これはある女子高生の悟りを描いたドラマのようだ。
出た。これが同情心と面倒臭いの綱引きだ。つーか私の同情心は弱すぎる。好きな男の子に対しても、面倒臭いが圧勝しそうになる。
この瞬間を自ら実況中継するし。
なんか心に穴開いた奴らがあ〜やべ〜何かに夢中んなりて〜ってきょろきょろまわり見て、何かよくわかんないけど一生懸命空やら十字架やら偶像やら拝んでる奴らを見つけて、あれ、なんか良さげ〜とか思って真似すんのが結局宗教の根本。
世の中を分かったように批判精神をぶつけるそんな自分をさらに批判的に見るし。
でもその手を動かしたのはコアな部分の私ではなくて私の中の私でない別の人格のような気がするし、逆にコアの私のやったことを表の私が気付いていないだけのようにも思える。
内面的な問題は色んな自分を重ねることでも回避されることを知っているし。
カンちゃんも<いろんなことにおいて正しいことをやるんだしやりたいんだし何かで間違えたらそれを自ら認めてすぐに正していくっていう自分>って自己像を守るために何でもやるんだ。
友人の行動を分析的に洞察することも色んな自分と重なって行くし。
誰も皆、本当に自分が存在しているかどうかなんて判んないはずなのだ。
自己言及の罠へ陥って戯れて批判してそんな世界のせわしさをも相対化させてしまうし。
我ありってことが疑わしくてもいい。つーか、我なくてもいい。自分の存在が確信されなくても支障をきたさない。
ちょうど最初の調子へもどっていきながらそれはどこかラセン上に登っているようでもあるし。この様に順に引用しても最初からエンディングが予測されていたようでもあるし、そもそも循環の一部に触れたようでもあるし、かなりの勢いで精神修行してしまった様にも思えるし、独白って一人遊びのような寂しさを紛らわす手段でもあって、そのような孤独感を楽しみにかえるツールとしての「つーか」って感じの言葉なのかとも思うし、ほかのも読んでみようかどうしようか、すごく読みたいとも思えないし、このままほうっておくのも気になるし、以外と後をひいているようだし・・。2003-03-28/k.m
「阿修羅ガール」ではBBSでの書き込みが出てくる。と言うか、すべてがBBS的な進み方をしているようにも思う。出来事の描写というよりも、記録、もっといえばシャッターでパッパって切り取ったような。女子高生が主人公だけど、男が描いた女の子的印象はぬぐえない。きっと女性はこの文体をナナメにみるだろう。どうも文藝賞のキッズ・・を思い出す内容。あれの女の子版?。いやもっと雑多な感じ。ここまで解体された文学はネットを抜きに語れないけど、一部の世代でネット抜きの生活がもはや語り難くなっている状況を見れば、ネット的文体が古典的なそれよりも現実をよりリアルに写し取る手段であることは確かで、むしろ「書籍でこの文体を読む」という相対化自体が新鮮なだけでもあって、依然として自己言及を重ねていることは確か。
カテゴリー-小説
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