初めてのサンシャイン劇場。なにかミニシアターへマイナー映画でも見に行く感覚で会場につくと、ものすごい人だかりにビックリ。しかも熟年のオバサマ達がぎっしりと、ちょっとせまいホワイエに詰まって待ちかまえていたので、入るのをちゅうちょしてしまうほどであった。やや見かける若めの人達は、ベレーボーをかぶった、下北沢にでも歩いていそうな人達。どちらも普段あまりかかわらない方達なので、やや違和感をおぼえました。---- “もしも壁がなくなったら”というたったひとつの問いかけによって始められた台詞。寺山修司作のレミングには、テーマのシンプルさゆえにか、そこから生まれてくる演出、ドラマ、情景には計り知れない多様さ複雑さがあるように思えた。
演劇というものを、まったくといってよいほど経験していなかったので、いきなりこのような方向性の作品をみても、それが演劇全体のなかでよって立つ位置づけがわからないし、またそのようなジャンルがあるのかもわからないが、あの時、あの瞬間につくられていたモノが紛れもなく空間という言葉で表現される場であったことは確かだったように思う。建築を考えていく作業は、環境とか、空間と言うモノの創造だと思うが、アプローチや出来た様相の差こそあれ、演劇も環境と空間の創造なんだと思った。
プロセニアムからはみ出し、演技者達が客席全体を巻き込む瞬間、言葉という音記号のシャワーが会場全体を覆い尽くす瞬間、日常の中での「意味するモノ」と、その日常性との関わりを排除されたときの滑稽な姿の「意味するモノ」が自由に戯れ始める瞬間、それらの連続には、シンプルなテーマのなかに世界の縮図を押し込めるような存在感とスピード感があった。
不意にその空間に参加していた自分を、ちょっと哀れむほどの体力を要する演劇でした。2000.10.20k.m
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