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華氏911


  • 2004米/ギャガ・コミュニケーションズ=博報堂=ヘラルド
  • 監督・脚本・出演:マイケル・ムーア
  • 製作:キャスリーン・グリン/ジム・ザーネッキ
  • 撮影:マイク・デジャレ
  • 音楽:ジェフ・ギブス

果たしてこれはプロパガンダ映画なのだろうか。そもそも現実を歪ませていない情報など世の中に存在するのだろうか。むしろそれと気づかずに歪んでいる「見え掛かり的現実」のことを情報と呼ぶのではないか。

この映画をみて泣いてしまいそうだった。それは遺族を悲しむ母の鳴き声に感化されたわけでもなく、多くのイラク人達がすさまじい姿で死んでいく映像に対してでもない。もちろんそれらは戦慄を覚えるほどに悲痛なものとして目に映った。

けれどなによりも突き刺さってくるのは、どんなに情報化社会と言われようが、人は「今そこに見えている」現実にたいして果てしなく無力である、ということだ。9/11が起きた。ブッシュが立ち上がった。テロリズムが叫ばれた。セキュリティーが切望された。知人ですら疑うことが社会化された。

このような転倒?は無知ゆえに起きたことなのだろうか。アホでマヌケだから起きたのだろうか。情報はどこまでも操られていたのだろうか。貧富の差を、階級社会を維持するために意図された戦略なのだろうか。

恐らくそのどれもが決定的理由にはなっていないと思う。そして、そのどれもが決定的理由の一部を担っているのだとも思う。僕らはあまりにも写された現実に対して無力なのだ。とめどなく流れてくる情報に対して、少しでも自分なりの価値観を照らし合わせ、主体的な行動を持ちたいと思っている。まさにその発想自体が孕んでしまう構造なのだ。

例えば僕らはオリンピックを見て感動する。一度も会ったことのない選手達の家族を知り、コーチの気持ちを知り、選手の切迫した緊張感を知る。すべて知っているのだ。そしてそのことへなんの疑いもなく、自らの価値観に基づいて感動するのだ。

それと全く同じ原理でイラク戦争は起きたように思う。もちろん政治家の思惑はあった。投資家の後ろ盾もあったかもしれない。けれどTVで映し出された9/11の悲劇から、それを世界中の人間が同時に見ることによって、もはや今までの流れは避けられなかったように思う。そして予測は出来なかったとも思う。

この予測できないことと、最悪の循環は同じことだ。写し出された報道という現実は何の疑いようもない。そこを乗り越えていくことは不可能に近い。なによりも送り手側は善意や使命感でもって事実を写すのだから、彼ら自身の真剣な眼差しにたいして良心を抱かずにはいられないのだ。

一つ一つに対して膨大なエネルギー(手間やお金や技術)のそそがれた「情報」は、僕らの日常を取り囲むにはもはやバランスが悪すぎるのだろう。便利さや安全性や信頼性の追求は、それが持っている力を誰も止められることが出来ないくらい大きくしてしまったのだ。

この「現実」が既にどうにもならないことを、華氏911は言っているように思えた。明日、突然交通事故で死んでしまうかもしれない。それと同じような覚悟でもって「情報」と共存していくことを強いられているのだと言うように。2004-09-04/k.m

コメントをぜひ

  • ふじた>まだみていません。この映画をみて議論したい気持ちになりそうですねーー2004-09-06 (月) 01:33:31
  • k.m>そうですねー。是非見てから感想を言い合いましょうw。私はあの映画にイスラエルの問題が描かれていないとか、ネオコンとユダヤ系の影響力を見えなくしているとかの、ムーア自身による情報操作とかにはあまり興味なくって、むしろ操作しないところでも多大な影響力をもってしまう情報自体に興味がわきました。2004-09-06 (月) 20:27:26
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