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ワンダフルライフ


  • 監督・脚本・編集:是枝裕和
  • 出演:ARATA、小田エリカ、寺島進内藤剛志、谷啓、由利徹、横山あきお、原ひさ子、白川和子、山口美也子、伊勢谷友介、吉野紗香
  • 98年
  • テレビマンユニオン・エジソンフイルム/1時間58分

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「幻の光」に続く是枝裕和監督の第2作。これで3作とも見られました。 こうしてみると、今回の作品のような寓話的ストーリーのほうが、監督のドキュメンタリー的演出が栄えるのではないかと思いました。

この世と天国の境界にある事務所での出来事。死んだ人はここで生前の一番大切な思い出を語り、再現した映画を見てその思い出だけを胸に静かに旅立ってゆく。その製作過程と、それを支援する人々のドラマ。

たしかに一般の人を使い、よりリアリティーを演出した「ねらい」がある。「素のまま」な姿を映したかのような。もちろんそのフィクションであることと、寓話的ストーリというレールのあって可能な演出なんだと思う。出演者は自らの「物語」をテーマに語りを繰り返す。その時人は「物語」を捏造するのだろうか?。人生に「物語」の不在を感じるとき。あるいは「語り」を通して人は浄化(ピュア)されるのだろうか?。「語り」のプロセスそのものが、その人の生き方をも象徴している。あるワンシーンを胸に抱き永遠の旅立ちを果たす。そんな「考え」に賛同できない人も当然いるのだ。

ここでは賛同できなかった人達がそれらを支援する役に回っているという、皮肉な設定がある。匿名性をまとった登場をしながら、超えられない「生死の境界」を停滞しているスタッフ達。そこでは有る意味、永遠の輪廻を表現した世界を感じる。やがて一人が「物語」を見つけ、旅立つことによりこの映画は終わるのだが、その時主人公のワンシーンへは、あの日の思い出をつくっていた相手が存在していなかった。そして逆にそのシーンを撮る人々が映し出されていたのだ・・・。

「生死の境界」という本来の定義からはずれたところで、実は彼の「物語」が作られていた事を示しているのだろうか。「死」を考える上での人間の「多様性」、人間だけに与えられたその「特殊な思考の悲劇さ」をどこかあらわしているような作品でした。とても面白いです。

2001.06.23k.m


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