引用


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文章(批評等)を書くときに引用をはさむのは、そこに対話を求めるからだ。以前こんなことをいっているのを何かで読んだ。 確かに、対話には発見がある。頭の中でモヤモヤしていたことが、人との対話によって引き出され、自分でもよく腑に落ちた結論をしゃべっている時がある。

頭の中で考えたことを、頭の中だけでまとめようとしても、なかなかうまく行かない。むしろ人に意見を求めたり、議論することによって、もっと大事な問題を発見したり、小さいことにこだわっている自分に気づいたりする。

きっと他者との対話には、自分の中の、無意識の領域を引き出すなにか力があるのだろう。引用によって対話を実感させるのは、難しいと思うが、引用文に対応するように、自分の意見を重ねて行くこは、より自分の考えをはっきりさせることの手助けにはなるのではないか。そこにはむしろ、自分との対話があるように思う。

建築にも同じ様な作業があるとすればエスキースではないか。まだ案が漠然としているとき、ひたすら頭であれこれ考えるよりは、とりあえずエスキースによってカタチを起こしてみると、案外つぎの展開へとすすむものだ。

描くことにより、客観的になれるというのか、自分の案に対して、素直な感情を与えることができる。 そして、これはよくあることだが、描き続けて行く内に、頭で考えていたものとは、似てもにつかない案に変わっていることがある。

そこには自己との対話によってでてきた発見があるように思う。

99.07.12/k.m

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最終更新:2008年04月11日 08:12