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ミュンヘン―黒い九月事件の真実


  • 著:アーロン・J. クライン
  • 翻訳:富永 和子

スピルバーグの映画、『ミュンヘン』を見てから気になっている中東問題。関連した本も3冊目に入った。

これは映画の原作、『標的は11人』とは異なった視点を提供するもののようだ。原作の情報源がモサド(イスラエルの対外情報機関)に反逆した元職員・暗殺実行犯だったのに対して、この著者はイスラエル国防軍の情報局長も務めるというジャーナリスト。映画とは異なる部分も多い。

けれどこの複雑な関係を前にして、果たしてどちらが(史実として)正しいかを問題にしても空しいばかりだ。それはテロが投げかける正義への問いと同じようなもので、どちらが正しいのか、報復が正義なのか、貧困が正義なのか、堂々巡りである。誰にも答えられないし、答えても当事者には通じない。

今まで読んだ3冊(に含まれたメッセージ)はこんな感じだったと思う。『まんがパレスチナ問題』:イスラエルとパレスチナ、さらにはイスラムそれぞれが共存の道を考えることへの理解と希望。サイードの『ペンと剣』:アメリカでの中東問題への無関心ぶり、世界中の無理解への訴え。そしてアーロン・J. クラインの『ミュンヘン』:ミュンヘン事件に対するドイツの不理解、様々な視点から中東問題を見てほしいとの訴え。

世界情勢や外交政治の最先端では、報復と正義が繰り返されるショキングで殺伐とした状況ばかり。けれど関連する書物や映画など文化状況の中では「理解され得ない当事者達の苦悩」、「相互理解と共存への道」、「テロを生む絶望の深さ」という、それ自体に粘り強いかかわりを要する視点が中心になっている。

これは利害や大儀という目立つ部分の奥に隠された、分かりにくく繊細な部分だ。そして情報氾濫社会が置き去りにしやすい所でもある。こうして報道され得ないことの困難さは、ますます深刻な状況を作り出している。この流れは一向に止められないのだろうか。2006-10-11/k.m

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カテゴリー-社会


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