供述によるとペレイラは……




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第1次世界大戦後、ポルトガルには暗殺、クーデター、インフレなどの様々な苦難が満ちていた。世界的にも苦難からの救済として、独裁政権が生まれていた。イタリアのムッソリーニ、ドイツのヒットラー、スペインのフランコ。ポルトガルでは経済学の教授であるサラザール博士が大蔵大臣として経済を立て直し首相に就任。その後36年に渡りその地位を維持し、独裁者となる。表面上はファシストでなくとも、教育や出版、言論には厳しく秘密警察も存在していたという・・。この小説はまさにその時代に生きていたある新聞記者を描いている。大手をやめ、リスボンの小新聞社の文芸主任をつとめているペレイラ。

主人公のペレイラは変わらない日常を生きることにより、知識人としての国家への矛盾意識、体制的な社会への思いをどこかへ隠して来ていたのだろう。その「変わらなさ」だけが「安心」というわずかな支えとなって。

この小説には、主人公が一組の若い男女に出会って、それまでの「安心」に隠れていた「軋轢」を、心の中からじわじわと出していく過程が細やかに描かれている。あくまでも日常の繰り返しのなかに見え隠れしている微妙な「変化」をとおして。

それにしても再三登場する「国家」の抑圧。そこには「世間」という身近なつき合いの中まで浸透している、体制への忠誠心がある。そしてそれは、まったく「思考の停止」という状態でもあって、次々に共同体としての堕落につながっていった。人間本来の生き方や死に方などは認められず、ただ国家の一員としてのあり方だけが許されていた。個として思考し振る舞うことは時流への軋轢を生みし、命までねらわれる羽目になっていたのだから。

この恐ろしい「道のり」は未だなくならず、世界のどこかで繰り返されている。それでも必ず存在するのが、この小説の主人公のような葛藤と、その末の行動とが見せてくれる人間としての「自由な強さ」である。ただこの小説が共感出来るのは、英雄的な強さではなく、ごく身近に居そうな、弱くてしたたかな存在でもあるということ。だれしもが自由に素直に行動など出来るものではなく、むしろ常にどこか抑制を感じながら暮らしているのが現代であもること。そしていつの時代にも国家というものが、国民には気づかない内に、危険な方向にもいってしまう可能性をもつということ。

2002.03.05k.m
最終更新:2008年04月15日 01:33