何がどうして



著者の本を読んだのは今回が初めて。実は昨年の訃報を見るまで、ナンシーさんがあんなにも太っている人だと思わなかった。なのでそのこと自体にもショックであった。

何故か辛らつな文章を、「本人の人格」のような「イメージ」として既にインプットしていたが、実際にまとまって読んでみるとやはり面白い。この面白さは僕がどこかで避けていた形式のものでもあって、今すんなり読んでしまったことへ「そのこだわり」の優柔不断さと「もろさ」加減にちょっとウンザリしている所だ。

避けていた理由は、所謂ゴシップオンリーの批評であろうと思っていたこと。そして、そこにツキマトウものがあのワイドショーを見ているときの気持ち悪さへ通じるのではないかという「先読み」からである。しかしナンシー関の批評が発する憤りは、そんな大文字のワイドショーに対してであり、ステレオタイプの解釈であり、大衆の思考停止そのものへ向かっていたのだ。大いに共感してしまう「迫力」でもってそれは突き進んで来るのだった。

数々のコラムは「足の早い生もの」のように読み捨てられそうなトピックばかりを扱っている。時事ネタとして早いほど読者のリアクションを得られる反面、数年後にこうしてまとまって触れるには鮮度が足りないために「ん?」って感じのところもある。そんなある意味リスキーに見えるこの文庫本が、一見手に取ることを遠のかせてしまっていたのかも知れない。

しかし読後の今はまったくそんな思いなど何処かへ行ってしまった。この超越的なまでに「脱コード化」されたゴシップは、既にゴシップなどという小さな存在を超えて、人を観察する視点から読ませる術まで、なんとバラエティーに富んだ参考書であろうか。

師匠と慕うには遅すぎた時になってしまったが、ささやかに教科書としてそばに置いておくことにしよう・・。

追記トーク/2003.01.27

k.m :ところでナンシーさんはどうしてあんなに自分で自分にツッコミいれるのでしょう?

i.m:言い過ぎちゃった、ごめんっ!(かわいらしく、舌を出し、軽く自分の頭をたたきながら)て、ところでしょうかね。本人の意志とは別に、辛口をウリとしていた所があったからなんですかね。真実の程は、わかりませんが・・・。

k.m:ポストナンシー関っているのかなぁ。

i.m:ナンシー関の様にテレビを愛している人はそんなに、多くはないのでは無いかな。「つまらない」とか、視聴率が低いというだけで見ることやめちゃいがちですから。逆に、視聴率が高いだけで、「見なくてはと思ったり、思わせたりするのもどうかと思うけど・・・。そもそも、業界関係者内のみで必要とされる視聴率を視聴者に伝える必要って、あるの?

k.m:なんかに書いてあったけど、テレビ局は全日の視聴率が1パーセント違えば年間の利益で100億円差がつくと言われているほどだから必死なのも分かるけど、あの視聴率の機械置いている人みたことないしね。オンデマンド時代が来たらどうなるのでしょう。すでに民放BSはプログラム破綻?。

あと、いまのドラマ(キムタクの)とかどう思っているか聞いてみたいですね。

i.m:日曜のドラマにかけるTBSと絡めての、意見を聞きたいところです。「ビューティフル・ライフ」以降のTBSの日曜ドラマにかける姿勢は、かつて日本テレビが「元気が出るテレビ」でNHK大河ドラマに対抗していたものを彷彿させるのは、私だけだろうか。(まぁ、そんなに熱心にテレビ見ている人もいないかっ。)

k.m:僕はどうも今の「TBSの日曜ドラマ」という枠が、かつての「フジ月曜日夜9時(いわゆるゲツク)」に取って代わっているように思います。まあすでに自明なことかとも思いますが。そてっれ僕らがゲツクを見ないからなんだとも思うのです。こう言うとあまりにも自己中心的に考えているようだけど(そもそも人はそう言うもの)、団塊ジュニアが学生時代だった80年代はゲツクが人気あって、今その世代がTVを落ち着いて見られる時間が日曜夜ってことですよね?。

とにかくナンシーさんはある意味で、80年代〜90年代的な移行を体現していた人ではないでしょうか。それは「番組製作側の狙い」を「先読み」してしまう「視聴者の成熟化」の時代として象徴的なものなんだと思います(強引なまとめ?)。2003.01.25 k.m


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最終更新:2008年04月11日 08:13