宮島達男展




  • 宮島達男展
  • 東京オペラシティアートギャラリー
  • 2000/3/3-5/14

カウンター・ヴォイス・イン・ミルク


9から1までの数をカウント・ダウンしながら、0の地点で目の前のミルクに顔を埋めるVTR。ひたすら、繰り返し続けられるその作業は、何か新興宗教の儀式かと思った。とりつかれたように、オバサンや青年など、普通の人達が、声を張り上げて、ミルクで汚れた顔をいっさい拭わず、何度も何度もミルクに入っていく。たしかにそれだけ繰り返せば、そのうちになにか遠くに見えてくるモノが在るも知れない。参加してみようかと思う人も中には居たりするのだろうか。床に座り込みそんな感じの若い人たちの姿も見受けられる。

時の浮遊

天井から投影されたCGの数字が手や身体の上を動く。
何か無意識に意味を感じ取ってしまいそうな、「数字」という記号。動いていく姿を目で追いかけ、または離れたところから、生き物を眺めるかのような動きを感じる。こんなポータブル機械をレンタルして、毎晩部屋の中を数字が彷徨っていく生活をしてみたらどんなだろう。

メガデス


壁面に並べられた2400個の青いL.E.Dが、それぞれ異なる速度で9から1までのカウントダウンを続け、ゼロを示さず、一定時間の沈黙を経て再びカウントダウンを始める。昨日、トゥナイトでも放映していましたが、この空間に1時間ほど座っていくカップルが多いと言う。たしかにそこには、壁面にびっしりと座っている人たちの姿があった。先日観た、伊東豊雄氏のTNプローブでの展示もこんな感じでした。

壁面から眺めるとちょうど、視力の関係からか、見ようと意識した数字しかピントが合わず、その他のカウンターはただ点灯している青い光にしか見えない。意識はすぐに沈もうとし、すべてを均一な青い光へとしてしまう。存在をすぐそこに控えた、多くの数字達が、次から次へと順番を待ち望んでいるかのようだ。僕には、長い間ここに居ることは出来ない。新たな存在を見つけようとしてしまうからだ。均一な全体として、意識の奥へ流せない限りここに居続けることは疲れてしまう。

カウントダウン・ドローイング・アゲインスト・ザ・ウォール


振動ドリルを抱えた宮島達男がこの場で壁に向かって一気に描きあげた、パフォーマンス作品。こういったパフォーマンス作品は、その場のエネルギーを共有した空間でないと感じるモノは当然限られるのだろう。VTRで見るパフォーマンスでは、特に感じるものはなく、数字に執着している一オジサンの姿しかなかった。00.05.07/k.m

コメントなど

  • Takachin>おっ!なつかしの展示。六本木ヒルズのパブリックアートでも結構いい感じでしたよね。メガデスは圧巻でした。僕がメガデスの空間に入ったときは老夫婦が座り込んでいて、まったりしてて、それがまた良かったですね。SIZE(10){2003-07-06 (日) 02:30:36}
  • k.m>あれは展示というのは空間なんだと思い知らされた作品でした。SIZE(10){2003-07-06 (日) 22:22:23}
  • blau>「メガデス」私は、ずうっと座り込んで見てたんです。確かに部屋全体が作品でしたよね。でも六本木ヒルズでパブリックアートにしてしまうと、似たような感じでも何かが違うような…。どうしてなのかこのあたり、まだ答えが出ません。SIZE(10){2003-07-06 (日) 22:58:30}
  • k.m>確かにこの2つ(メガデスと六本木)への関わりと、それが場や観察者へもたらす影響の差を比較るすことはとても興味深いと思います。僕も考えて見よ・・・。SIZE(10){2003-07-17 (木) 21:16:44}
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カテゴリー-展示宮島達男
最終更新:2008年08月31日 01:31