隠蔽し、それに乗っかるように訪れる観光客の急増、またそれを受けて行くしかなかった沖縄の人々さえも、批判的な視点を忘れ、無自覚に癒しを演じてしまう二重の構造など。辛辣な批判は全く気を許さない態度で、新書の領域を超えていくストイックさすら感じた。

たとえば住みやすいイメージ、長寿の県としての印象とは裏腹に、女性こそ1位ながら男性は20位以下であったり、自殺率の高さなども深刻であったりと、幻想と現実の解離は、作為的ですらあるかも知れない。

このような解離とは、先日の通り魔事件ではないけれど、僕らのおかれている社会の実態(自殺者が多いとか、ワーキングプアだとかの)へ目を向けずに既成の(時代錯誤でしかない)「常識」を尺度に、「憤ることしか」しないワイドショーと同じ目線の上に成り立っているように思う。

生き難い時代に癒しを求める人たち、そして行き着いた楽園ですらそんな矛盾に侵食されきっている世の中。暗い現実に目を向けるほど、そこから逃げ出したい衝動と、どうにでもなれという気分とで胸があつくなる。この言葉にならないジレンマは、何かの破壊的なエネルギーにつながるのだろうか。 2008-06-11/k.m