http://www.hirokiazuma.com/texts/superflat.html
今の世の中、どっちつかずの議論が多い。 かつての象徴的存在(?)が消滅し、それでもなにか中心を求めたくなる気持ち。自分の不安定な存在なんて、自身のささえにならないし。 とは言え、その瞬間を楽しんでいるときに、象徴なんて全くない。 あるのは強度。楽しむ身体。 そのためなら、それが途絶えないでいてくれるなら、その先の事なんて考えなくたっていい。 けれど、どちらにも自分は居る。そこに何時もいる。
2000.06.01/k.m
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