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ネオリベラリズムの精神分析

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  • なぜ伝統や文化が求められるのか
  • 光文社新書
  • 樫村 愛子 (著)


僕らは自分の生きている時代や世界を理解したいと常に思っていて、その欲求は今の時代に文学やら映画などを造る、創造的な動機付けの意味を了解したいことと同義のように思える。

かつて、安定した世界像=「大文字のA」のあった時代には、その対象へ向って書くことの出来た非公開の日記も、現代の細分化され共有の困難な、その場限りの世界像=「小文字のa」に対しては特定の「コメント」や「足跡」のように承認行為を得られるネットの公開日記は必然の道具でもある。

この時、重要なキーワードがジャック・ラカン(精神分析家)の提示した「現実」という概念で、それは決して見ることの不可能な世界を意味し、このことは同時に僕らが目の前の「世界」を見るとき、自己の幻想(勝手な解釈)を通じてしかそれに触れることが出来ないことを言っている。

いわゆるイケテイルときとは、幻想の通りに進んでいる状況のことで、他者とのコミュニケーションなどで発生する困難とは、まさに見えなかった「現実」が現前していることになる。幻想と「現実」の差異を見かけ上小さくしてくれていたものが「大文字のA」であって、それのなき現在はひたすら差異の大きさに翻弄され「生きにくさ」として感じられる。

幻想の中で埋もれるように生きている僕らは、自家中毒になりそうな脆弱さで「現実」を恐れ、同時に憧れる。「現実」とは他者性の同義でもあって、憧れつつ怖いのが人との対面ということになる。一方で、優れた芸術には「現実的なもの」があって、鑑賞者の幻想を解体する他者を垣間見せてくれる。

ネットで小さな他者と通じあい、映画や文学の中で他者性に触れ、自己の幻想と「現実」の差異が生む軋轢へ負けないように生きていくのが「私の生きている時代」ということになる。・・って、この本を読みながら自分なりに了解してみるのだった。 2008-05-22/k.m

カテゴリー-新書