悪人


吉田修一 (著) 出版社: 朝日新聞社出版局


週刊ブックレビューで本人が出ていた。いつも心がけているのは「見たままを書く」ことだという。タイトルが絶妙という意見もあった。確かに吉田修一の小説はカメラが映したものを簡潔に書きとめているような、そのカメラも出来るだけ透明な視点でとらえられているような気がする。

新聞小説の区切りがテンポのよい場面展開をつくっている。4ページくらいに各人物の行動だったり、情景の描写だったり、事後のインタビューのようだったり、まるで事件を扱ったドキュメンタリーのようだ。一方で、自由自在に当事者の内面を渡り歩くことはフィクションならではだけど、簡潔に書かれているせいか、入り込むことを抑えられているようでもある。

克明に記録された時代の空気のように、人物たちは同時代性を感じさせる。出会い系だとか、希望格差だとか、新聞のネタになるような意匠を通じて。けれどワイドショーが一方的な解釈を与えることで視聴者との変わらない「価値観=常識」を支えあうように、新聞のネタは同時代性という意匠に潜む思考停止を意味しているようにも思える。 吉田修一はそのキーワードをあえて用いることで、思考停止自体が生んできた数々の新聞ネタを、その紙面の中でパロディーのように扱っていたのではないか。事件に関わった人物すべてに固有の現実があり、固有の生活があって、それらは決してお互いを理解しあうほどに絡み合うことはなしに、「事件=キワード」という共通項だけが一人歩きをする。

その結ばない現実の中で、キワードだけは視聴者を結びつける「世間の常識」として補強され続ける。吉田修一の小説によってこの異様な空気だけが、時代を表徴するリアルさとして、残っていくのかもしれないと思った。2007-06-17/k.m

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最終更新:2009年03月12日 00:27