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嫌オタク流


  • 著者:中原昌也、高橋ヨシキ、海猫沢めろん、更科修一郎
  • 出版:太田出版


中原昌也が絡んでいるだけで買ってしまうのだけど、オタク向けの本のようだ。とはいえ、「オタク事情には門外漢」の高橋ヨシキと中原昌也が、「その世界の方」の海猫沢めろん、更科修一郎と対談した内容で、「現代オタク事情」について色々と知ることの出来るものだった。

特に海猫沢、更科の語るオタクメンタリティーなるものがとても突っ込みどころ満載で、あまりにも予定調和的な行動原理に言及されてしまう彼らのイメージに正直驚いた。それは「どうでもいいよ」と言ってしまうようなものばかりで、中原昌也もほとんど投げ出していた。

彼らのように、一定のコードに萌え、そこから逸脱せずに小さな「差異」を極限まで消費し続ける姿とは、ある意味で現代をとても象徴している。そして幼児ポルノ、近親相姦、障害者萌えなど、言葉で表せばグロテスクなものばかりを好み、それらは中学生クラスの性衝動のままで、自らをピュアと呼ばせてしまう無自覚さも、現代を生き抜く術なのかもしれない。

それは徒党を組み、閉鎖的なエリアを設定し、そこで生まれる現象を無限に細分化させていく生き方だ。グローバル化とは一見相反するものに見える。けれど世界は多様化へ抗うように、そこへ向かっているようでもある。

90年代後半、多様化には誰もが魅惑的な期待感を持った。文化や芸術、様々に交通を図れる楽しみに包まれていた。けれどインターネットはその甘美な期待を通り越すほどの勢いで普及し、暴力的なまでの情報の洪水は反動的な身体を生み、それは都合の悪いものを無意識にシャットアウトすることに繋がっていったのだ。

自分の知らないことには興味を持たないだけでなく、不快感を伴うような身体へとなっていく。オタクだけではない、オジサンやオバサン、ショウガクセイやオジイサンまでもが、情報の殻を身にまとって生きている。もはや横断的であることは反体制的なのだ。局所的なモードをスイッチングしながらコミュニケーションを図るしかない。

そんな時代にモノをつくるとは一体どういうことなのだろう。そういえば、今月の住宅特集では「住まいをめぐる言葉」として特集が組まれている。「創出」よりも「選択」に意味の比重が傾斜している(監修:奥山信一)。2006-06-04/k.m

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カテゴリー-社会建築

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