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近代日本思想案内


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カテゴリー-社会思想

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自分を知る地平

この本を読んでつくづく思うのは、物事は関係性の上に進んでいくのだという、当たり前のようなことである。

自己を認識するのに他者をかえしてしかあり得ないように、「日本」という存在も「西洋」の出現(ペリー来航を契機とした)をかえしてしかありえなかったという当たり前の事を、新鮮な形で受け入れた気がした。歴史が苦手とか興味がなかったといえばそれまでだが、自分を知る「地平」と確実に地続きであるという感覚が、ちかごろ近代史に触れる度に思うことでもある。「靖国」にしたって、僕らはある意味いつだって、それら歴史認識の上に存在する国民でもあるのだ。意識しないことと、全く無自覚なこととでは大きく違う。過去を気にとめない国柄の系譜も、あるいは近代史にたくさん含まれているのではないだろうか。

しかし、日本の啓蒙思想家達が、「西洋」にその源泉のほとんどを学んだ自由民権運動の中心人物、中江兆民だってアフリカやアジアの土地の人々を、彼らが「犬豚」にも劣る仕打ちをしていることをもしっかりと見ていた。「普遍性を体現する価値」ではなく、特殊西洋的文明として「相対化」していたと言うのだ。それはなんだかうれしくも思えることだし、今の日本人へ、本質をもっと見極めることを訴えているようにも感じる。

そしてこの「良質」な民権運動は、国家体制の樹立とともに政治から切り離されていくという、早くも実践を前にした思想の挫折感を見てしまう。もちろん本質的な気運を感じるのは、この後の展開にも表れている。平民主義と国粋主義だ。それまでの極端な閉鎖か開国かの議論ではなく、いかにして西洋を取り入れそのなかから日本の文化を生成すべきかの思索であった。

このように近代の概観を見ることは楽しい。歴史という学問を経験するのではなく、思想という深さを学ぶのでもなく、物足りないという概観の加減が調度僕には楽しめる。それは地続きであるという、個人の妄想を補強すべく物語の経験なのではないかと思うからだ。他者を知る楽しみと同様な感覚がそこにはあるのだと思う。

2001.08.29k.m

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