土田ヒロミのニッポン

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  • 東京都写真美術館
  • 土田ヒロミ
  • 12月15日(土)〜08年2月20日(水)

新年最初の展覧はやはり写真展。ここ数年一番興味があるジャンルかもしれない。

本当は「日本の新進作家vol.6 スティル/アライヴ」展での田中功起が見たくって行ったのだけれど、大して面白くもなく(あっ、でも伊瀬聖子の映像作品はマル)、ついでにと思っていた「土田ヒロミのニッポン」展がずっと良かった。文学の触覚も見たけれど、こちらもイマ一つ。

3日は本人自ら作品を解説しながら観られるという特典付で、新年ならではか他にもイベントが多かった。「上品で元気なお爺さん」という感じで、土田ヒロミは解説していた。以下3つ、気になった発言(記憶なので正確性はなし。)

■30年前のデビュー当時(70年代)は、被写体と直接向き合い楽しく写真の撮れるハッピーな時代だった。日本の土俗社会に生き、そんな自分を見つめなおす意味で写真をはじめた。

■写真は自分の意識を超えて撮れることが面白い。被写体を捕らえる目線にはなかったものまで優劣なく等価に写し出す。

■写真家は編集者として個性を見出せる。誰でも同じように撮ることが出来る写真だが、被写体に向かってどこでシャッターを押すかですでに編集を行っている。出来上がった写真のどれを採用し、どのように組み合わせて考えるかで再度編集を行う。そこに個性が出る。

「砂を数える」というシリーズがあって、大衆を捕らえた写真群が面白い。70年代は近景での生々しい群集だったのもが、90年代以降は豆粒のように点在するカットとなっている。

技術的にも全く違う。前者がモノクロの銀塩なのに対して、後者はポジフィルムをスキャンして出力している。スキャンすることで発色が平坦になり、さらにデジタル処理で色の遠近感をなくしている。

スーパーフラットとは発言していなかったが、時代のフラット感(それは中心やシンボルを喪失した彷徨える群集という文脈)を感じ取っての作風だと自ら解説していた。

多種多様な作品群が、本人の解説によって明解な考えのもとへ収斂されて行く驚き、写真家とは時代の空気を掴む表現者であることの再認識。とても面白い写真展。2008-01-03/k.m

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最終更新:2008年05月09日 00:34