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凶気の桜

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  • 凶気の桜
  • 新潮文庫
  • ヒキタクニオ著
  • 2002.9
  • \552


カテゴリー-映画

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渋谷を描いた小説で、ここまでバイオレンスなものは読んだことが無く、むしろ「渋谷系」という表現から僕が思い浮かべるのは、暴力とはほど遠い「マッタリ」とした空気のほうだ。「現代のとらえ所のない若者の無気力感」という門切り型な解釈をそこに当てはめれば、あたかも渋谷の街がそれらを体現しているようにも見える。

しかしこの小説ではそんな若者を徹底して嫌う立場を取っている。現代の情けない日本を一番象徴している存在でもあるかのような、嫌悪感たっぷりに。そして「ナショナリスト」という右翼的な意匠を取っていることは、成熟した社会が作り出す空気として、世界中で巻き起こされてもいる「動き」をあらわしているのではないだろうか。

反動とも言えない小競り合い的な主義主張しか存在しない平和な社会では、なにも起こらないというリアルの中で、いくつもの小説が描かれている。そこから見いだされるたくさんの「真実」は、ささやかな日常を背景に持っていればこそ可能な記述でもあるのだと思う。

けれどそれらに親しみと愛おしさを持ちつつも、僕らは日々「過激化」していく殺傷事件や、それをヒステリックに取り上げるワイドショーを確実に消費して生きている。そして、一方では吐き出しきれないカタルシスの行き場を見るようなグロテスクさを感じてもいる。存在していくこと、そのものが矛盾に満ちているのだ。

映画も、もうすぐ!

渋谷という街へ、このような矛盾の「かたまり」としての姿を見いだしている人は少なくないと思う。それはまた、渋谷という街を利用し、楽しみ、嫌い、愛おしむ複数の意識が、幾重にもコラージュされている混沌とした姿であるとも言える。著者の引き出す渋谷のイメージは、成熟した日本社会の縮図のように、多面的であり、同時に個別的なディテールに支えられている。執着的なまでの細部は、現代を映し出す最良の手段であるのかも知れない。 2002.09.28 k.m