月曜日に乾杯!


  • 監督: オタール・イオセリアーニ
  • 出演: ジャック・ビドウ, オタール・イオセリアーニ, その他
  • 配給:ビターズ・エンド
  • 2002年|2時間7分|フランス、イタリア


セリフのない淡々とした展開ではじまる。カウリスマキ風な演出。こまかいギャグが入っていて芝居のようでもある。人物がたくさん登場し、同じ街のなかで繰り広がる所など、ロバート・アルトマンの「ショートカッツ」を思わせる群像劇だ。

ただ「ショートカッツ」はそれぞれのドラマが連鎖していく複雑さとシークエンスを狙っていたのに対して、この映画では「ドラマ以前」の行為的な記録とも言える断片がひたすら連鎖していくようだった。

家にある沢山の自転車を見せる兄弟。そのなかの一台を譲り受ける少年。去っていく少年にかぶって車から怒った父親登場。少年が教会へ。電話BOXではなす女の子。電話する黒人男性。少年の置いた自転車をもっていく父親。教会に行く黒人男性。少年の兄に代筆手紙を頼む。

ほぼワンシーンで表現出来る範囲でシチュエーションは変わり、違う人物へバトンタッチ。目まぐるしいようでいて、一つが単純な繋がりなのであまり考えずに見ていられる。しかしこの単純な演出には実に多くのエピソードを説明させる形式のようなものがあって、前半でほぼ一つの地域に登場する人物の関係や行動形式まで分かった気にさせてしまうのだ。

それは映画がモンタージュによって出来上がっているという単純さと、それによって世界を認識していくという、これまた単純な仕組みをただながめているような不思議な感覚を抱かせる。

後半はロードムービーに変わっていくが、基本的な手法は継続されていた。旅先での説話的構成が前半のそれをなぞっているせいか、描かれる世界がとても平坦なものに見える。それは別に退屈だと言うのではなくって、すべてが小芝居のような即興性に還元されていくのだ。ジャックタチのような世界とうか。

突然お父さんが失踪し、好き勝手に旅行して帰ってきたのに、家族は何事もなかったように受け入れるのだ。父親だけは、少し申し訳ないようで恐る恐るしていた。このとき父親の気分は見ている側の世界観を表していてた。なぜだろう。

すでに前半から描かれていたこの平坦な世界では当然の展開なのだ。しかし一番理不尽な行為をとっていた父親が、なぜか現実的規範へ繋がっているような存在を表していたのだ。つまり僕らの現実こそが一番理不尽なのであって、平坦に見えていたあの世界は何もおかしくはなかったのではないか。2004-06-06/k.m

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カテゴリー-映画
最終更新:2008年04月15日 01:51