「屋上庭園」展


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  • 2008年04月29日 ~ 2008年07月06日
  • 東京都現代美術館


アーティストは、自身の作品に対しての思い入れを、どのように消化させるのだろう。作家にとっての作品とは、作り手が共にした時間の蓄積を抜きには語れない。それは飼い主がペットに対して抱く感情の転移、もしくは植栽に語りかける庭師と同じような構造かもしれない。

収蔵作品の中からテーマに応じて学芸員がパッケージングしたこの企画は、「屋上庭園」という切り口で作品を解釈し、それらを通じて現代を捕らえようとしているのだろうか。庭造りの中で芽生えてくる感情の連鎖とその蓄積を、作品に対するそれのように喩えているのだろうか。

実際には「大地から切り離された自然」として、作家の解放された表現形態を10のセクションに分けて展示しているといった内容だったけれど、私はなんとなく「対象」に向けた感情の蓄積、その時間的な連続性を共にした作品という客観物にたいして、鑑賞者はどう接すればよいのか、みたいなことが気になった。

もちろん作り手は瞬時に感じたままを思えばよい、と言うかもしれない。けれどその「瞬時」にしたって、彼らの思う時間と見る側の感じるそれとは決定的に違うような気がする。

その中でも、ただ見ているだけで感情を突き動かされる作品もある。けれどいつもそうではないし、逆にそう感じられない作品のほうが多い。けれどこうしてまた美術館へ足を運ぶ動機の中には、ほかにも思うことがあるからなのだけれど、果たしてそれは・・。そんなことを行ったり来たりw。2008-05-08/k.m

カテゴリー-展示
最終更新:2009年02月20日 19:37