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業界感覚



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  • 型としてのプロトタイプ/奥山さん
  • 決定ルール/青木さん
  • 身体感覚の共有/山本さん


最近の建築家の文章を読んで思うことを顕在化させてもらった。最後に出てきた、山本さんの「主体性をめぐるノート」新建築11月号において、それら建築家の語る方法論を、業界の内側の話しと言う言葉でまとめられている。

業界感覚。この言葉に内在するモノは、その業界に関わる者へ、常に微妙な距離感を与えてはいないだろうか。最近の僕自身が感じる、建築家への距離感もきっとその「業界感覚」に対してだと思う。

主体性へと置き換えられるその感覚は、モノをつくっていく者にとって死活問題である。しかし莫大な予算と、山本さんの言う「生活の秩序」を決定させてしまう建築には、同様かそれ以上の死活問題として業界の外が存在する。

「外」をうまくまとめる事は、単なる苦労話になってしまうのか、「内」での言及にはあまり登場しない。もっぱら方法論、思想についてだ。反面、実務においては常に「外」と向き合い、折り合いを付けていく訓練を要する。まずは「外」あっての「内」だ。そう教えられている同業の方もきっと多いだろう。

しかし「内」へのこだわりが無くなっていく事が、建築を続けていく意味すら見いだせなくなってしまう危険を伴うこともまた事実。山本さんが引用するように、「内」=「業界」という伝達共同体の存在なくして、遺産は残らない。活発な内側の議論が、「外」へ逆流していく状況とは?うまくまとめる事でも、無理矢理洗脳するのでもなく。何らかの秩序を内包している「空間」の特性を使うこと。作り手とユーザーを結ぶ通路はやはりそこに?

この話題と直接の関係はないが、思ったこと。個人主義と社会性の問題へ置き換えられるのではないだろうか。欧米との比較の際に、「個人主義を履き替えてしまった日本人」という言及を聞くが、それは今変化しつつある過程であって、結論を急いでしまっている様に思う。

女子高校生(に限らないが)の一見すると、反社会的な独走的行動には、強い「業界感覚」への発展的段階を見ている気もする。まず、こだわることを忘れてしまった日本人。無個性、無表情、などと言われていた頃の状況から徐々に、そしてイビツな変形かもしれないが、それらを一つの成長ととらえる事も出来るのでは。

文化が形成される為の基盤。それが、ある種の伝達的共同体を必要とするのならば、個性とこだわりを持ちつつある若者達から見習う事も沢山あるのではないだろうか。99.11.05/k.m