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コミュニケーションの断絶と監禁された女の子


  • 監督・脚本:ソフィア・コッポラ
  • 製作:フランシス・フォード・コッポラ、ジュリー・コスタンゾ、ダン・ハルステッド、クリス・ハンレイ
  • 出演:キルステン・ダンスト、ハンナ・ハル、チェルシュ・スウェイン、A・J・クック、レスリー・ヘイマン、ジョシュ・ハートネット、ジェームズ・ウッズ、キャサリン・ターナー、ダニー・デビート、スコット・グレン、マイケル・パレ
  • 99年アメリカ作品1時間38分

昨日見た「ロスト・イン・トランスレーション」が気になった。なのでソフィア・コッポラのデビュー作を見ることにした。5人姉妹が皆自殺してしまうという凄まじい話。結構話題になっていたような。「ロスト・・」と同様に女の子が(半ば監禁された)部屋の中から外を眺めているシーンが多い。

ソフィア・コッポラは2作においてなぜこの様に似た状況を描いたのだろう。散らかった部屋のなかで外に出られない女の子達が倦怠感をもって過ごして行かなければならない状況を。もうひとつ似たようなことがある。それはコミュニケーションの断絶感だ。

両親の「厳しいしつけ」という理由で監禁された姉妹達は、それまでは関係する人物達とごく自然に接しているようにも見えた。けれどそれら関係を築くシチュエーションはあまりにも人工的すぎる。地下室でのパーティにしてもダンスパーティにしても。

そこには「厳しいしつけ」という家庭内での断絶が大きく影響しているようでもあるが、学校も十分におかしい。近所の住民だってなんかヘンだ。ワイドショーの取材にも妙な視線は映し出される。それらは社会状況という境目のない視線との断絶を感じさせて行く。

姉妹達を回想する役目として近所の少年達がナレーターのように登場する。あたかも彼女達を愛し理解を表明しているかのような言い回しで。けれどそこにも大きな断絶がある。なによりも彼女たちはそれを「示すべく」彼らを「死の現場」へ呼び寄せたのだから。

レコードにメッセージを託し互いの気持ちを打ち明けているシーンがあった。名曲が2つの男女グループをつなぐ感動的な場面のようでもある。けれど実際はなんにも分かり合ってなどいないのだった。彼女達は自らが少年達の単なる一時的な興味を惹く特異な家族としてしか写っていないことを十分に「知っていた」のだ。むしろ断絶がどこまでも埋められないさまを表面上隠蔽させるためのクライマックスであった。

ソフィア・コッポラはこのようにコミュニケーションの断絶と監禁された女の子という状況を執拗に描きだす。そこには潜在的というよりは、むしろあからさまに現代的な問題を含ませているのではないか。アメリカが抱えていた深刻な問題で現代の日本にも十分に浸透しているもの。そう見れば「ロスト・イン・トランスレーション」は僕らへ問題の接続をさせているようでもある。 2004-05-30/k.m

コメントをぜひ

  • k.m>ようするに70年代を描いている映画だけど、描く手法も70年代のニューシネマ的だと思う。不条理な結末、フェチシズム的描写、甘美な世界・・。2004-06-05 (土) 18:46:33
  • DJ・TOOKIO>やっぱりこの映画一本観てもデヴィッド・リンチが与えた影響ってけっこう大きいと言わざるを得ないと思うのですね。みーんなあのタッチのシネマを一本は撮ってみたいと思ったのではなのでしょうか?本編もそのヴァリアントのひとつという事で。。。2004-06-05 (土) 22:36:39
  • k.m>そういえば我が家ではホテル・ニューハンプシャー(1984)なども類似作品として上がっていました。熊の着ぐるみが悲しい・・。2004-06-06 (日) 00:23:09

カテゴリー-映画