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TOKYO EYES



武田真治と吉川ひなのが交わす会話はまるで素のままにみえる。ドキュメントらしさが入り込む演出というのか、カメラワークにもそんな印象を感じる。 下北沢を舞台にしたこの物語りは視線をテーマとしているようだ。


意図せずして視界に入ってしまう、それが視線となって向けられてしまう世界。そこへ苛立ちを覚える主人公。彼は実弾入りの拳銃をそんな対象へ向けて発砲する。けっして当てはしないが、当然連続的に多発するそれは事件として指名手配を受ける。吉川ひなのが電車で盗撮している武田真治を偶然発見し、やがて彼に惹かれていく・・・。


下北沢の空間はとても映画的だった。狭く入り組んだ迷路の中へ看板が並び複雑さを増す。落書きがたえない塀。とことん反美学的な町並みは、紛れもない下北の風景として目に飛び込んでくる。この映画に映し出されるそんな世界こそ、意図せずして視界に入ってくる強引さでいっぱいだ。主人公の行動を追う僕らの視線は、同時に様々に意図しない光景をも目撃しているのだから。


主人公は対象を撃つとき、度のきつい眼鏡をする。それはあえて見えにくい状況に追い込み視線を惑わすためだ。苛立つ視線の対象へ発砲する時には、すでにそれを意識の奥へ追いつめたからだろうか。そして確信犯となって発砲を試みる時は、別の人格にあるのだろうか?。


吉川ひなのは彼をDVカメラで追う。そんな風にいくつもの視線が折り重なるこの映画は、同時に見ることの問題意識を観客へ訴えかけているのだろうか?。2001.08.28k.m

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