「空の穴」



  • 2001年/35mm/カラー/127分
  • 第10回PFFスカラシップ作品
  • 第51回ベルリン国際映画祭ヤングフォーラム部門正式招待
  • 第30回ロッテルダム国際映画祭コンペティション部門正式招待 国際批評家連盟賞スペシャルメンション授与
  • 監督/熊切和嘉
  • 脚本/熊切和嘉、穐月彦
  • 撮影/橋本清明
  • 出演/寺島進、菊地百合子、澤田俊輔、権藤俊輔、外波山文明


心の交通?

寺島進演じる主人公は、恐らく一度も家を出たことが無く、閉じた狭い輪の中で生きてきたのだろう。それはいわゆる「ひきこもり」とは違って社会へ適応出来ていない訳ではなく、交通(他者との関わり合いをそう呼ぶとすると)を持とうとしていないだけだ。そしてそのような孤独感だけを見れば、世の中にはそれに共感出来る人がたくさんいるのかも知れない。ただそれでは物語としてありきたりなだけだ。この作品の面白い所は、誰しもが持つであろう孤独感を二つの立場から、ある極端なカタチにまで描いている所ではないか。

男(寺島進)は、幼い頃に母が家を出ていき、競馬に明け暮れる父を持ち、近所の連中から「変わり者」という扱いを経て、人と交通をはかる事への無力感で日々を生きている。女(菊地百合子)は、孤独への恐怖心からか、恋愛に対しても「今、この瞬間」をつなぎ止める事へ気を取られているのか、相手への心の負担となっている自分を省みることすら出来ない。そんな二人が出会いやがて交通することにより立場は逆転して行く。

交通から得られる孤独からの開放感が、いつしか消えていくだろう女の存在を、うすうすと感じながらも、「今、この瞬間」をつなぎ止める事へ夢中になるあまり、結果的に女を拘束しているだけになる男。一方女は先の失恋の痛手で、交通からの開放へ懐疑的になり、はなから心を開こうとはせず、「物理的な交通」のみを男とはたす。頑なだった男が、出ていこうとする女を「もう一日だけいてくれ」とだけ言いながら、必死にくい止める姿は哀しい(寺島進の演技は何故かはまっていました)。それまで男を世間から断絶させていたものは、同時に世界からの孤独感をも断絶させていたのではないか?。人と心の交通をはたして来なかった男は、哀しいくらい「未成熟」な振る舞いを女へ向けていた。

北海道の自然を奥行きの深い「構成」と「間」でとらえた映像は、前作のショッキングなそれとは打って変わって、しかし見事さではむしろこちらのほうが印象深く、監督の作品へのこだわりを感じた。寺島の演技は最近多くの映画で見るそれとさほど変わりはないのだが、ただその変わりない感じが、彼の人間性そのものに思えて、かえって共感を生み出していた。菊地百合子は「ちゅらさん」でも見かけていたが、やや「キャラ感」の強い演技はなぜか「心地よさ」を感じさせていた。寺島が菊地をふった前の彼に殴られる姿を見て号泣するシーンなどは、キャラ(映画上の人格)が破壊されるのではないかといった、胸にせまるもを感じた。

この穏やかな映画には、リズムがある。それが役者の力なのか、監督の力なのか、はては北海道の自然と村社会のリアルさなのか・・・。それら多くの魅力があることは確かだ。

渋谷のユーロスペースは今回が初めて。とても「こじんまり」していて和みます。上映後に熊切監督の「トークショー」があるというのに、たいして並んでいる人もいませんでした。それでも整理券制なので、5分前くらいになると人が徐々に来ると行った感じ。小説家を招いての「トークショー」は「仕切役」を任された監督の「ぐずぐずトーク」で今ひとつ。普通に質疑させればいいのに・・。

終了後、外でのサイン会にもさほど人だかりはなく、サインをねだらず質問を持ちかけた僕らをきっかけに来る人のおかげで、たいした話も出来ず帰るのでした。2001.11.03k.m

コメントなど

  • >うちも空の穴、、、観てみたいなぁ…SIZE(10){2004-01-01 (木) 11:59:01}
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最終更新:2008年04月15日 01:55