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煙か土か食い物



正直、舞城王太郎はこれで4つ目なのだけど、単行本1冊とあとは文芸誌に載っていたやつ2作だし、まだよく分からない作家だった。唯一まとまったもの「阿修羅ガール」はかなり不可解な小説だし、賛否両論大きいし、感覚的にもかなり無理して読みきった。その後の「我が家のトトロ」や、「ドリル・ホール・イン・マイ・ブレイン」はそれなりに読めたが、まだ「分かろう」という思いが先行して、「楽しみ半分」という気分でもあった。

そんな訳でもう一歩入り込めない作家だが、その割りに評判がいいのだからやっかいだ。別に己の感覚に合わないものは放っておけばいいじゃないかと思うのだが、何か自分の知らないところで重要な楽しさを逃してはいないかとの貧乏性に突き動かされた。どうやら面白いと話題なのは、この作品みたいだ。元々ミステリー作家のようだし。

そしてこの貧乏性をありがたく思えるような、充実した読後感を得られることが出来たのだった。確かにミステリーのようだ。しかしこのジャンルを読みなれていないから分からないけれど、かなり文学的な作品だと思う。肉親の、兄弟との様々な軋轢や父親への憎悪など、精神的な部分こそが惨酷な殺害場面よりも丹念に描かれている。

いままで不可解だった軽薄なまでのテンポ、主人公のセリフ。何故か今回は見事な調和でもって、スピード感すらあった。まさにドライブするように文章が流れていくのだ。小説で得られること、全力で走りながら人生を振り返るような思い。そして呼び出された興奮が、かつて自分の中を過ぎ去って行った、事態や環境などに身を置きたいような「郷愁」を覚えさせる。不可解で懐かしい何か・・。

それはあくまでも軽やかで、簡単な何か。すぐにでも到達できそうで、遠いもの。「暴力」、なのだろうか。確かに暴力との距離感が常に小説とのそれに重なっていく作品だ。僕らが内に秘めている暴力性を吐きだせないままに日常をウダウダウとしているのならば、カタルシスを得るものが小説であるのは、一方で当たり前のことでもある。著者の徹底した「軽薄さ」は、僕らの内なる凶暴性をある意味「鮮やかに」切り出してもいる。そこに触れることはショッキングでもあるが、求めていることでもあった。2003-11-30/k.m

カテゴリー-小説